第192話 帰路
県大会の結果は、女子は団体、個人2枠、全てを光田高校が独占。男子は団体、個人とも準優勝に終わったが、個人では全国大会への出場枠を確保した。
試合が終わり、大会会場を後にし、光田高校の弓道部員たちは、貸切バスに乗り込んでいた。
県大会、団体戦優勝。そして個人戦ワン、ツー、スリーフィニッシュ。その栄誉が、車内の空気をキラキラと震わせていた。
「バスの中では、静かに――まあ、できる範囲でな」
拓哉コーチの苦笑まじりの注意は、バスのドアが閉まる前に風に流された。
杏子は最後に乗り込み、ぽつりと窓側の席に腰を下ろした。窓の外には、暮れなずむ空。そこに映り込む自分の顔には、どこか穏やかな、でもほんの少し物足りなさも漂っていた。
隣にドスンと座ったのは、栞代だった。
「杏子、だれもが杏子の実力は認めてる。まあ、もう終わったことだ。元気だせ」
杏子は笑ってうなずく。栞代は「真映がまた大変だぞ」と仕方ないというあきらめ顔で杏子に呟いた。
案の定、バスがガタンと揺れて動き出してすぐ。
「はいはいはーい、注目ぅっ!」
座席を飛び出し、前方に設置された車内マイクを真映が奪い取る。
「ただいまをもって、光田高校弓道部は、私が統治します。県大会完全制覇の光田高校には、ワタクシこそが相応しい!」
なにごとかと目を丸くした運転手がミラー越しに彼女を見ていた。
部内には一瞬の沈黙が走る。そして、完全な無言。
「ぱちぱちぱち」
律儀に拍手を送ったのは楓だけだった。
「この子、自由すぎない?」と栞代が低く呟く。
「それはわたしの課題でありません」と、紬が表情一つ変えずにぼそりと漏らす。
真映はというと、マイクのハウリングにも負けずにひとりで「第一回統治命令を発令しますっ!」と叫んでいた。
その声に、笑いが弾けた。
バスが県大会の会場を離れ、山を下るにつれて、日暮れのオレンジが車内にも滲んできた。
「それじゃ、わが光田高校弓道部の誇る金髪フィンランド美人、ソフィア、なにかフィンランドにちなんだクイズを一つ出してください」
真映が、声を張る。
「Kiitos paljon. Ymmärrän täysintäysin.(了解です)では──このキャラは誰でしょう!CVは斎藤千和、初登場は2006年のOVA、身長は162センチ、誕生日は8月21日」
「……おい、それフィンランドとなんの関係があるんだよ」
あかねがつっこむ。
ソフィアはきょとんとした顔のまま、にっこり。
「フィンランドで大人気の日本アニメです。Mitä huomautettavaa?(なにか文句ありますか)」
「うう、美人が怒ると迫力あるな……」と、真映はマイクをそっと手放した。
その瞬間、誰よりも静かな席から、ぼそりと声がした。
「……阿良々木火憐」
一同が一斉に振り向く。
「お〜。さすがTsumugi。誰も知らない問題をすらすら答えるとは。恐るべし日本。恐るべしTsumugi。Erinomaista.(最高です)」と、ソフィアが大喜びで大きく両手を広げて無邪気に手を叩いた。
「この姿、学校の男子連中は知ってんのか?」
あかねが呆れる。
栞代は座席にもたれながら呟いた。
「オレたち、何に巻き込まれてんだ……」
バスが高速道路に乗った頃、ソフィアが立ち上がり、バスの後方へと進む。
「それでは、見事正解した紬と、そしてみなさまに……今日のために、リーサおばあさんに習って作った焼き菓子を配ります!」
ソフィアが取り出したのは、まるで煉瓦のような茶色い塊。どこから見ても食べ物には見えなかった。
「やば……硬そう」とあかねが小声で漏らしつつ、ひとくちかじった。
──ゴリッ。
「これ……武器だね?」
続いて真映が一口。
「歯が……あ、無事だった!」と親指を立てて小さくガッツポーズ。
杏子はというと、おっとりと微笑みながら、ひとこと。
「おいしい」
ただし、焼き菓子はまったく減っていなかった。
車内は、勝利と焼き菓子とアニメの知識とで、いよいよカオスの様相を呈していた。
杏子が焦げた匂いの焼き菓子と格闘していると、つばめがiPhoneを片手に駆け寄ってきた。
「杏子先輩、お姉ちゃんですっっ!」
つばめが差し出した画面には、つぐみの顔が映っていた。
「おー、つぐみ、今日そっちも大会だったんだろ?どうだった?」
と、栞代が横から声をかける。つぐみは軽く笑いながら、
「結構強くてな。優勝はできなかった。でも、2位には入ったから、約束通り、全国大会、そしてその前のブロック大会で会えるぜ。」
「団体戦は?」栞代がさらに訊ねた。
「団体は3位だった。団体での総体ははちょっと難しいかもしれないが――絶対に諦めないぜ。」
「さすがだな、その気合。」
「ところで、杏子がまたやったんだろ?つばめから聞いたよ」
「まあな。仕方ない。最大の弱点だけど、人間だからな。ひとつぐらいそんなところがないと、可愛げがないだろ?」
つぐみが笑うと、つばめが申し訳なさそうに頷く。
「でも、次わたしとやる時までには、絶対にそれ、直しておけよ」
「ほら、杏子、つぐみが言ってるぞ」
「う、うん。つぐみ、おめでと」
「総体では、絶対に会おう。だって最後だぜ」
「う、うん。そうだね」
杏子は少し考え込むように俯いた。
「ま、まあ、今日のところは元気だそうぜ。ブロック大会の姉妹対決、楽しみにしてるぞ」
「じゃあな、栞代。くれぐれも杏子を頼むぞ」
電話が切れ、画面が暗くなる。静寂を破って、つばめが少し申し訳なさそうにしていた様子を見て、栞代が声をかける。
「つばめは自信もっていいんだぞ。そこまで杏子を追いこんだってことだ。」つばめは、少し誇らしげに自分の席へ戻って行った。
その空気がまだしんみりと残る中、バスの車内に突然、あかねの声が響く。
「ここで、気合いを入れてカラオケ大会~!」
全員が瞬時に振り返り、あかねを見つめた。栞代が目を見合わせ、声を低めに。
「お前、どのタイミングで気合い入れる気だよ…」
真映は満面のドヤ顔で、
「私はラップで勝負します!」
勢いよく拳を振り上げる。その勢いを受けて、ソフィアが軽やかに一歩前に出て、
「じゃあ、私はボカロになる!」
とポーズを決める。場内軽くざわめく。
一方、紬は笑いを我慢しながら目元に手を当て、小声で、
「それはわたしの課題ではありません」
と呟く。
あかねが「ほんっとに、だれかビデオ撮って、流したら、人気も落ちるかもな」
「いや、きっとさらに爆発するよ」
真映が応えると、まゆや楓、一華が力強く頷いた。
バスは、山道を下り、ゆっくりと夕焼けの色に染まった街へと向かっていた。笑い声、脱線したカラオケ、ラップバトル未遂――ぜんぶ詰まった時間が、まるで宝物みたいに、車内に残っていた。
栞代がふっと笑って、隣の杏子に囁くように言った。
「杏子、みんな杏子を笑わせようとしてんだな」
杏子は、少し照れくさそうに笑って、頷いた。
「……うん。なにか心配かけちゃったね」
栞代が付け加える。
「そんなチームを作ってるのが、杏子なんだ。自信もて、自信」
紬が、わざわざ後ろの席から顔を出し、静かに言葉を添えた。
「それはわたしの課題ではありません」
一瞬の沈黙。けれど、その言葉に込められた紬の気持ちは、十分杏子に、そして栞代に伝わった。
栞代は口角を上げて言った。
「それが光田高校の強みだいな」
その言葉に、杏子に綺麗な笑顔が浮かんだ。
窓の外には、夕暮れに照らされた山と町。
その夕陽が、杏子の頬をそっと染めていた。




