第183話 文化祭
練習の流れは、冴子部長が作ってくれたものをそのまま踏襲した。というより、杏子が指示を出せずにいたら、自然とそうなった。
冴子は、別に強権的な部長ではなかったが、それでも枠を外せばきっちりと注意が飛んできた。冴子部長に比べると、杏子は存在感の無い部長だった。
人数が多くないこともあり、特に混乱もなかったが、練習ペースの管理は、いつしか、まゆと一華のマネージャーコンビが仕切ることになっていった。
練習の記録、個人の記録、個人の目標——それぞれマネージャーが司ることもあり、マネージャーの比重は大きくなっていった。ただ、冴子と同じように、必ず毎日、杏子も目を通した。
自由といえば聞こえはいいが、どこか緩い雰囲気も漂う弓道部だった。それでも、一旦杏子が弓を引くと、道場の空気が変わる。背中で引っ張るタイプと言えばそうだが、本人にはそんな気はまるでないようで、全員がただただ憧れてついていく。
積極的に教えてくれることは無かったが、つぐみがピクセル単位と称した目の確かさは健在で、紬がアンチエイリアス処理と表現した、柔らかで優しく、相手に寄り添うように分かりやすく伝えられた。
そして、まゆと一華は、毎日杏子と部員の練習について話すことで、杏子の観察眼がスナイパー衛星のごとく、的確に個人個人のクセを見抜いていると知った。
弓を引いている時だけじゃなく、弓のことに関しては、宇宙人だと二人は改めて杏子のことを思った。
だからこそ、自分ためで出来ることは最大限にサポートしなければと思うようになっていた。
最初は心配していた拓哉コーチも、二学期が始まる頃には、すっかり以前のペースに戻った。コーチもまた、表面上はクールに対応していた。
杏子はそれでも、未経験だったソフィアと楓、そして障害があるまゆには、ずっと心を配っていた。まゆはまだしも、ソフィアと楓は的中率が上がってきて、弓道が楽しい時期に来ていた。
なんとなく新しいペースに慣れてきた頃、二学期最初のイベント、毎年恒例の文化祭がやってきた。
弓道部も例年通り、出店と催し物を準備していた。テーマは「あかねプロデュース☆大江戸縁日屋台」。本人曰く「ジャパニーズカルチャーの力、見せたる」と鼻息荒くしていた。
弓道体験として、去年の「弓で風船割り」イベントが想像以上に人気だったため、今年は少しアレンジを加えて進化版にする予定だ。
模擬店では、部員が弓道衣姿で応対。総体用に杏子の祖父が用意した白袴。白一色の姿は、どこかウェディングドレスも連想させるようで、好評だった。
試合の時にはたぶんもう使わないだろうから、使い道があって良かったな、と栞代は思った。どこかで使わないのかい、とかぐちぐち言いそうだし。
「あかねプロデュース☆大江戸縁日屋台」では、フルーツ飴、綿あめ、りんご飴、そして手作りの射的コーナーもある。そこに登場するのが今年の目玉、「風船的早撃ち対決」だ。ルールは簡単、5回打って3つの風船を割れば景品がもらえる。しかし、矢はすべてゴム製。しかも先は吸盤。安全ではあるが、飛距離も安定感もない。
「これ、当たっても割れないやん!」と嘆く来場者に、
「中心の〇印に当たったら割れるんやで。心の目で見るんや!」と叫び返す、弓道姿のあかね。そして同じようにノリノリの真映。昨年の常識人・冴子がいないため、二人のやりたい放題がさらに加速していた。
栞代は、そんな二人を遠くから見てため息をつきながら、ブースの片隅で杏子と飲み物を配っていた。
「杏子、止めなくていいの?」
「えっ、でも……みんな楽しそうだから、いいかなって……」
栞代は、杏子が部長に決まった日、杏子と祖父が話をしていたのを思い出した。
祖父は全く不思議だが、なぜか高校の時、クラブの部長をしていたそうで、そのときに
「弱くて、雰囲気も楽しくない」
「強いが、雰囲気が楽しくない」
「弱いけど楽しい」
「強くて楽しい」
の順番で幸せになるとか杏子に吹き込み、まずは楽しくすることを杏子にたたき込んでいた。
オレはまず強くなることって思ってたけどなあ。
きっとおじいちゃんのクラブは、弱いけど楽しかったんだろうな。だって強かったら、絶対に自慢してくるはずだから。
それにしても、なんで杏子がおじいちゃんを無条件で信じているのか、全く世界の謎だ。
栞代がぼんやりそんなことを考えている時、真映が小型メガホンで叫んだ。
「杏子部長ーっ。風船割りチャレンジしませんかー!? 今から部長チャレンジタイムですよー!!」
「ふひゃっ!?」
すでに杏子が断れる空気ではなかった。全く割れない風船に、じゃあ手本見せろと言われて、真映は杏子を召喚することにしたのだ。
風船の前に立たされる杏子。
「うちの部長でーすっ」真映が紹介する。
真っ赤な顔でゴム矢を構えた瞬間、杏子の姿勢が変わる。さっきまで飲み物の紙コップを震える手で持っていた人とは思えない、完璧な構え。
やんやと囃していた観客も空気が変わるのを感じる。
「……一本目、的中! 二本目も……おおっ」
「おい、まじか」
「さすが部長……」
「伊達じゃねーな……」
あちこちで声がする。
ぱかーん、三本目も風船を割り、パーフェクト。杏子は一瞬きょとんとした表情を見せたが、拍手喝采に慌てて深くお辞儀をし、真っ赤な顔で慌てて栞代の元に戻った。
そのあと杏子は、真映に「もういきなりなんだから~」と拗ねながら抗議したが、真映は全く気に留めず
「わたしがやっても良かったんですが、部長に花を持たせました~っ」と相変わらずなことを言った。
設置した後、テストで試した時に、散々チャレンジして全然割ることができなかった——つまり一回も中心に当てることができなかったことを知っているあかねは、笑いが止まらなかった。
文化祭の午後、そろそろ模擬店のピークも過ぎて、会場の空気が少し落ち着いてきた頃。
杏子の祖父母が校門から姿を現した。祖母は手編みのカーディガンに麦わら帽子、祖父は黒曜練弓流の刺繍が入った甚平で、完全に「文化祭見学ガチ勢」の装いである。
「いやあ、賑やかだなあ!」
「おばあちゃん、風船弓、やってみない?」
と楓に勧められ、祖母は意外と素直に弓を構える。
祖父はというと、去年の苦い思い出があるせいか、弓には一切近寄らなかった。
その時、弓道部のブースに、栞代の中学の友人、西留華恋と鏑木めぐみが到着。
「杏子~!元気?」
「ヘアメイクさせてもらって、ほんと楽しかったよ〜!」
「おいお前ら、オレにまず挨拶せんかい!」
と栞代がムクれるも、ずっと笑顔だった。
「あの時は、ほんとにありがとうございました」
「お前らに任せたら、ケバいだけにするかと思ったら、意外と落ち着いていたな」
「それは、お前と違って杏子が落ち着いていたからだ」
「なんだと」
仲間っていいなあ。杏子は、自分は中学の時は道場に籠もりっきりだったことを思い、今の仲間を大切にしよう、と改めて思った。
そして杏子は総体の時のあの髪型と思い出して、にこにこしながら照れていた。
「あれ、じゃあ今日もやろっか?」
という華恋の一言で、髪の毛のセットが始まった。
「ふひゃっ!?」
と焦る杏子を囲むように、即席メイクアップチームが結成された。
あれよあれよという間に、杏子はおしゃれで可愛らしい文化祭仕様のヘアセットに、ほんのりチークとリップ。
「あ、あの……」
戸惑う杏子の姿を見た祖父は
「さすがにわしの孫じゃ。元がいいからのう。スカウトが来たらどうしたらいいんじゃ?」
とまんざらでもない様子だった。
そこへソフィアが現れたら、華恋とめぐみが大興奮。
「ちょちょ、髪、セットさせて~~」
文化祭の日は、本来練習は休みだったが、自由参加と称して、やっぱり全員集合した。
ソフィアの髪形を改めて見た杏子は、ああ、あの二人はちゃんと弓が引けるようにしてくれたんだなあ、と感謝しつつ、自分とはやっぱりレベルが違うな、とソフィアの華やかさにため息をついた。




