表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ぱみゅ子だよ~っ 弓道部編  作者: takashi
2年生
181/216

第181話 帰宅

新幹線を降り、学校に戻る頃には、すっかり陽も落ちていた。

荷物の片づけも終わり、道場の鍵が閉められる音が、静かに夜の空気に響く。


「じゃあね」


冴子が軽く手を振った。その瞬間、杏子の中で空気がふっと変わる。

部長に指名された不安と戸惑いでいっぱいだった杏子は、今日が、今が、三年生との最後の日だということを、忘れていた。


ああ、そうだった。

これは、「お別れ」なんだ。


弓を握っていない杏子の手が、スカートの裾をぎゅっと握りしめる。

足元が急に頼りなくなり、声も出なくなる。

弓を握って的前に立つときの杏子とはまるで別人。幼く、無防備そのものだった。


「杏子、またね」


冴子がそっと抱きしめてくれると、杏子は小さくうなずきながら、ぽろぽろと涙をこぼし始めた。


「ちょっと、またもう杏子は……」

横で見ていた栞代が、苦笑しながらそっとハンカチを差し出す。


「いつでも会えるんだから。杏子、泣く必要ないのよ」

沙月もぎゅっと抱きしめてくれる。杏子は、くしゅっと鼻を鳴らすが、それでも涙は止まらない。


そして最後に、瑠月が前に立つ。

杏子はそのまま、瑠月に思いきり抱きついた。


「瑠月さん、ありがとうございます……」

声にならない声を、なんとか絞り出す。


目を閉じた瑠月の頬も、かすかに震えている。

「杏子ちゃん、私……勉強見に来るからね」

瑠月の声も、少しだけ揺れた。

「もう、“瑠月先輩、また来たの?”って言われるぐらい、うんざりするかもよ」


「そんな……言わないです……」

杏子の声は小さく、泣き声まじりで、まるで子どものようだった。


なかなか離れようとしない杏子の腕を、

そっと包み込むように、栞代が優しく引き離した。


「さあ、行こ。おじいちゃん、待ってるよ」


栞代の手に引かれながら、杏子は時おり後ろを振り返りつつ、ゆっくりと校門をくぐっていった。



学校を出ても、杏子の頬には涙の跡が残っていた。どんなにハンカチで拭っても、次の涙がすぐに目の端から溢れてしまう。


栞代は隣で、何も言わず、ただ静かに歩調を合わせていた。杏子の泣き顔を見るたびに、何度も声をかけたくなったが、それがかえって杏子の寂しさを強くしてしまいそうで、黙って寄り添っていた。


しばらく歩いて、信号待ちのとき。

「杏子」

と声をかけた。

その声は、優しかった。「あんまり泣いた顔のままだと、おじいちゃん、心配するよ」


杏子はびくっとして、慌てて涙を指で拭った。「うん……そうだね……」


おじいちゃんの前では絶対に涙を見せない。杏子はそう誓っていた。杏子が泣いた時、おじいちゃんは本当に混乱しちゃう。

だから、普段でも泣かないように頑張ってた。去年は、どんなに悔しくても、悲しくても、そして嬉しくても泣かなかった。泣いたことをおじいちゃんに悟られたくなかった。でも、今年は我慢する力を使い果たしたみたいで、何度も泣いている。感情が膨らむたびに、涙が止まらなくなる。


元気を出さなきゃ。


「ただいまー……」


家の玄関をくぐる頃には、杏子は無理やりにでも笑顔を作っていた。


祖父母はすでに帰ってきていて、玄関には祖父が立っていた。杏子の顔を見るなり、「おーっ、我が天才孫娘、よくぞ帰った!」と両手を広げて迎えてくれる。


「栞代ちゃんも、一緒にご飯食べて行くでしょ? ちょっと簡単な祝勝会だから、一緒に」と祖母が優しく声をかける。


「ただいま……わたし、ちょっと着替えてきます」


杏子はそう言って自分の部屋へ向った。祖父はいつもとは違うものを感じた。


「なあ、栞代。……杏子、なにかあったのかなあ?」

いつもの能天気さが姿を消してる。

なるほどな。

「あ、えっと……」

栞代は少し笑って肩をすくめる。「この大会で三年生は引退するんです。その三年生とお別れで……ちょっとセンチメンタルになってます」


「ほう、別れか。それはもう仕方ないからのう。人生は出会いと別れの繰り返しじゃからのう。……こりゃ、紅茶のランクをあげんとな」


祖父が笑って言うと、奥から祖母の声が「ご飯を先にしましょうよ。二人ともお腹空いてるでしょう?」

その声を聞いて、栞代が元気よく「はいっ」と応えた。


リビングのテーブルには、まるで小さなパーティー会場のように料理が並んでいた。


手前には、祖母の十八番である「ほろほろ煮豚」が、大皿の中央で堂々たる存在感を放っている。ほんのり甘辛いタレが照り輝き、ねぎの千切りがふわりと乗っていた。


その隣には、地元の鯛を使った「鯛の塩焼き」が鎮座している。焼き加減は完璧で、皮はパリッと、身はふっくら。レモンの輪切りと大葉が添えられ、和風の凛とした美しさがある。


小鉢には、さっぱりとした「酢の物」、ほうれん草のおひたし、筑前煮、そしてなぜか「だし巻き卵」が二種類(甘いのと出汁強め)用意されていて、明らかに祖父母の意見が分かれたことが見て取れた。


中央には、赤飯。ちゃんと炊飯器じゃなくて蒸し器で炊いた、本気のやつ。黒ごまと塩がまばらにふられ、湯気が立ちのぼっていた。


「光田高校弓道部三位入賞祝」と書かれた手作りの旗が、唐揚げの山に突き刺さっていたのは、祖父の演出だろう。小さな旗だったが、これまた妙に完成度が高い。


さらに奥には、杏子のための特別メニュー、「とろけるプリン」と「メロン」まで冷えていて、もはや食後の気遣いまで完璧だった。


栞代が一言、ぽつりと呟いた。

「……いや、こんなん出されたら、泣いてたこと絶対に忘れるよ」


祖父は満面の笑みで応える。

「弓道の勝利には、揚げたて唐揚げが似合う!あと、煮豚!あとプリン!」


食卓を見た杏子は、席につく前から、もう笑っていた。


「杏子、ほら。おじいちゃんに報告することあるだろ?」と、栞代が不意に言う。


「え?」杏子が目を丸くする。


「ほら、今日から杏子は、何になったんだっけ?」


「あ……」


杏子はようやく思い出したように、小さな声で。「……部長になっちゃった」


「おおおおぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」

祖父が、まるで天変地異でも起きたかのような声で叫んだ。「見たか!聞いたか!この子はやっぱり天才だったんだよー!光田高校よ、見る目あるじゃないか!」


祖母が「近所迷惑!」とたしなめるも、祖父は満面の笑みで杏子を見る。「部長!部長ぉ!これからは部長様って呼ばんといかんなあ!」


杏子は真っ赤になって、顔を手で覆った。「や、やめてってば……」


栞代はくすくす笑いながら、から揚げを取った。「それよりこの料理、絶対食べきれないな」


「よーし、このあとはスペシャル紅茶だ!世界にひとつしかないという、幻のダージリンを淹れてやろう!」


「そんなのあるの?」と祖母がすかさず突っ込む。


「だって、世界にわし、ただ一人だもん。わしの淹れる紅茶は世界にひとつしかない」


「そりゃそーだ」栞代が笑う。「美味しさとは直結しないけどなあ」

「なんじゃと~」

そんなやり取りのなかで、食卓には自然と笑いが溢れていた。


食後の紅茶タイム。杏子のカップに、香り高い紅茶が注がれ、栞代のカップにもそっと湯気が立ち上る。


「栞代」

祖父がふと声を落として、紅茶を差し出しながら言った。「杏子を頼むな。支えてやってくれよ」


栞代は一瞬驚いた顔をしたが、すぐににやりと笑ってカップを受け取る。「……紅茶飲ませてくれたらな」


祖父が「大丈夫じゃ。毎日ちゃんと飲みに来いよ。約束じゃぞ」と胸を張ると、杏子が「なんだか、それ、今までと全然変わらないね」とツッコんで、また笑いが弾けた。


夜の風が、優しく入り込んでくる。


その後、祖父は杏子と一緒に栞代を送り届ける。


栞代の家の近くで栞代が降りた時、珍しく、祖父が降りてきた。


「……栞代、杏子は結構無理するところもあるから、ちゃんと見てやってな。なにかあったら報告してな」


栞代は一歩下がって、「おじいちゃんは、心配性だからなあ。能天気な心配性」

そう往って笑い

「任せとけっておじいちゃん。それにオレだけじゃない、紬もあかねもまゆもソフィアも、みんな杏子が好きで、杏子の味方だ」


その言葉に、祖父は深くうなずき、夜空を一度見上げて、軽く手を振った。


「気をつけて帰れよ。明日もこいよ」


おじいちゃんも気をつけてな」


栞代の姿が消えるまで、祖父はしばらく、その背中を見送っていた。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ