第172話 合宿予定変更
風が合宿場の森をすり抜けた。
その日、長野の高原には火の粉と笑い声が舞っていた。
光田高校、全国高校弓道大会、準優勝。
新しい歴史を刻むには一歩届かなかったけれど、それでも創部以来の最高位に並んだ快挙だった。
そして今、バーベキューの火を囲みながら、その結果をかみしめるように、皆が笑っていた。
杏子の祖父は、すでに差し入れハイだった。
ナガノパープルと巨峰、冷え冷え状態で大袋に山積み。信州りんごジュースの箱も三段重ね、そして山のようなトマトとレタスのサラダを持ち込んだ。
「ソフィアのおじいさん、エリックさんからは、冷やしトウモロコシに野沢菜とおやきを指定された」
といって、こちらもドッサリと届けられた。
「ガハハハハ。全部平らげるには、一週間ぐらい掛かるかもしれんな」
祖父のいつもの軽口だったが、まさかこの言葉が生きてくるとは、この時には誰も思っていなかった。
その横でジュースを飲みながら、まゆがしっかりと栞代に報告する。
「杏子はちゃんと試合を見て応援してたけど、おじいちゃんは試合そっちのけで杏子ばっかり見てたよ。もう蕩けるぐらい幸せそうだった。来年も、杏子の近くに居たいから、また変なことを考えて、杏子を独り占めするんじゃない?」
栞代は、いかにもおじいちゃんが考えそうなことだと思い
「まゆ、良く言ってくれた。オレが釘を刺とく」
といい、さっそく祖父のところに向う。
「おじいちゃん、来年は絶対に杏子に変なことさせるなよ」
祖父は何かを察したように両手を広げ、大げさに言う。
「栞代! わしはな、ぱみゅ子の夢を叶えたいんじゃ! ぱみゅ子の夢を叶えさせてやりたいっ。だから、団体金メダル、協力してくれよな? 紬さんも、あかねさんも、まゆさんも、つばめちゃんも、真映ちゃんも、楓ちゃんも一華ちゃんも、そしてソフィアさんも、頼んだぞおおお!」
なぜか名前フルコンボで呼ばれた全員が微妙な空気になったが、差し入れぶどうの甘さで全部帳消しだった。
宴もひと段落した頃、杏子がふらりと祖父の元へやってくる。
「おじいちゃん、ちょっと相談があるんだ」
その瞬間、栞代の内なるレーダーがMAX反応を示す。
「おい待て待て杏子、今度は二人きりでは話させん。オレも聞く」
「…栞代、落ち着いて。笑」
「ぱみゅ子、なんでも言ってええんじゃぞ。わしは、ぱみゅ子のためなら、なんでもできるんじゃ。人を騙すこと以外はな」
ほんとに、おじいちゃんは口から生れた口大王だな。栞代は呆れた。
杏子は少し照れながらも言った。
「予定じゃこの後、家に帰って、そこから遠的の練習に通うって話だったけど…わたし、このままここで、ずっと練習したい。ここならすぐ練習できるし」
「おおおおおっっ!?!? ということは、わしもここに居ていいということじゃな!?」
まったく、一番大事なことはそこかいっ。栞代はさらに呆れる。
だが、ちょっと待って。練習?
「それは、おじいちゃんの思う通りでいいよ。とにかく練習がしたいの」
その場ですでに祖父ターボ発動。
神楽木管理人のもとへ突撃→滝本先生のとこで土下座→拓哉コーチに靴脱ぎながら相談。
もはやスピード感だけで物語が動いていく。
「杏子、合宿場も次の利用者居るんじゃないか?」
「盆明けまでは空いてるって、それとなく神楽木さんに確認したの」
なにがそれとなくだ。神楽木さん、絶対察しついてるよ、それ。
拓哉コーチも焦る。そして確認にやってきた。
「……杏子さん、本気? 休息なし?」
杏子は即答だった。
「練習がしたいんです。蓮遥祭弓道大会で金メダルを獲るために。」
栞代は、まあ、確かに蓮遥祭も全国大会団体の金メダル、ということには変わりない、と思う。
それにしてもこの子って、とため息をついた。
一度決めたことは絶対に譲らないからな、特に弓のことについては。
次からは、まだ決める前に相談してくれよ、杏子。
けれど、どうせ放っておけないのも自分の性分。
家に電話して、即「盆、帰りません」宣言。
拓哉コーチは実家の神社から「帰ってこい」と詰められたが、
「杏子さんが練習したいと。ほら、去年の“御的初の儀”に出てくれた生徒なんだ。恩があるんで…」と伝えると、
「ならば、手を尽くせ」と速攻で許可が下りた。
神楽木も、杏子祖父母が日常の世話を手伝うと聞き、それなら特に問題はないだろうと、閉館する予定を変えて合宿場を空けてくれることになった。
瑠月は、当然のように一緒に残った。不完全燃焼だった杏子。遠的はまだまだこれから。杏子の夢への思いと、杏子の成長を、そばでずっと見ていたいと思った。そしてなにより、自分の高校生活の集大成なのだ。自分も最後に追いこみたい。
瑠月が、自分も残る、と伝えると、杏子は本当に嬉しそうに笑った。
蓮遥祭団体メンバーの沙月と冴子は、一度は帰るが、蓮遥祭一週間前に再合流が決定。
慌ただしく予定が決まっていく。
バーベキューの終盤、杏子が残るらしいという話が広まると、他の部員の“わたしも残りたい熱”が大炎上した。
特にまゆと一華は「マネージャーの務めは最後までやらないと。練習を見届ける義務がある」と譲らない。
栞代と瑠月が、それぞれ手分けをし、話をする。
弓道部の活動はこれからも続く。一番大事なのは、ご家族の理解だ。本当は、もちろんわたしたちも全員で練習したい。けれども、今回は本当に突然なこと、家族で大事なお盆という時期、そして、夏期講習などの予定もあるって聞いている。
練習も、蓮遥祭に向けての遠的に特化してる。それを含めて考えると、みんなに無理はさせられない。
そして、二人は、頷きあい、全員に伝えた。
「…あたしたちは家庭の事情で、今、家が“居場所”じゃないんだ。だからここにいる方が楽なんだ。でも、みんなは違う。家族を大事にしてほしい。勉強も。あたしらが弓道を続けられるのは、みんながいろんなこと背負ってくれてるからなんだ」
栞代が、めったに見せない真剣な目で言った。
その重みが、静かに火の粉の中に沈んだ。
みんなは少し泣いて、でも笑って、「じゃ、蓮遥祭、応援に行く!」と言い出した。
そして夜、部員たちは、スマホ越しに集合写真を送り合いながら、じゃれまわった。
その夜、杏子と瑠月は、同じ月を見ながら思う。
「冴子さん、沙月さん、瑠月さんを、必ず金メダルで送り出す」
「杏子ちゃんの夢を叶える。支えてくれた冴子、沙月に報いたい」
それは願いじゃない。
決意だった。




