第171話 決勝戦
【決勝戦】光田高校 vs 鳳城高校
高校弓道界の頂点を決する決勝戦。静寂に包まれた会場の空気が、まるで張り詰めた弦のように震えていた。
全国の弓道をする高校生すべての憧れ。光田高校の面々は、その的の先に“歴史”があることを理解していた。対する鳳城高校は、ただの優勝候補ではない。前人未踏の7連覇がかかる、まさに弓道界の“帝王”。
光田高校にとっては、今大会の団体戦、杏子抜きで挑んだ最後の舞台。鳴弦館との準決勝を奇跡の集中力で制したものの、その代償はあまりに大きかった。
先鋒・栞代が放った矢は、見事に的を捉える。
二番手は、準決勝のあかねと変わり沙月。準決勝で疲れ果てているメンバーのために、自分が頑張らなければならない。そこには、本番に弱い、という自信のなさは全く影をひそめていた。やらなければならない。その思いだけがあった。
つばめは、姉との対戦が実現しなかったことと、やはり鳳城高校の圧倒的な雰囲気に気押されていた。一射目を外す。1年生のつばめにとっては、かなりの負担であった。
紬は、表情を変えずに淡々と射を繰り返すが、その静けさの裏にあった疲労は隠しきれなかった。
そして、落ちを努める、光田高校部長の冴子。
(杏子、見ててくれよ)
その矢は、冴子の想いそのものだった。部長としてチームを支え続け、牽引し続けた冴子。杏子の欠場は痛かったに違いない。だが、全国優勝の夢は自分の夢でもある。
限界をすでに越えていた冴子だったが、全員の思いを集結させたように、的に向った。
栞代、3本。沙月、3本。つばめ、2本。紬、2本。そして、冴子は、有終の美を飾るように、全ての矢を的中させた。4本皆中。合計14本。今の光田高校にはこれが限界だった。
――しかし、鳳城高校は強かった。
的場アナスタシアと真鍋楓音がそれぞれ3本。雲類鷲麗霞が中学3連覇の前の中学王者、橘真咲と鳳城高校部長の圓城花乃が4本、皆中。そして雲類鷲麗霞。誰もが固唾を飲んで見守る中、4本すべてを完璧に射抜いた。
その射型の美しさ、力強さ、心の揺らぎのなさ、まさに“王者の矢”だった。
結果は18対14。鳳城高校、堂々の優勝。光田高校、準優勝。
でも、そこに悔し涙はなかった。冴子は、沙月と抱き合いながら言った。
「やったよな、わたしたち」
沙月も、頷いた。「うん。もう、悔いなんて、何もない」
――創部以来の最高位、全国準優勝。かつて杏子の祖母が残した実績に並ぶ、光田高校の新たな歴史。
冴子はふと、天を仰ぐ。
「杏子、栞代、紬、あかね、まゆ、ソフィア、つばめ、楓、真映、一華…。あとは頼んだぞ」
その声は、確かに、未来へ繋がっていた。
表彰式が終わり、メンバーが部員のもとに集まった。
冴子が杏子に、
「いや、やっぱり鳳城は強いわ。一つの奇跡じゃ足らないな」
「冴子部長、最後の皆中凄かったです」
瑠月も感動を伝える。
真映が聞いてきた。
「部長、どうして鳳城高校に負けたかわかりますか?」
またか、と思いつつ、ここはやっぱり聞いてあげないと。
「なんでだい?」
「わたしが出場しなかったからですよっ」
「真映」
「は、はい?」
いつもは軽く笑ってくれるはずの場所で、冴子部長がマジメな顔で見つめてきた。
「来年。ほんっとに頼むぞ」
そういって肩を抱いた部長の冴子の目は、少し潤んでいるように見えた。
『月刊 弓道界』特別号 高校総体特集 不動監督 優勝インタビュー
――まずは、全国7連覇おめでとうございます。不動監督、今のお気持ちをお聞かせください。
「ありがとうございます。すべては、選手たちの努力と、それを支えてくださったご家族、学校関係者の皆さまのおかげです。わたしは、その環境を整えるだけの存在ですから、今日の勝利は、彼女たちの、そして支えてくださったご家族と学校関係者みなさんのものです。」
――決勝戦では光田高校との対戦となりました。鳴弦館高校との対戦は実現しませんでしたが、光田高校の印象はいかがでしたか?
「素晴らしい高校です。準決勝の鳴弦館高校戦で、競射を制して勝ち上がってこられましたが、それは偶然ではなく、間違いなく“精神的な強さ”の証です。特に冴子選手、あの集中力には、目を見張るものがありました。」
――惜しくも敗れたものの、光田高校は14本の的中。決勝でこの本数を出せる学校は、そう多くはありませんね。
「ええ。精神的にも肉体的にも、すでに限界を超えていた中での試合だったと思います。だが、それでも立ち向かい、最善を尽くす姿勢は、まさに“本物の弓道”でした。これは我々も見習うべき点だと感じています。」
――では、もし鳴弦館高校と対戦していたらどうだったとお考えでしょう?
「それは…“たられば”ですからね。ただ、篠宮かぐや選手が本来の調子であったなら、どんな勝負になったか、非常に興味深いものだったとは思います。いずれにせよ、光田高校さんも鳴弦館高校さんも、そして我々の鳳城高校のメンバーも、この大会を通じて大きく成長を遂げた。それがすべてだと思います。」
――雲類鷲麗霞さんの活躍も見事でした。今年も個人・団体ともに無双でしたが、来年もこの勢いは続きそうですね?
「いえ、それはまだ分かりません。」
――え? と申しますと?
「特に個人戦では、来年対戦するであろう、同じ年の篠宮かぐやさん、そして光田高校の杏子さん。このお二人の存在です。」
――杏子さん? 篠宮かぐやさんは実績も抜群ですが、個人戦を棄権された、あの杏子さんですか?
「はい。篠宮さんが好調な時の実力は、非常に高いと感じています。ですが、それでも、わたしは杏子さんの弓道への姿勢、磨き抜かれた射型、すべてが“本質”に触れていると思うのです。彼女の矢に、私は弓道の神髄を見ました。」
――(記者、若干困惑しながら)…なるほど。ですが、光田高校は決勝で敗れたわけですし、杏子さんは試合には出ていなかったわけで…。
「ええ。だからこそ、です。あのような形で表舞台から姿を消したにも関わらず、なお彼女の矢が、人々の心に残り続けている。弓道の外見に捕らわれている人たちには、彼女が示したものを、少し考えてもらいたいですね。その“存在の重み”は、結果以上に大きいのではないでしょうか。」
――(記者、小さくうなずく)…ありがとうございました。不動監督の静かで深い言葉の数々、胸に響きました。
「こちらこそ、ありがとうございました。」
――では、年末の高校選抜大会、そして来年の全国総体も、楽しみにしております。
「わたしたちは、あくまで“弓に向かう心”を整えていくだけです。結果は、後からついてくるものですから。」
杏子の失格を、ただの失格で終わらせないよう、不動監督の援護射撃でもあった。




