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ぱみゅ子だよ~っ 弓道部編  作者: takashi
2年生
154/433

第154話 厳敷高校宿舎へ

浮足立つ、というのはこういうことなんだろうな、と栞代は思った。


つばめも杏子も、楽しみで仕方ない、その気持ちが隠しきれていない。つばめはまだしも、杏子は、突然姿を消されたに等しい。

「杏子、怒る気持ちはないの?」

って、昨晩聞いてみたけど、頭どころか、全身に「?」マークが浮かんでた。そいえば、杏子が怒るって姿、見たことないな。

おじいちゃんがどんなちょっかいかけてきても、困ることはあっても、怒ること一切ないし、穏やかって言葉を辞書で調べた、きっと「杏子」って出てくるな、きっと。逆に、杏子の辞書には、「怒り」って言葉はないに違いない。あと「イライラ」とか「不満」とか。無い言葉多いなあ。


午前練習、つばめはそれこそ常に雲の上を歩いてて、コーチに何度か注意されてたけど、それでも杏子がオソロシイのは、弓を握ると宇宙に行ちゃうところだ。どんな時でも弓を握れば異世界旅行。おもしろいって沙月さんとか言ってるけど、オレは結構オソロシイと。


でも、祖父母が帰った直後の寂しさを弓で紛らわせたように、弓は杏子をきっちりと支えてくれる。おばあちゃん、そしてほんのちょっとだけは笑、おじいちゃんも支えているのが分かるな。


昼食は早めに済ませた。他の部員たちは午後練習に向けてゆっくり休んでいたが、三人は違った。食器を片付ける手つきも、いつもより少し速い。


つばめが目で訴えてたから、そろそろ行こうか、と声をかけた。

冴子部長、沙月さん、瑠月さん、紬、あかね、まゆ、全員からの手紙を預かる。

「よろしくな」「再会を楽しみにしているって伝えて」

そんな言葉が添えられた。


オレは絶対に文句言ってやるぞ。杏子に伝えるのも全部オレに任せやがって。いまだに許してないんだからな。


コーチに挨拶する。

コーチが見いだした才能でもあるもんな。杏子がいたからまで良かったけど、めっちゃ残念だっただろうな。コーチは表に感情を表さない人だけど。


すでに荷物は準備してある。

約束の時間に、タクシーが合宿場の前にやってくる。


玄関に出ると、山の風がひゅうっと吹き抜けた。

木立の間から覗く空が、さっきより少しだけ澄んで見えた。


三人で並んで立つその姿に、気になっただろうに、ちょうど通りかかったことを装いながら、冴子さんが声をかける。


「おーい、行ってらっしゃーい!つぐみによろしくねー!」


「ありがとございます。」

つばめが振り返って笑う。

冴子さんは、ずっと手をふってる。後で瑠月さんと沙月さんも覗いてた。


わたしは、その様子を見ながら、心の中でひとつ深呼吸をした。

杏子の表情を横目で確認する。

口元に力が入りすぎている。緊張してるな。けれど、うれしさも隠しきれていない。

——杏子、つぐみのことはほとんど口にしたことがないけど、やっぱり会いたかったんだなあ。

あんなにはっきりズケズケと言われてたのに。

そいえば、言われて楽しそうでもあったな。

つぐみが怒って、杏子が戸惑う。オレが仲裁。

そんなこと、何回もあったっけ。


タクシーがちょうど約束の時間に到着した。

無駄に大きなエンジン音が、静かな空間を一瞬だけ震わせた。


運転手はにこやかで、「20分くらいで着きますよ」と気さくに言った。

ドアが開いて、まずつばめが乗り込む。杏子が続き、最後にオレ。


扉が閉まり、車体がゆっくりと動き出す。

窓の外の風景が、じわじわと後ろに流れていく。


合宿場の屋根が遠ざかるにつれて、心の中のざわめきが増していった。

けれど、そのざわめきは、不安ではなく、静かな昂ぶりだった。


会える。

話せるかもしれない。

ゆっくりできるかな。






静かに、車は山道を進んでいった。

三人はまだ、言葉を交わさなかった。

けれど、その沈黙は、確かに前へ進んでいる音だった。

「……あれだな」

栞代が前方を指差す。


タクシーの窓から、低い屋根の宿舎が見えた。

道路沿いに広がる平屋と二階建ての建物が連なり、その奥に、白い幟が風に揺れていた。

厳敷高校弓道部の名前が玄関に書かれている。


「ほんとに来てるんだ」

杏子がぽつりと呟く。

そりゃそうだろう。栞代は言葉を飲み込む。


「なんか変な感じだね」

栞代が思わず笑う。

車が宿舎の前で止まる。

荷物と心の準備を整える前に、運転手が軽やかに「到着ですよー」と声をかけてくる。


車を降りると、さっきまでと空気の質が違っていた。

同じ信州の山の中なのに、ここには別の緊張感があった。

夏の合宿ではない、既に試合モードに入っているような空気感が漂っている。


宿舎の玄関で、三人は並んで立った。

受付に進んでいく。

その誰もが真剣な顔をしていて、軽口のひとつも聞こえてこなかった。


受付で名前と来訪の目的を告げると、職員らしき女性が案内図を指差しながら言った。


「皆さん、今はすぐ裏の練習場で練習中ですね。到着してから、ほぼ休まずに通しでやってますよ」


「すご……」

つばめが言った。


「さすが、というか……着いてすぐか」

栞代の口調には少し呆れと尊敬が混じっている。

「それだけ、戦ってるんだろうな、いろいろと」

栞代が付け加える。

その何気なく口にした“いろいろ”が、意味を持ってくるのはこのあとだ。


三人は受付に軽く頭を下げ、練習場へと向かう。

舗装された小道を抜け、樹々の間にある静かな建物が見えてくる。

中からは、かすかに弓の弦の音が聞こえた。

ピンと張りつめたような、その音だけが、この場所にいる意味を思い出させてくれる。


杏子は、もう口をきいていなかった。

何かを噛み締めるように、真っ直ぐ前を見て歩いていた。


——そして。


その三人の後ろ、少しだけ距離をあけて、一人の影がそっと続いていた。


厳敷高校の弓道着を着ている。その胸元の校章は一年生を表していたが、三人は知る由もない。


——練習場で起こっていること。

——あの人たちが見ないふりをしていること。

——つぐみ先輩が、全部、護ってくれたこと。


風が少し吹いた。

少女の短い髪が揺れ、日陰の下でその目が静かに光る。


——今日は妹さんが来るって言ってた。あの三人の中に居るに違いない。


彼女は、三人の背中を見つめながら、一歩、また一歩とついていく。


宿舎の静けさのなかで、ほんのわずかな気配だけが、重くなっていった。





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