第15話 遠征最終日
最初に杏子の祖父母を見つけたのは栞代だった。
「あれ?おじいちゃん、来てたんだ?」
栞代の声に応じて、背筋を伸ばした穏やかな笑顔の祖父が微笑んだ。「お~、栞代か。ぱみゅ子が試合するってのに、見ない訳にはいかないだろう?」」
「栞代ちゃん、こんにちは」と続けて、杏子の祖母も柔らかい口調で挨拶を返す。その声は杏子によく似た落ち着きと優しさが滲み出ており、どこか懐かしい空気さえ感じさせた。
「あ~、おばあちゃんも来てたんですね! みんなに紹介していいですか?」栞代が嬉しそうに微笑みながら、周囲にいた部員たちに二人を紹介した。杏子の祖母が話題に上がることはよくあったし、まさについさきほども話していたところだ。だが実際に会うのは皆初めてで、まるで杏子に瓜二つ、杏子の未来を見るように、温かく微笑む祖母を囲んで部員たちは興奮したように賑わい始めた。
部員たちは、杏子に感じる優しさや温かさは、この祖母から受け継がれたものだと実感し、静かな感動が広がった。コーチも祖母に深く頭を下げ、挨拶をした。
「杏子さんの弓道に対する姿勢、本当に素晴らしいですね。おばあさんの指導の賜物だと思います。」
祖母は少し驚いたように微笑み、「いいえ、杏子の射型は中田先生の指導が素晴らしかったおかげです。私はあくまで補助をしているだけで…」と謙虚に返した。
拓哉コーチは、中田先生の名前が出てきたことに驚いた。自分も数年前に指導を受けていたからだ。もしかしたら、知らずにその時に会っていたのかもしれないな。だが、今はその記憶を辿ることはしなかった。
コーチはさらに熱心な眼差しで、つい先ほどの出来事を振り返るように話を続けた。「いや、杏子さんが素晴らしい射型を貫けるのは、おばあさんの教えがあったからこそだと思います。中田先生に敬意を払っているのも、おばあさんからの言葉があるからではないですか…」
そう言われて祖母は少し顔を赤らめ「ありがとうございます。」と、深々と頭を下げた。さらにコーチは、「私も学生時代、中田先生に救われたことがありましてね」と懐かしそうに語り始め、祖母もその思いがけない話に驚きながらも、丁寧に耳を傾けた。
そして、場の和やかな雰囲気に包まれながら、杏子の祖父母を中心に部員たちの会話は一層盛り上がっていった。杏子の祖母の柔らかで温かい存在感が皆に安心感を与え、祖父のどこかとぼけた会話も、盛り上げるのに一役かっていた。。そんな穏やかな時間の中で、杏子自身も祖父母の愛情を感じ取り、とても幸せな時間を過ごしていた。
やがて、祖父母が今日のうちに帰るため、一旦杏子と別れることになった。祖母は杏子の手をそっと握り、「今日の射型は本当に美しかったわ。杏子ちゃん、慌てずにね。焦らずに、自分のペースでね」と優しく励ました。その一言に、杏子は深く頷き、祖母の温かい手のひらから心の力を受け取ったように感じた。
そこへ、祖父が少し照れくさそうに口を開いた。「いやあ、相手の最後に出てきたあの子…雲類鷲麗霞って言ったか?すごい美人じゃったなぁ…」
杏子の隣にいた栞代が思わず吹き出し「おじいちゃん、感心するとこはそこじゃないでしょ!」と突っ込むと、皆は一斉に笑い声をあげた。こうして、光田高校の弓道部は心温まるひとときを過ごし、杏子の祖父母と別れ、その場を後にした。
その日の遠征の宿泊先は、鳳城高校から少し離れた場所に決まっていた。宿に着いた部員たちは、緊張の解けた空気の中で、試合の振り返りやこれからのことについて、賑やかに語り合った。
「明日は早いから、あんまり夜更かしするなよ」と、コーチが軽く釘を刺したものの、部屋の中では普通の高校生らしく、さまざまな話題で盛り上がっていた。勝敗のことも、外した悔しさも、それぞれの胸に感じながらも、皆がこの遠征の一日を噛み締めていた。
しかし、試合の緊張と疲れはやはり大きかったのだろう。思っていたより早く皆も寝床に入り、静かな夜が訪れた。
一方、コーチと顧問の滝本先生は、今回の練習試合を総括し、今後の方針を話し合っていた。二人の頭に強く残っているのは、男女ともに、二巡目の不調だった。二順目は、まだ体力的には余裕があったはず。なのに崩れた。女子には、杏子とつぐみが居たから持ち直せたが、メンタル面でのさらなる鍛錬が必要だと確認し合った。
「それにしても、杏子と小鳥遊つぐみの加入は、予想以上にチームに大きな影響を与えてくれましたね」とコーチが感慨深げに語った。杏子の安定感とつぐみの闘志が、部に新たな風をもたらし、それぞれの技術と精神面において大きな成長を促していることを二人は感じていた。
「男子チームはまだ即座に結果を求めるのは難しいですが、女子チームは、今年は地区予選突破はもちろん、県大会での優勝、つまり全国大会出場を目指していきたいですね。」滝本先生が力強く言うと、コーチも同意してうなずいた。
滝本先生が「実は私、杏子とは、まだ幼い頃に会ってるんです。中田先生と一緒に。樹神コーチに黙っていたのは、変な先入観を与えたく無かったからなんです。」と打ち明けた。
「ただ、あそこまでの射ち手だとは知りませんでした。体調を崩していたし、去年自分の高校のことで手一杯でしたから。中田先生からは、射型のことはよく掴んでいる、とおっしゃってましたが。あと、中田先生は、とても繊細な子だから、ゆっくりと見守る必要がある、とも。今は、その役目は杏子の祖母が担っているんですが。」
「なるほど。そうだったんですね。杏子のおばあさんの指導は、杏子さんに勇気も与えていますよ。今は栞代がずっと側に居て安心ですが、わたしも気にかけておきます。」
地区予選はもうすぐだ。県大会までも約一か月後だ。杏子やつぐみ、そして仲間たちがどこまで成長していくのか、期待と課題を胸に抱えつつ、光田高校弓道部の新たな挑戦が始まろうとしていた。




