第149話 私を導いてくれた光。
静かに蝉の声が包む中、的前に立つ。遠的の距離は、近的よりもずっと長いのに、わたしの心は案外近くにあった。
ここは“最後の戦場”じゃない。“最初で最後の挑戦”。蓮遥祭。年齢の関係でインターハイには出られない私にとって、ここが本当の本番。あの子たちと、一緒に立てる最後の舞台。
深澤コーチから渡された遠的専用の矢を手にしたとき、遠的用は細く軽く、矢羽も短い。その矢を受け取ったとき、わたしの気持ちに火がついたように感じた。弓道は静の武道だとよく言うけれど、わたしの中では今、焔のように熱い。
……あの子たちと、最後まで一緒にいられるなら、怖いことなんてない。
今日のローテーションは、杏子ちゃんの時間が長い。
彼女が的前に立つと、空気が一変する。矢を番えるその姿は、まるで神前の巫女のようで、引いた瞬間に空が裂ける。どんなに集中していても、つい目が奪われてしまう。
冴子も沙月も、すごい集中力だったけど、杏子ちゃんは少し違う。
冴子は鋭い研ぎ澄まされた感じだけど、杏子ちゃんは、のんびりと空気をまとうというか。誰も彼女の世界には入れない感じというか。
それでいて、どこかとぼけてる。
「杏子ちゃん、四本中…三本全部、か。すごいわね」
「瑠月さん、まだ一本余ってます!」
ん? とぼけてるのはわたしの方だった。
屈託のない笑顔で返す杏子ちゃん。
二人での練習で、まだまだ最初だから、時々会話をしたりする。あんまり、だと、深澤コーチから怒られちゃうけど、疑問点なんかを話すフリしたりするのも楽しい。
ああ、ほんとにこの子は、どこまでも真っすぐ。でもどこまでも不器用で、自分のことは後回しにする。
みんな、この子の力に驚くけど、それはずっと努力に支えられていたんだなって改めて分かる。
杏子の祖父から、杏子が弓を始めたとき、それはある意味英才教育だったけど、とんでもなく泥臭く、誰でもできるけど、多分誰もが途中で辞めちゃうものだったな。
弓道は、実際に矢を引くのが快感で、そこに辿り着くと、もちろん違う悩みや苦しみが出てくるんだけど、結果を気にしなければ、引くのは絶対に楽しいだけ。
でも、矢が的にあたる快感を知っちゃうと、やっぱりそこに捕らわれちゃう。
この子は、本当に楽しい、好きだけで引いてる。それは、最初、絶対に矢を持たせて貰えなかったことにもあるんじゃないかな。正直、ある程度素引きをしたら、やっぱり早く矢を引きたくなっちゃう。
うちの部も、最初は強制的に持てない。3ヶ月以上。最初はいいけど、脱落する子も出てくるのは仕方ないって思う。
杏子ちゃんの話を聞くと、3ヶ月どころじゃなかったのに。でもこの子は、おばあちゃんの夢を引き継ぐ、その思いだけで頑張ってた。
それに比べたら、遠的の練習は、もう初日から弓を引いて、むしろ、距離に慣れる必要があるから、それが目的。
きっと楽しかったんだろうな。
遠的自体、遠くまで矢を届ける、そういう楽しさもあるから。
今はもう力があるから、冴子や沙月と比べてもあんまり変わらない出だしだった。でも、あの二人と変わらない、というところが、また妙に可愛かったな。
だって、正直なところ、近的では、絶対にあの二人は敵わないから。わたしもだけど。
きっと遠的も、すればするほど、置いていかれるような気がするんだけど、彼女の最初に立ち会えたことは、一生の財産になる。
この子にはあてたい、というところがほんとにない。近的のときもきっとそうだったんだろうけど、遠的では、もっとはっきりと楽しく矢を引いてる、ということが伝わってくる。
……でも、だからこそ。わたしはその矢が、届くべきところに届くよう、そっと背中を押す人でありたい。
冴子や沙月は、まっすぐな競争心でここに立ってる。だけど、わたしには、また別の思いがあった。母がつけてくれたこの名前――瑠月。暗い夜に、誰かを導く月の光のように、誰かの道を照らすこと。それが、わたしの弓道。
母はもういない。でも、あの人がこの名に込めた願いは、今も私の矢に宿ってる。継母とはよく笑うけれど、母のことを話すときは、どうしても少しだけ遠くを見る自分がいる。
あの頃、父は壊れかけていた。それでもギリギリがんばれたのは、わたしが居たからだと父は言ってた。
進学せず、働いてた。諦めてた。だけど、今の母と出会って、私も、父も、救われた。
瑠月として、生き直せた。名前の意味が、改めてわたしの生き方になった。
……そして、今。
この合宿でのわたしの役割は、引くだけじゃない。見ること。伝えること。
練習を一緒にできないからこそ、気になる一年生たち。
――特につばめちゃんや楓ちゃん。あの子たちの心の動きを感じ取る。
つばめちゃんは、姉の姿を追うことで自分を保ってる。でも、最近は明らかに変わってきた。自分の矢、自分の道を探そうとしてる。それこそが、姉に追いつくことだと気がついたみたい。杏子ちゃんを見てたら、やっぱりそう思うよね。
楓ちゃんは、まだ自分のペースをつかみきれていない。食事の時、就寝前に話を聞く。そっと「ゆっくりでいいよ」って言えば、頷いてくれる。未経験者が一年生では一人だったから、気後れもあると思う。そこはソフィアも同じなんだけど、ソフィアはそもそもが留学生という気持ちがあって、そこは覚悟してるみたいだった。でも二人とも、芯の強さを、持っている。
だから、わたしは今日も、朝から的前に立つ。
この道が、誰かにとっての光になればいい。そんな思いで、今日も矢を引く。
光田高校弓道部は、まだまだ続いていくんだから。




