第143話 もうひとつの表彰式
試合が終わり、会場に拍手が響く中、表彰式が執り行われた。
杏子は、静かに壇上に立つ。胸には金色のメダル。首からかかるその重み。メダルを握りしめ、ひとつ深く息を吐いた。
──観客席の一角。祖父が、そっと頷いていた。瑠月が微笑み、前田が、日比野が、川嶋女子の仲間たちが、暖かな視線を送っていた。
表彰式が終わる。
「ね、川嶋女子に応援のお礼を言いに行こっ」
杏子が小さくつぶやく。隣の栞代、つばめが頷く。三人は、ゆっくりと歩き出した。観客席へ。目指すは、あの川嶋女子の集団だった。
ところがいざ川嶋女子のところに行くと、なかなか声を掛けられない。
杏子の保護者の栞代が、代わって声をかける。
「日比野さん」
日比野が振り返る。
栞代は続ける。
「今日は、応援本当にありがとうございました。すごく心強かったです」
川嶋女子は、三人を拍手で迎えた。
「杏子さん、ほんとうにおめでとう。すごかったよ。栞代さんもつばめさんもほんとによくがんばったな」
前田や高梨が栞代とつばめを取り囲む中、杏子は勇気を出して日比野の前に立つ。
杏子はメダルを外し、手の中でそっと見つめた。金色の輝き。光が反射し、瞳に火花のように映り込む。
「今日は、ほんとに応援、ありがとうございました。」
杏子は深く一礼した。
「その……応援、すごく力になりました。」
杏子は、まっ赤な顔で続ける。
「……だから、その、このメダル、日比野さんに、受け取ってほしいんです。」
その言葉に、日比野が目を見開く。前田が驚き、周囲も一斉に驚きの声を上げた。
栞代も、つばめも驚いていた。
「……杏子さん、それは杏子さんのだろ。お前が勝ち取ったものだ。」
日比野の声は低く、優しかった。戸惑いつつも、でも、断る意志がはっきり見えた。
杏子は首を横に振った。目はまっすぐに、日比野を見据えていた。
「違います。……これには、日比野さんの力なんです」
「え?」
「私……昨日、日比野さんと前田さんが尽力した老夫婦のお話、聞きました。人を助ける勇気、あの選択、あの行動──わたしは今、祖父母と暮らしています。だから、ほんとに全然他人事じゃなくて。もしお二人が居なかったらどうなったか考えたら、すごく恐いんです。しかも試合があるというのに。私、本当にうれしくて、お二人に感謝しているんです」
堰を切ったように杏子は続けた。
「私、思ったんです。私は、正しい姿勢で弓を引くだけ。それだけをいつも考えています。あとの結果はたまたまだって、おばあちゃんに教えてもらいました。私の力じゃないんです。結果はわたしが決められるんじゃないんです。わたしはただ弓を引くだけ。だから、今日の結果は、日比野さんの思いの結果なんです。日比野さんが応援してくれたから、前田さんが応援してくれたから、日比野さんと前田さんが助けてくれたから。その・・・」
見かねた栞代が割って入る。「杏子、落ち着け落ちつけ」
杏子は、メダルを日比野に差し出した。ただ、まっすぐに。
「……私ひとりの射じゃありません。日比野さんの勇気、前田さんの優しさ、全部含めて、今日の結果なんです。だから、これを受け取ってほしいんです。お二人の思いなんです。いや、ほんとは、もっともっと大きなことを、お二人は行動で示したんです」
日比野は、固まったように立ち尽くした。周囲も言葉を失っていた。前田が、小さく息を呑んだ。
「でも……それでも、私は、受け取れないよ。個人戦とはいえ、やっぱり杏子さん一人のものじゃないと思うし。おじいさんも楽しみにしてるだろ。」
日比野の声は、かすれていた。
栞代はなんとか杏子の願いを叶える方法はないか考えていた。
すると、杏子は、突然固まっていたかと思うと、すぐにふわりと笑った。
その笑顔は、杏子にしかできない。幼稚園児のそれだった。
勝負あったな。栞代は思った。
「……じゃあ、預けます。」
「──え?」
「だって、たまたまわたしが代表して受け取っただけなんです。受け取ってくれないなら、預けます。
だってだって、日比野さんや前田さん、みなさんが応援してくれたからのメダルです。わたしがずっと持ってるのはおかしいです。だから、まずは、日比野さんに預けます」
だって、でも、どーせは女の特権だって言うけど、なんか使い方間違ってねーか。栞代は横で笑いながら一人で突っ込んだ。
日比野の瞳が潤んだ。口を開こうとしたが、声が出なかった。前田がそっと肩に手を置く。
「杏子さん」
日比野はまっすぐに杏子を見た。
杏子は、再び静かに手を伸ばした。杏子は、日比野の手を取り、金色のメダルをそっと包んだ。暖かい重みが、掌に落ちる。
「……じゃあ、預かるだけな。時期が来たら必ず返す。」
杏子は、にっこりと微笑んだ。
「ありがとう。」
──周囲の川嶋女子の仲間たちも、涙を浮かべていた。
「強さの秘密を見た気がする」
日比野が、かすれた声で呟いた。
そして日比野は続けた。
「全国で対戦するの、楽しみにしてるよ」
お前なら、雲類鷲麗霞と勝負できるかもな。その言葉は飲み込んだ。
人だかりができていたので、コーチも駆け寄り、その様子を見ていた。
杏子らしいな。そう思った。これからいろいろと大変だな。でもまあ、若さの特権か。
そんな風に思い、また、杏子のその気持ちこそ、光田高校弓道部が誇れるものだ、とも思った。
今回は、宿には泊まらず、このまま光田高校へ帰ることになっていた。
バスに遅れて乗り込んだ三人。栞代が代表して、ことの顛末を話す。
全員一様に驚いていたが、一瞬間を置いて、大きな拍手が起こった。
栞代が、杏子の頭をぽんぽんする。
杏子は、信頼できる仲間が居ることに感謝した。
あっ。あれ。
時間が無くて栞代に引っ張って来られたけど、おじいちゃんとおばあちゃんに会ってない。
窓の外に目を向けると、にこにこしたおじいちゃんとおばあちゃんが立ってた。
またあとでね。大きく口を動かして杏子は二人にそう伝えた。
バスが動き出し、一段落したと思ったら、真映が手を挙げた。
「はいはいは~~いっ。コーチ、今日、杏子先輩が勝てた理由、わたしわかりました。」
なんとなく落ちは分かってはいるが、コーチは遮らず言った。
「ほほう。なんだと思う?」
「それは、わたしが応援したからですっ、でしょ?」
あかねが代わって声を出す。
「もー、あかね先輩、なんでわかるんですか。それに、いいところとらないでくださいよ~」
バスは笑いに包まれた。
もうひとつ、忘れてはならない。
栞代が紬に聞いた。
「紬はどう思う?」




