第141話 団体戦の夜
惜しくも準優勝で終わった光田高校。試合を終えた彼女たちの胸には、悔しさとともに、全力で戦い抜いた清々しさが静かに息づいていた。
──だが、心の奥には、ほんのわずかな影が残っていた。
去年の優勝メンバーが三人も残っていたこと。瑠月が自ら辞退したあの決断。その想いを背負い、なお届かなかった一位。
瑠月の気持ちに、少しでも負担をかけないため、絶対に必要だった優勝。
冴子は、迎えに来た瑠月に、まっすぐ頭を下げた。額にかかった前髪が揺れる。
「すいません。」
その声は震えていない。けれど、その目には、消えない悔しさが宿っていた。勝ちたかった。瑠月の辞退を「勝てなかった理由」にしてしまうことを、絶対に避けたかった。
──瑠月は、そんな冴子の想いを、すべて見抜いていた。
微笑みながら、静かに言葉を返す。
「素晴らしかったわ。……つぐみちゃんの言葉、覚えてる? 団体戦は全員の結果。誰がどう、じゃない。……だから、みんな、本当に素晴らしかった。そしてこの結果は、光田高校弓道部、全員の結果。」
その声は柔らかく、でも芯のある響きだった。周囲にふわりと温かい空気が広がり、冴子の眉が、わずかに緩んだ。
瑠月は、冴子をしっかりと抱きしめた。
瑠月は次に杏子の元へ近づいた。
杏子は、人混みをきょろきょろと目を泳がせていた。焦点の合わない視線で周囲を探し、背伸びして覗き込む。
「杏子ちゃん、おじいちゃんとおばあちゃん、探してるの?」
「はい……今日の射型、どうだったかなって……」
「ふふ、杏子ちゃんらしいね。」瑠月が微笑む。
「おじいちゃん、どうしてました?
試合が始まったら、気が散るからって、遠慮してるからなあ」
「なかなか出ない杏子ちゃんに、ちょっと退屈してたみたい。でも……負けた時、栞代ちゃんのこと心配してたわ。ずっと皆中だったのに、最後に外してしまったから、責任感じてないといいなって。」
栞代は横で静かに聞いていた。少し間を置き、ふっと息を吐く。「確かに悔しかった。でも、あれが実力。杏子のすごさが、また一つわかったよ。責任はもちろん感じるけど、練習あるのみ、だもんな」
「栞代ちゃん、かっこいいよ」瑠月がそっと肩に手を置く。
瑠月は、杏子を見つめた。「でも……杏子ちゃんの引く姿、やっぱり、輝いてたよ。」
杏子は顔を真っ赤にした。。
「瑠月さんありがとうございます。
……おばあちゃん、どこかなぁ……」
当の祖母は、トイレの前で泣いてる祖父に寄り添っていた。負けた悔しさ、悲しさだけじゃない。素晴らしい戦いを見せた、光田高校のメンバー、そして川嶋女子の戦いに、大きく感動していた。
──
風が吹いていた。会場の空には夏雲が浮かび、夕方の陽が赤く照り返す。舗装された道路には、立ち上る熱気がまだ少し残っていた。迎えのバスのアイドリング音が低く響き、コンクリートの隙間に草の匂いが混じる。
バスの中は、静かな笑い声と小さなため息が入り混じる。不思議な沈黙が漂っていた。疲労と達成感、どちらも心地よく体に残り、シートにもたれかかる背中が、どこか安堵を滲ませる。
──
「コーチ、みなさん素晴らしかったけど、わたし、敗因は分かっています。」
真映が手を挙げた。車内に笑いが溶ける。
「真映さん、それじゃ、真映さんの分析を聞きましょう。」拓哉コーチが笑いを噛み殺しながら促すと、真映は自信満々に言い放つ。
「わたしが出場しなかったことです。」
「……!」一瞬の沈黙の後、爆笑がバスいっぱいに広がった。
「えっ? なんで笑うの。わたし真剣だよっ!」
その声に、また一段笑いが大きくなる。
「真映、大好きだぞっ」
あかねが叫ぶ。
心が、軽く、明るくなった。誰もが同じ方向を向いていた。負けた悔しさを共有しながら、それでも前を見据えていた。
──
隣にすわったまゆが、あかねにそっと囁く。「あかね、頑張ったね。」
「うん。めっちゃ緊張したけど、全部外れないで良かった。」
「すごい経験になったね。……次はインターハイだね。」
「頑張るよ。」
──
宿舎で夕食を取り、自由時間となった。明日個人戦に出場する、杏子、栞代、つばめに対して、応援の言葉が送られた。
その後三人は、コーチと共に練習場に行き、少ないながらも弓を引いた。
姉に杏子の弱点を聞いていたつばめは、
「杏子さん、明日は絶対に最高の杏子さんを見せてくださいね」と念を押した。栞代が引き継ぐ
「この大会は、別に勝ったから先に繋がる訳じゃない。でも去年はつぐみはインターハイに出るから、自信を持たせたいって思いもあったけど、今年は、それもないから、まあ、大丈夫だろう。でも、つばめ、今日は本当によく頑張ったな」
「姉に比べたらまだまだ、ですね。それにしても、栞代さんの強さ、そして杏子さんの異常さには驚きました。」
「そうだろ? こいつ、弓を引かせたら宇宙人なんだよ」
「え~っ。なによそれ~。」
完全にリラックスしている3人だった。リラックスと集中は背中合わせ。コーチは、そんな三人を頼もしく思い、明日が楽しみだった。
宿舎へ帰ると、杏子の祖父母が尋ねて来ていた。
杏子が祖母に駆け寄る。
「おばあちゃんっ」
栞代とつばめはそれを見て、弓を握らせたら異次元の安定と、もはや風格まで感じる杏子が、祖母の前に出ると、幼稚園児のようになる。
微笑ましくも、不思議な感じがした。
「栞代、気にするなよ」
栞代の後から、ぼそっと杏子の祖父の声がした。
「うわっ。おじいちゃん、びっくりするだろ。痴漢と間違えられても文句言えないぞ」
それを聞いてつばめは笑いを堪える。
「なにが痴漢じゃ。こんなイケメンを捕まえて。もう団体戦は終わった。明日は、個人戦じゃろ。ちゃんと応援してやるから、切り換えて頑張るんじゃぞ」
「うううむ。恐ろしい。おじいちゃんが優しいなんて、これでもうオレは一生優しいおじいちゃんには会えないな」
「なに言っとるんじゃ。いつも優しいのを知らんのか」
「知らんなあ」
「ふん。栞代は明日、杏子の凄さを改めて思い知ることになるぞ」
「いや、おじいちゃん、それはもう今日十分思い知ってるんだよ」
つばめも、大きく頷いていた。
明日の個人戦に向けて、三人は早めに就寝した。




