第139話 ブロック大会団体戦その1
光田高校は前泊として試合地に乗り込んでいた。練習場での弓を使った練習は必要最小限ではあったが、その後のトレーニングは、いつも以上の厳しいものだった。
夜の宿に、静かな息遣いが重なる。光田高校の選手たちは、それぞれの布団に体を沈め、深い眠りの中にいた。外では風が軽く木々を揺らし、葉の擦れる音が耳に心地よい。
誰も夜更かししておしゃべり、などとは思っては居なかったが、前年度チャンピオンという重圧は全員が感じていた。拓哉コーチの課したハードなトレーニングは、彼女たちの心と体に疲労という名の静けさをもたらし、重圧も不安も、今はひととき夢の彼方に溶けていた。
翌朝、朝陽が窓から差し込む中、ブロック大会が始まった。開会式で優勝旗が返還される瞬間足した手渡した冴子の胸の奥に、かすかな痛みとともに決意の炎が灯る。『もう一度、この旗を学校に持って帰る』
その思いは、光田高校の仲間たちの中に、言葉にせずとも確かに共有されていた。
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団体戦の予選準備が進む中、いつも隣にいる川嶋女子のメンバーたちが、どこか慌ただしい様子だった。冴子が眉をひそめ、高梨に声をかける。
「どうしたんだ? ……そういえば、日比野と前田が見当たらないな。」
高梨の顔には、不安が色濃く滲んでいた。「実は昨日の集合前にトラブルがあって……今朝には到着するはずだったんだけど、まだ来てなくて。」
その言葉に、冴子はふっと息を飲む。日比野は杏子に似たタイプだ。普段はぼんやりしていても、弓を握ると人が変わる。そういう人が欠けることの重みを、冴子は知っていた。
間に合えばいいが。
最高のメンバーで戦いたい、という地区予選の後、強引に押しかけて行った練習試合の時の高梨の言葉を、冴子は思い出し、間に合うように祈った。
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結局、日比野と前田は間に合わなかった。川嶋女子のメンバーの心には、間に合うかもしれないという期待と、間に合わなかったという落胆が交錯し、その動揺は的を前にした矢に現れた。一本、また一本と外れる音が、場の空気に小さな影を落とす。
残されたメンバーも、決して侮れない実力の持ち主揃いであったが、まったくその実力を発揮することができなかった。
それでも、なんとか16位で決勝トーナメントに滑り込んだ彼女たちの背中は、晴れやかな誇りよりも、悔しさに僅かに震えていた。
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光田高校の団体戦は、当初の予定から沙月を外し、つばめが代わりに加わった。前夜、沙月自身が申し出たのだ。「この大会、つばめにトライさせたい。瑠月さんがその思いから辞退したように、私も何かしたい。来年、再来年の光田高校のために」
拓哉コーチは深く頷き、その意志を受け止めた。「決勝トーナメントでは、全員で戦うから。頑張るんだぞ」
団体戦の予選は、個人戦の一次予選を兼ねている。個人戦での戦いを望むものは、この予選に出場する必要がある。だからこその思いでもあった。
その思いを受け止め、つばめは予選で3本を的中させ、個人戦出場の切符を手にした。一方、冴子は、沙月の思いを受け止めつつ、思い入れが強すぎた緊張が影響し、2本にとどまった。チームとしては14本というまずまずの成績。だが、全国を狙うには、まだ足りない。そんな予感が、静かに彼女たちの胸を過ぎった。
鳳泉館高校は、予選をトップで突破した。去年の雪辱を期し、牙を研ぎ澄ませた獣のような気迫が、彼女たちから放たれていた。
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予選の結果から、決勝トーナメントの一回戦で、いきなり川嶋女子と鳳泉館が、一回戦で激突するという波乱のくじ運。
その一回戦は、まさに激闘だった。鳳泉館が予選以上の16本を叩き出せば、川嶋女子も、日比野と前田が加わった完全体で挑む。心に宿った「打倒光田」の炎が、鳳泉館にも引けを取らない強さを生んだ。
この一射にかける思いの激突。射場には張り詰めた緊張が漂い、矢が放たれるたび、空気が震えた。
本戦では決着がつかず競射へ。沈黙の中、放たれた矢。わずか一本の差で、川嶋女子が勝利を掴む。
昨年度の準優勝校、鳳泉館高校が、一回戦で姿を消した。桑原美香という絶対的エースが支えた昨年度とはは異なり、全員で勝つ力を磨いてきた彼女たちは、今年の方が“強い”と言われていた。それでも、勝負の女神は微笑まなかった。
鳳泉館の視線は、「打倒光田」から「打倒鳳城」へと向きを変え、全国大会へ気持ちを切り変わった。
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光田高校の一回戦の相手は、法隆学院。
拓哉コーチは、川嶋女子の混乱を目の当たりにし、もし杏子や栞代が欠場したら、自分たちも同じだと悟った。精神的な支柱である冴子だってそうだ。そして、なにが起こるか分らない。
「全員で戦って、全員で勝つ。」
その意志を伝えるため、コーチは新たなメンバーを選んだ。つばめ、あかね、沙月、紬、冴子。
「この大会は、全員の力で戦う。」
その言葉を胸に挑んだ一回戦。初出場のあかねが一本を決め、沙月、紬が2本ずつ、つばめと冴子が3本ずつを的中させ、合計11本。予選から的中数は落としたが、それでも法隆学院の8本を上回り、準々決勝進出を果たした。
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準々決勝の相手は、隣県の優勝校・淀川産業高校。杏子を続けて外し、つばめに落ちを託した。
接戦の末、栞代と冴子が昨年度の選抜大会を思い出させるような精神力を発揮し、皆中。沙月が3本、つばめが3本、紬が2本。16本という数字は光田高校底力を示すものといえた。それでも一本差。光田高校は、難敵を退けた。
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勝負の世界に奇跡はない。あるのは、積み重ねた努力と、信じる心だ。
杏子は仲間たちの姿を見つめていた。
見ている方が圧倒的に辛いな、と思った。
杏子の姿を見ながら、瑠月は、杏子ちゃんは見ている方が圧倒的に辛いだろうな、と思った。
的前に立った時の杏子の、的の他に何も見えていない、いや、杏子に限っては、的さえも見えていないような、考えられないほどの異次元な集中力を思うと、見るだけって辛いだろうな、と。わたしなんかより、もっともっと。
がんばれみんな。
そして、がんばれ杏子ちゃん。杏子ちゃんは、人の練習を見ているのも良い練習って言ってたけど、人の試合を見るのも、すごくいい練習だよ。