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ぱみゅ子だよ~っ 弓道部編  作者: takashi
2年生
132/436

第132話 県大会個人戦

朝の雨粒が蒸発してできた薄い靄が射場を淡く包み、観覧席のざわめきさえ水に溶けるように吸い込まれていく。個人戦に出場する光田高校の五人、冴子、杏子、栞代、紬、つばめは、晴れ残った雲間の光を背に、的へ向かってひと筋の道を結び合った。


観客席のざわめきは、まるで遠い波音のように微かで、場内にはただ、矢を番える指先の震えと、衣擦れの音だけが響いている。


個人戦の幕開け


予選の空気は、冷たい水面に一石を投じるような緊張感に満ちていた。


つばめの一射目、その矢は惜しくも的を逸れ、微かな風が会場の空気を震わせた。しかし彼女は、湖面に落ちた葉が静かに沈むように、ゆっくりと落ち着きを取り戻した。緊張の糸はぴんと張り詰めたままだったが、彼女は次の矢を取り、静かに呼吸を整える。柔らかな春の光が射場に射し込む中、その二射目、三射目は確実に的を射抜き、四射目もぶれることなく決めた。その立ち姿からは、まだ少女らしさが残るものの、射に込められた意志は確かなものだった。


栞代は、安定した射型で二射目までを淀みなく射抜いたが、三射目でわずかに弓手が揺れた。矢は的を逸れ、微かな悔しさが彼女の眉間を僅かに寄せる。だが、四射目、彼女はその迷いを断ち切るように、静かに狙いを定め、矢を放った。見事、中心を射抜き、予選突破を果たす。その背中には、確かな成長の跡があった。


冴子は最初の三射を余裕すら感じさせるほどに決め、、安堵の隙間に四射目を外し、己の甘さを噛み締める。まるで団体戦の決勝を繰り返したような展開に、予選突破の喜びは消え去った。昨日の団体戦、決勝の場面。あのとき、最後の一矢を外した自分。深く礼をしながらも、冴子は、部長としての自分の立場を省み己を責め、拳を強く握りしめた。



杏子は、その気配すら風に溶け込むような静けさの中にいた。射場に立つその姿は、春の陽に照らされる新緑のように鮮やかで、芯の強さを宿していた。四本の矢は迷いなく放たれ、すべてが中心を射抜いた。その射に乱れはなく、まるで一陣の風が流れるように、自然と矢が的へと導かれているかのようだった。



紬は、慎重な面持ちで一射目を決めたものの、二射目、三射目で緊張が波となって押し寄せた。矢はわずかに逸れた。悔しさを表情には表さなかったものの、心を震わせた。それでも、四射目には心を整え、見事に的を射抜き、深々と礼をする。その姿は、敗北の中にも一筋の光を感じさせる。


準決勝


準決勝、その緊張はさらに高まった。草木の薫りすら感じさせる会場の空気は、徐々に重みを増していく。栞代は一射目を外し、つばめは三射目でわずかに揺らぎ、冴子は二射目を外す。三人とも、それぞれの弱さと向き合いながら、それでもプレッシャーの中、後のない場面で、静かに落ち着いて矢を放ち続けた。射場に響くのは、弦音と矢が的に当たる音のみ。追いこまれた状況でも踏ん張った。

杏子はまたしても異次元の安定感を見せ、四射すべてを射抜き、4人全てが決勝への道を切り拓いた。


決勝


決勝の舞台、つばめは最初の二射を外し、夢の終わりを静かに受け入れる。冴子もまた、二射目、三射目を外し、競射の舞台から姿を消す。栞代はここで調子を上げ、四本すべてを的中させ、杏子と並び競射へ。


決勝の舞台に立つ者たちの顔には、予選や準決勝とは異なる表情が宿っていた。つばめは最初の二射を外し、肩を落とした。姉との全国大会での対決――その夢はここで潰えた。三射めも外すが、最後の一射には全力を込め、的を射抜いた。冴子も二射目、三射目を外し、競射への道は閉ざされた。それでも四射目を決めたその姿は、すぐに先の失敗を取り戻す強さがあった。

栞代は、この舞台でその真価を発揮した。四射すべてを迷いなく射抜き、杏子と並んで競射へと進む。その背筋は凛と伸び、風に揺れる草木のようにしなやかだった。



競射――矢の音だけが響く世界


杏子、栞代、そして川嶋女子の日比野希が競射に望んだ。

的は24センチ、狭まる円は、射手たちの心の内側を映し出す鏡となる。場の緊張は極限に達した。無言のまま、射手たちは矢を手に取り、静かに己と向き合う。


同門対決に極端に弱い杏子のことを栞代は考えた。去年のつぐみの思いが、今自分のものとなった。

その少しの心の隙間、そして、初めての競射、的はより小さな二十四センチ的へと変わるプレッシャーに外してしまう。場の空気が一層深く沈み込む。

栞代は自分も同じ弱点を持っていることに気がつくが、せめて、これで杏子は何も考えずに弓を引ける、と確信した。


日比野、杏子は矢を放ち続け、的を射抜いていく。三射目も終わり、勝負の行方は四射目に託された。日比野がわずかに揺れ、矢は的を逸れた。杏子は最後まで揺るぎなく、矢を放った。矢は静かに、しかし確実に、的の中心を射抜いた。


杏子は、昨年の新人戦に続き、県大会二連覇を成し遂げた。県大会の頂点に、再びその名を刻む。その姿は、射場に差し込む陽光と重なり、まるでひとつの象徴のように輝いていた。射終えた後も、彼女の姿勢は変わらず、ただ静かに礼をする。その背には、彼女が積み重ねてきた努力が宿っていた。


試合会場は、まるで水面に張った薄氷のようだ。誰かが矢を放つたび、その氷に小さな亀裂が走り、しかしすぐに静けさが戻る。射手たちは、己の内なる波風を抑え、ただ一点、的の中心だけを見つめる。矢が放たれる瞬間、時が止まり、空気がわずかに震える。

弓を引く姿は、春の若葉が風に揺れながらも、根を張り続ける強さを思わせる。矢が的に吸い込まれるたび、見えない糸が射手と的を結び、静謐の中に熱い情念が滲み出す。


それは勝者が決まった瞬間も変わらぬものだった。



そんな張り詰めた空気の中、一人だけ異彩を放つ存在がいた。杏子の祖父である彼は、観客席の隅で双眼鏡を片手に、孫の一挙手一投足に目を輝かせている。


「よしよし、ぱみゅ子、今日も世界一!」

周囲の視線もどこ吹く風。彼の応援は、まるで場内の空気を和らげる春風。

試合中はかろうじてマナーを守って静かに見守っていたが、試合終了とともに解放されたのだろう。

杏子が矢を放つたびに、喜び、時にハンカチで涙をぬぐい、時に隣の祖母に自慢し、さらに瑠月やまゆ、あかねに自慢する。


その姿は、静謐な道場に咲いた一輪のたんぽぽのように、どこか憎めず、見る者の頬を緩ませるのだった。


きっと杏子の背には、祖父の溺愛という、世界一温かい追い風が吹いていたことだろう。

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