第129話 県大会初日団体戦
県大会の日
ついに県大会の日が訪れた。光田高校弓道部の女子団体は、朝早くから会場入りしていた。
「緊張してるか?」拓哉コーチが大前の栞代に声をかけた。
「いえ、大丈夫です」栞代は静かに答えた。彼女の目には、不安はなかった。代わりに、確かな決意が光っていた。
「そうか」コーチは微笑んだ。「じゃあ、あとは任せよう。まあ、好きなように引いてこい。やってきたことを全部出せばいい」
そのやりとりを、冴子、沙月、紬、杏子も見ていた。それぞれがそれぞれの思いを秘めて。
弓道は技術の競技であると同時に、精神の競技でもある。当日の体調や、ほんの些細な心の揺れが、矢の行方を大きく左右する。だからこそ、常に結果を出し続けてきた杏子の存在は、チームにとって絶対的な支柱だった。昨年度全国大会個人戦を県席巻した、雲類鷲麗霞が警戒する相手とも言われる。だが今日、もっとも部員たちの胸を熱くしたのは、試合には出られない瑠月が見せた、あの完璧な四射だった。
放たれた一矢一矢は、まるで意地を込めた祈りのごとく、的中していった。四本の矢がすべて皆中した瞬間、部員全員の鼓動は一度止まり、そして──熱いものが胸を貫いた。
杏子は静かに目を閉じた。チームのエースとして、彼女の肩にはプレッシャーがかかっていた。大きな期待が寄せられているのは分かっていた。だが、彼女は、できることは常に姿勢のことを考えることだけ。
緊張の種類が違うのは、いつもと変わらなかった。
そうして、予選が始まった。団体戦。5人で計20射、その的中数で順位が決まる。光田高校の立ち番が近づいてきた。
「全員、集合」冴子が静かに呼びかけた。
5人は円陣を組んだ。
「瑠月さんの射を思い出して」冴子は言った。「技術だけじゃない。心を込めて、一射一射を大切に」
全員が頷いた。
「行こう」
予選の番が来た。
控え室での光田高校弓道部。栞代は静かに呼吸を整えていた。地区予選での不調のことは、もう頭に無かった。あるのは、瑠月の姿。完璧な四射。あの涙。
栞代は深呼吸した。観客席には瑠月の姿もあった。
「栞代ちゃん、行けるよ!」かすかな声が聞こえた気がした。
栞代は弓を構えた。瑠月の射が脳裏に浮かぶ。完璧な姿勢、確かな引き分け、そして迷いのない離れ。
「私は瑠月さんの射を見た」栞代は心の中で呟いた。「あの思いを、私も表現したい」
栞代の一本目。静寂の中、矢が放たれた。的の中心に吸い込まれる音が響いた。
「結果を気にしすぎてた。でも、今は違う。瑠月さんのために、できることを全力でやるだけ」
重圧を感じている余裕は今は無かった。
まだだ。まだ一本。
続く沙月は、手先の震えを抑えながら的を見据える。彼女もまた、同学年の瑠月の無念を背負っている。誰よりも大きな声援を胸にひそめ、呼吸を整える。届いた矢は、静かな誇りを告げるように中心を貫いた。胸の中にこみ上げる熱が、次への集中を強くする。
三番手の冴子は、つい先ほどまで涙ぐんでいた自分を引き剥がすように、深く息を吸い込む。彼女の矢は、一直線に的に向うが、わずかに外れた。
唇を噛む。まだだ。まだ緊張などする余裕がある。まだ必死に成りきっていない。瑠月さん。
四番手の紬は、表立っては「わたしの課題ではありません」とそっけない顔をしている。しかしその奥底では、理不尽としか思えない規則に、その仕組みに激しく憤り、胸の奥で炎が燃え盛っていた。光田高校は、ここ第三射までで三本中二本を確実に命中させている。杏子に繫ぐことが私の役目。ぎゅっと歯を食いしばる。──パシン、と小気味よい音を立てて的中。紬の瞳は、はらりと涙をこぼしそうに揺れたが、すぐにまたぐっと引き締まった。
落ちの杏子は、まるでこの瞬間をずっと待っていたかのように、静かに弓を番えた。彼女の放つ矢は空間に軌跡を描くごとくしなやかで、的前に吸い込まれるように的芯を射抜く。見事だった。矢が刺さった瞬間、道場には小さな歓声と、胸にこみ上げる熱い拍手が巻き起こった。
それぞれがそれぞれの思いを、瑠月に示すように矢を引いた。
結果は──栞代が完璧な姿で皆中。沙月が2本。冴子は二射めから見事に立ち直り3本、紬も最後に外したが3本、杏子は異次元の安定を見せ、皆中。
合計十六本。地区予選の鬱憤をすべて晴らすような、見事なパフォーマンスで予選1位突破を果たした。顔を合わせた五人は、一瞬言葉を交わさずにただじっと、お互いの瞳に宿る熱を感じ取っていた。
控室に戻る。
「瑠月さんの分も、一緒に引かせてもらった」──栞代の小さな声に、沙月が頷いた。紬はぐっと拳を握りしめ、冴子は唇を震わせながらも穏やかな笑みを浮かべ、杏子はいつものように冷静な面持ちで皆を見渡した。だがその視線の奥には、確かな熱意と連帯感が満ちていた。
迎えに来た瑠月の瞳が潤んでいた。
だが、まだまだだ。まだ始まったばかり。
「瑠月さんの実力は、こんなもんじゃない。」
呟いた栞代の声に、全員が頷いた。




