第121話 地区予選
中間テストが終わり、最初の授業で中間テストが返却される。部活をしている生徒は一様に緊張した面持ちであった。教室に緊張と安堵が入り混じる中、光田高校弓道部の面々はなんとか赤点はクリアしていた。
一番心配されたソフィアも、まさにギリギリで赤点回避し、小さな点の積み重ねに、杏子の祖父への感謝も忘れなかった。
「赤点、ゼロか…!」
栞代の小さな声に、周囲の肩の力が一斉に抜ける。
まゆは「ほんとに良かった」と胸をなでおろし、紬はソフィアの答案を見て「ギリギリセーフだね。わたしの課題じゃないけど、わたしの課題だ」と笑った。
いよいよ、地区予選が始まる。そして、その地区予選に出場するメンバーを決める部内試合。
部内試合への日時がコーチから発表されると、緊張よりも静かな熱を道場に運んできた。
試合当日。誰もが自分の中の「1本」に賭けていた。
試合は団体戦のメンバー5人を決めるために行われる。的前に立つ練習をしている部員なら、当然誰でも参加できるが、団体戦出場を希望しないつばめは、部内試合には参加しなかった。個人戦に集中したい、ということだった。
大会で姉を超えたい。そのことを一番に考えていた。
弓を煎る順番は抽選で決められた。
冴子、沙月、栞代、あかね、紬、杏子、まゆ、真映。
栞代、まゆ、沙月、冴子 が第一グループ。
杏子、真映、あかね、紬、が第二グループに決まった。
2年生以上は経験があるのだが、それでも、緊張の度合いは試合と何ら変わることはなかった。
栞代 ××〇〇
まゆ ××××
沙月 〇×××
冴子 〇××〇
1本、を目標のまゆは実に惜しい矢だったし、沙月も全て纏まっていた惜しい矢ばかりではあった。
そして、次のグループ。
杏子 〇〇〇〇
真映 ××××
あかね ×××〇
紬 ×〇×〇
あかねが最後に追いこまれながら一本決めた集中力は素晴らしいものだった。
杏子の圧倒的な的中、冴子と栞代の底力、紬の安定、沙月とあかねの接戦。
結果、栞代、冴子、杏子、紬が決定。残り一人の枠は沙月とあかねで争い、沙月が勝利し、あかねが予備メンバーとなった。地区予選は一発勝負でもあるので、事実上予備メンバーの出番は、健康上の理由などがない限りはない。
そのため、ほとんど出場する可能性はないのだが、つばめを形式上登録することをコーチは説明した。
まゆは力を出し切った清々しさがあったが、真映は、目の前が杏子だったことで、緊張しただの、ヤだっただの、抽選の運が悪いだの、実力が出し切れなかっただの言い訳三昧を繰り出してはいたが、次の瞬間には、ケロッとして、県大会前の選考試合には勝つ、と言い張り、そして、つばめと手を取り合い、個人戦で優勝だ、と力強く宣言した。
地区予選
そして迎えた、地区予選当日。
光田高校は、全員が揃って試合会場の空気を吸い込んだ。だがその空気は、部内試合のときとは違う。重さも、速さも、音の響き方すら違う。
「始め」――合図の声が響く。
栞代は最初の2本を外し、膝の裏がじわりと汗ばむのを感じた。
(まずい、戻せるか……?)
2年生とはいえ、抜群の運動神経で実力を伸ばしてきた栞代。しかも去年の全国選抜大会団体3位の実力者だ。だがそのときは、杏子のために、という思いの方強かったし、前しか意識がなかった。
勝たなければ次はない、という状況での試合の緊張。
でも、だからこそ思い出す。杏子の背中を。
(杏子は、いつも揺れない。誰がいても、どんな場面でも。)
吸い込む息を深く、三射目を引いた。ギリギリで当たった音が、彼女の顔にほんの少し、安堵を与えた。
紬は、2本目で目線がぶれた。
(まずい…風?それとも…)
風でも、会場のざわめきでもなく、それは栞代が外して動揺した流れだった。
「自分が当てる」ことに、心が追いついていない。
(チームでやるって、こんなに難しいんだ)
それでも、残りの矢は自分にできる限りの精度で放った。2本は的に届いた。満足ではないが、誇れる結果だった。
沙月は、緊張よりも「自分がこの場にいること」に安堵しているところがあった。
冴子と瑠月がどんどん実力を付けていく中で、練習ではまだしも、試合になると結果を出せない自分。
選抜大会に出られなかった自分。いろんな思いがあったが、今光田高校のレギュラーとして立っている。
(やっぱり、みんなと並んで射ってみたい)
メンバー入りした安心感、結果を出せない自分への不信感。揺れ動く中、1本だけが的をとらえた。
冴子は、真っ直ぐ立った。
(今まで、やれることは全部やってきた。でも……)
引き分け、打ち起こし、その動きは正確だった。けれど、ほんの一瞬、心の奥に「前回よりも」という感覚が差し込んでしまう。
そして、栞代と沙月がいま一つ調子が悪いことに、部長としての責任感が重なった。
放った矢は、的を外れた。
(……集中、切れてる? いや、そんなはず……)
自分でも気づかぬうちに"自分を見ている自分"に引っ張られていた。
杏子は、静かだった。
周囲の空気を読みもしないし、乱されもしない。彼女はただ、矢を放つ。
放つ姿に迷いはなく、感情はなく、ただ正確な動きの積み重ねの果てに、矢がある。
正しい姿勢で打つことだけ。杏子の胸にはいつも祖母の言葉があった。
4本すべて的中。それは光田高校の中でも突出していたが、杏子自身は、特に何かを思ってはいなかった。
(あとはただ結果なだけ。それだけ。。)
それは杏子にとって、ごく自然な感覚だった。
会場で応援していた瑠月は、「杏子ちゃんは相変わらず安定しているわね」と呟いた。
瑠月は杏子の射に目を細めた。杏子の弓構えには迷いがなく、周囲の緊張感に全く影響されていない。昨年の杏子が初めて公式戦に出場した時の姿を思い出す。あの頃から杏子は特別だった。周りがどんなに騒がしくても、どんなプレッシャーがあっても、自分の弓だけに集中できる稀有な才能を持っていた。
「でも、冴子と栞代は…」
瑠月の表情に心配の色が浮かんだ。選抜大会の時と比べて、二人とも何かが違う。特に栞代の様子が気になった。
栞代 ××〇〇
紬 〇×〇×
沙月 ×〇××
冴子 〇×〇×
杏子 〇〇〇〇
11本的中。去年はつぐみが居たとはいえ、去年から3本減らしている。
結果、川嶋女子高校に1本差で敗北。
川嶋女子は、去年、県大会、ブロック大会、常に惜しいところで光田高校に破れていた。今年は主将の日比野希、そして前田霞を中心として打倒光田高校に燃えており、その第一歩を見事に記した。
光田高校は2位で県大会へ進むことが決まった。
喜びよりも、わずかな悔しさと安堵が混じる結果。
でも、杏子の射が示すように、「やるべきことは、まだ先にある」。
それぞれがそれぞれの思いを新たにした、地区予選となった。




