第115話 杏子宅訪問その1
約束の日曜日。
午前中は学校での練習。午後からは、一応壮行会、という名目で私のところに集まる。
みんな、一旦お昼を食べに帰ってからの集合。
わたしは、おじいちゃんとおばあちゃんを手伝って準備しなきゃ。
ちゃかちゃか準備をして、一段落。
時間はちょうどいい感じ。
インターホンを何度も覗きこむおじいちゃん。
そわそわしすぎだよ、おじいちゃん。
何度目かのタイミングで、実際に鳴って、おじいちゃんが元気に応対してた。
「おじゃましまーす!」
一番乗りは、やっぱり元気な真映だった。それに続いて、みんながぞろぞろと玄関になだれ込んでくる。
「うわー、広い玄関!」
「杏子先輩、失礼します!」
つばめが律儀に一礼する。その後ろから、ソフィアが少し緊張した面持ちで顔をのぞかせた。
リビングに案内すると、おばあちゃんがすでにお茶の準備をして待っていてくれた。
「まあまあ、いらっしゃい。よく来てくれたねぇ」
おばあちゃんは、いつもの柔らかな笑顔でみんなを迎えてくれる。
ソフィアがおずおずと前に進み出て、丁寧に頭を下げた。
「はじめまして。ソフィアです。今日はお招きいただき、ありがとうございます」
まだ少し硬さはあるけれど、しっかりとした日本語だ。
「あらあら、遠いところからようこそ。杏子からいつも聞いていました。弓道、頑張ってるですね」
おばあちゃんはそう言って、ソフィアの手を優しく取った。その温かさに触れて、ソフィアの表情がふっと和らいだのが分かった。
「はい。とても、楽しいです。おばあさまにお会いできて、嬉しいです」
「Kiitos kutsumasta. Olen iloinen tavatessani teidät.」
ソフィアがはにかみながら、きれいな発音で付け加えた。フィンランド語かな。意味は分からないけど、きっと感謝の気持ちを伝えてくれているんだろう。
「あらあら、まあ」
おばあちゃんは嬉しそうに目を細めている。
そこへ、待ちかねたように、おじいちゃんが満を持して登場。やっぱり、ソフィアを見るなり、顔がでれっとしてる。予想通りすぎる。
「おお、君がソフィアさんか! いやあ、聞いてた通りの美人さんじゃのう!」
おじいちゃん、声が大きいし、顔が緩みっぱなしだよ。
「おじいちゃん!」
わたしが窘めるより早く、すぐ隣にいた栞代のツッコミが飛んだ。
「おじいちゃん、挨拶そこからかよ! デレデレしすぎだって!」
「な、なにを言うか、栞代! わしは美しさを正当に評価しておるだけじゃ!」
おじいちゃんはわざとらしく咳払いして誤魔化してるけど、にやけた顔は隠せてない。
「さあさあ、みんな座って。おじいちゃんの特製紅茶が入るからね」
おばあちゃんに促されて、みんなリビングのあちこちに腰を下ろす。
さすがに今日は大人数なので、リビングに隣接する部屋の襖を取り去って、横の部屋とくっつけてる。
去年同様、テーブルも手配済。
張り切るなあ、おじいちゃん。
ローテーブルの上には、おばあちゃんが焼いてくれたクッキーやパウンドケーキが並び、さらに沙月先輩が持ってきてくれた有名なケーキ屋さんの箱、そして、あかねが「これ、紅茶に合うか分かんないけど、どうしても試したくて!」と言いながら差し出した例の「塩バター羊かん」まで鎮座している。
「……ほんとに持ってきたんだ、塩バター羊かん」
栞代が呆れたように呟いた。
「だって、おじいちゃんの紅茶と合うか、試してみたくて!」
あかねは少しも悪びれずに、にひひ、と笑う。
やがて、おじいちゃんが大きなトレーにたくさんのティーカップを乗せて、得意満面で運んできた。
「さあ、お待ちかね! 今日の紅茶は、特別にブレンドした、名付けて『鳳城、鳴弦館どっからでもかかってこい今年は光田が優勝するぞなぜなら光田には、ぱみゅ子がいるからだティー』じゃ!」
「……どんな名前だよっ」
栞代がつっこむと、みんなが笑いに包まれた。
「……また勝手に名前つけてるし」
わたしがぼそっと言うと、おじいちゃんは聞こえないふりをして続ける。
「まずはこの香りを楽しむのじゃ。ダージリンの春摘みをベースに、ほんのわずかにアールグレイを加えて爽やかさを……むにゃむにゃ」
始まった、おじいちゃんの紅茶蘊蓄。みんな、ちょっと困ったような顔をしつつも、興味深そうに(?)耳を傾けている。ソフィアも真剣な表情で聞いているのが、なんだかおかしい。
「おじいちゃん、蘊蓄はそのくらいにして、早く淹れてくれよ。ケーキがオレを待ってる」
栞代の遠慮のない一言に、おじいちゃんは一瞬「むっ」とした顔をしたが、すぐに気を取り直してカップに紅茶を注ぎ始めた。
紅茶とお菓子を囲んで、話が弾む。弓道のこと、学校のこと、くだらない冗談。ソフィアは、おばあちゃんにフィンランドの家族の話をしたり、みんなの会話に時折相槌を打ったりしながら、とても楽しそうだ。よかった。
ふと、ソフィアがおばあちゃんに尋ねた。
「おばあさまは、どうして弓道を始められたのですか?」
その質問に、おばあちゃんは少し遠くを見るような目をして、ゆっくりと話し始めた。
「う~ん。そんなに大きな理由はないの。わたし、小さい頃から喘息で、あまりずっと動き回る運動は無理なんだけど、でも、運動はしたくて。そんなときに出会ったのが弓道なの」
おばあちゃんの静かな語り口に、さっきまでの賑やかさが嘘のように、みんな自然と耳を傾ける。
そう言われてみると、わたしもおばあちゃんが弓を始めたきっかけって知らなかったな。普段なかなか聞けない話に、わたしもなんだか新鮮な気持ちになった。おばあちゃんが袴姿で弓を引いている姿、見てみたかったな。
「弓を引いているとね、心がすーっと静かになっていくのが分かってね。自分自身と静かに向き合える時間。それが、とても好きだったのよ」
ソフィアが深く頷いた。
「わかります。わたしも、弓を引いている時の、あの静かな時間が、とても好きです」
二人の間に、言葉や文化を超えた静かな共感が流れているみたいで、わたしの胸もじんわりと温かくなった。
「でもまあ、おばあちゃんが一番集中してたのは、おじいちゃんっていう一番ぷんどくさい厄介な的の面倒を見ている時だったことだろうな」
栞代がニヤリと笑って茶々を入れると、おばあちゃんは「あら、さすがに栞代ちゃんね。」と上品に対応した。
ふふ。
「あのね、おじいちゃんのお世話が大変すぎて、おばあちゃんの喘息も治っちゃったんだよ」
わたしが、そう付け加えると、
「お~っ。おじいちゃんのぐうたら、何もしない、寢てばっか、なことも役に立つこともあったんだなあ「
「もう、栞代、言い過ぎ」
「いや、だってさ、杏子、さぞや一時の休む間もなく、世話は大変だったんだろうなあ」
そう栞代がいうと、みんなくすくす笑ってた。
隣でおじいちゃんが「栞代、そこはじゃのう。おばあちゃんが弓をしたのは、わしという、それはそれは価値ある的を見事に射抜くためだった、というのが本当のところだ」
おじいちゃん、よく言うよ。
「高校の時、全国で準優勝だったんじゃが、実生活では、これ以上ない金メダルをゲットした、という訳じゃのう」
おじいちゃん、ほんっとに嬉しそう。
そこまで言うと、おじいちゃん、突然真面目な顔になって。
「そこで、みなさんにお願いじゃ。おばあちゃんは金メダルを逃したが、わしを射止めた。
だが、ぱみゅ子には絶対に、決して、決して、そんな思いをさせたくはない。
だから、みなさん、ぱみゅ子に金メダルを盗らせてってほしいのじゃっっ。」
おじいちゃん・・・・・。
すると、冴子部長が、
「おじいさん、もうすっかり元気になられたようで、本当に良かったです。挨拶のタイミングがおくれてしまいまして、大変申し訳ありません。新入生は知らないのですが、わたしたち2.3年生は、本当に心配して、そして元気になられて、嬉しく思っています。
おじいさんに誓います。必ず金メダルを取って、杏子の夢、そしておばあさんの夢を続きを、必ず成就させます」
部長・・・・。
力強く言い切る冴子部長が、本当にかっこよくて、輝いて見えた。