第114話 杏子邸への訪問相談
練習終わりの道場には、いつもの柔らかな空気が戻っていた。みんな弓具を片づけながら、思い思いに声を交わしていて、ちょっと名残惜しそう。
汗をぬぐって、弓を袋にしまいながら、わたしは近くにいたソフィアに声をかけた。
「ねえ、ソフィア。うちのおじいちゃんが、ソフィアに会いたいって言っててさ……よかったら、今度、うち来ない?」
ソフィアは少し目を見開いて、すぐにふわっと笑った。
「Ihanaa!」
「あっ。……え?わたし?うれしい。杏子のおうち、ずっと行ってみたかったの」
フィンランドからの留学生であるソフィアは、日本語もだいぶ上達してきたけれど、まだ少し遠慮がちだ。でも、弓道の練習には一生懸命取り組んでいる。
その言葉に、すぐ後ろから栞代の声が飛んできた。
「ほー、ぱみゅ子邸訪問か。オレも当然行くんで、一緒に連れてくよ、ソフィア」
「ぱみゅ子」。おじいちゃんは、わたしのことをそう言う。最近は、栞代までふざけて使ってくる。
「ありがと、栞代。……っていうか、当然ってなに」
軽くツッコミながら笑ってたら、向こうで片づけてた真映が、勢いよく振り返ってきた。
「えっ!? 杏子先輩んち行くの!? それ、私も行きたい!」
元気な真映が弓袋を抱えたまま、小走りでこっちに来る。うれしそうな顔で、目をキラキラさせてる。ほんと物おじしない子だなあ。
「おじいちゃんの紅茶、プロ級って噂だしっ。飲んでみたいっす!」
「本人はプロ以上って、思ってるかも」
肩をすくめると、今度はつばめが腕を組んで考え込みながらこっちに近づいてきた。
「……姉のつぐみが去年、杏子先輩の家にすごくお世話になったって言ってたから。あたしも一度ちゃんと挨拶したいです」
「つばめ……そうだったね」
さすがにつぐみの妹。姉に負けないくらい勝ち気だけど、礼儀正しい子だ。
つぐみのことを思い出して、胸がちょっと切なくなる。そういえば、つぐみ先輩が初めてうちに来た日も、同じくらいにぎやかだった。
「それなら、いっそみんなで来てよ」
気がついたら、わたしはそんな言葉を口にしていた。
「えっ……みんな?」
「マジで!?」
「やったー!」
「わたしも行く!」
あかねや紬、まゆまでもが声を上げ、道場が急に賑やかになった。
紬も小さく手を挙げ、あかねは「まゆも一緒に行こっ」と声をかけている。
瑠月さんが「ふふふ、杏子ちゃんの家に行くの、久しぶりね。おじいちゃんが元気になったって聞いて、会いに行きたかったの」と穏やかに笑ってる。
そうだ。去年は随分とみんなにも心配をかけたな。
沙月さんは「うち、差し入れ持ってくから!」と張り切っていた。
「……大所帯だな」
冴子部長が冷静にツッコミを入れた。でも、その表情は柔らかい。
「杏子ちゃん、おじいちゃんとおばあちゃんに確認した方がいいんじゃない?」
瑠月さんが優しく声をかけてくれた。
そうだな。
さすがに、こんなに来るってなったら、おじいちゃんとおばあちゃんに聞かなきゃ。
スマホを取り出して、わたしはおばあちゃんに連絡した。ほんの数分で返信が来て、「ぜひいらっしゃい。みんなで来てね」とにこにこマーク付き。
「……だって」
みんなにスマホの返事を見せてると、呼び出し音が鳴った。
おじいちゃんだ。
「もしもし、ぱみゅ子?」
「うん、おじいちゃん。あのね、今おばあちゃんには伝えたんだけど、みんなが家に遊びにきたいって言ってるんだけど…」
「おお!いいとも!いいとも!何人でもいらっしゃい!みんな来い!ただし、お土産は忘れないようにな」
おじいちゃんの声が、スピーカーにしたから、思いっきり響いて、みんなにも聞こえて、クスクス笑い声が上がった。
「ソフィアさんは絶対参加なっ」
「お、おじいちゃん、もう切るよ」
ソフィアが不思議そうに見ていたから、すっごい美人の留学生が入部したって家で話したって言ったって説明したら、
「Voi ei... Punastun kohta!」
って、ソフィア、顔をまっ赤にしちゃった。
「おお、ぱみゅ子邸、全員大歓迎モードか!」
「……“ぱみゅ子”言うな」
わたしが頬を膨らませると、また笑いが起きた。
「リクエストされたし、お土産何がいいんでしょう?」と一華が楓に相談するように言う。
「何するかな~」
真映が言い出すと、今度はお土産トークに話題がシフト。
「おじいちゃんとおばあちゃん、どんなの好きなんですか?」
つばめが聞くと、わたしは少し考えてから答えた。
「おじいちゃんは、いつも絶対和菓子出してくる。でも紅茶もこだわってるから、たぶん洋菓子でも合うの選ぶと思う」
「……紅茶と和菓子……?」
「組み合わせはよくわからんが、そんな感じで世間に背を向けた拘りがおじいちゃんの面白いところだよな」
栞代が口元をにやりとさせる。
「ほら、こないだの試合前も言ってたやん。“水出しのアッサムが云々”とか」
「それ、わたしも聞きました。“煮詰まるやつは邪道じゃ”って言ってました」
紬がぼそっと付け加えると、みんな吹き出した。
「じゃあ、それに合うお菓子考えよう! マドレーヌ? クッキー? いや、フィナンシェ……?」
「いやいや、うちの地元の“塩バター羊かん”とかどう!?」
あかねの妙案(?)に一瞬沈黙があって、栞代が「それ、紅茶と合うか!?」と即座に突っ込む。
そんな中、ソフィアが優しく笑いながら、小さく言った。
「……杏子のおじいちゃんの紅茶、楽しみ。ちゃんと味わいたいな」
その言葉に、わたしはなんだか胸がほんわりとした。
みんながわたしの家に来てくれるって、すごくうれしい。おじいちゃんもおばあちゃんも、きっと大喜びだな。おじいちゃんは特ににぎやかなのが好きだから。
「でも、ソフィアが美人って言ったとたんに、会いたいって言い出したんだろ。
おじいちゃん、麗霞見た時も、弓に感動しないで、美人だ美人だって驚いてたからな」
「おじいちゃん、鳳城孤高の話題が出るたびに、“あの子は、ほんに綺麗だ。綺麗だ”って、ずーっと言ってるの」わたしは少し呆れた表情で栞代に目を向けた。
「そんなに麗霞さんがいいなら会いに行けばいいのに」
ぼそっと言ったら、栞代がすかさず食いついた。
「ほほう。杏子、ヤキモチ?」
「ちがうってば!」
そんなんじゃないよ。慌てて言い返すと、つばめがニヤニヤしてた。
「いや〜、でも杏子先輩、今ちょっとだけムッとしてましたよね〜?」
「し、してないよ〜〜!」
もーっ! わたしがぷいっと横を向くと、またどっと笑いが起きた。
栞代が
「杏子、安心しろ安心しろ。あのおじいちゃんは杏子大好きナンバー1だから」
そして紬の方を向いて、
「な、紬」
「それはわたしの課題ではありません」
いつもの紬のセリフに、笑い声が残る道場の夕暮れがすごく綺麗だった。
わたしたちは、次の休日の約束を、自然と決めていた。
おじいちゃんが嬉しすぎて暴走しないといいけど…。ちょっと心配だな。でも、みんなと一緒なら楽しい時間になるね、絶対。




