表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ぱみゅ子だよ~っ 弓道部編  作者: takashi
2年生
112/433

第112話 軸の在処

鳳城高校と鳴弦館高校との合同練習試合まで、もう少し。


光田高校弓道部の空気は、目に見えない熱気を帯びはじめていた。

杏子は道場の隅で弓袋の紐を締め直しながら、静かに呼吸を整えた。


(正しい姿勢で、弓を引く。それだけ)


頭の中で、ゆっくりと呟く。小学生の頃から、ずっと繰り返してきた言葉。

矢が当たるかどうかは、ただの結果。自分がやるべきことは、一つだけ。

おばあちゃんから譲ってもらった弽を手に取りながら、杏子は心を道場に馴染ませていった。


引き戸を開けると、既に巻藁前では何人かが練習に入っていた。


「あっ、杏子先輩。おはようございます!」


明るい声で手を振ってきたのは、つばめだった。


杏子は、軽く会釈を返した。


「……今日も、一緒にやろうか?」


「はい!」


つばめの瞳は、どこか一点を射抜くような強さを湛えていた。


「姉を越えるために、絶対に基礎から積み上げたいんです。姉を超えたい。そのために、姉と並んでいた杏子先輩に教わるのが、いちばんだと思ってます」


「うん。わたしにできることなら、なんでも」


杏子が柔らかく微笑むと、つばめは深く頭を下げた。


そのやり取りを、巻藁の脇からじっと見ていた栞代が口を開いた。


「おーい、オレにも教えてくれよ、杏子。いや、教えるっていうか、チェックな。姿勢の崩れ、ちゃんと見てくれ」


「うん。もちろん」


「……ったく、なんでお前だけそんな無敵モードで落ち着いてんだよ」


口ぶりは乱暴だが、そこにあるのは深い信頼と尊敬。

杏子が「当てることを考えずに矢を放てる」ことが、どれほど異常なことか。

いつもつぐみが言っていた。

まだ弓を実際に引いていない時には、よく分らなかったが、今なら分かる。


的に当てる。そのことを考えずに弓を引くことが、いかに難しいことか。






「はい、左手、そこ力入れすぎだよ。弓がぶれちゃうよ」


一方その頃、道場の別の隅では、瑠月が静かに指導を続けていた。


ソフィア・アルベルティーナ・ヴィルタ。

そして皇楓――まったくの初心者、なんの前知識もない二人を、瑠月は根気強く見ていた。まっさらなだけに、変なクセを付けちゃいけない。


ソフィアは、力があるせいか、力任せに弓を引こうとしてしまう。


「ソフィア、見て。こう、両手の間に肩を入れるイメージで、自分が入っていくイメージを持ってみて。」

「……シュルダー……from the bone. I see.」


外国語まじりで答えるソフィアに、瑠月は慣れたように頷いた。

文化も言語も違えど、弓の姿勢だけは、万国共通の美しさがある。


(……杏子ちゃんみたいにはなれないけど。わたしは、わたしなりのやり方で)


去年、自分も無我夢中で杏子ちゃんの指摘を受けていた。

その経験を今、誰かに手渡すことが、自分の役割だと信じている。



冴子が、練習日誌を手にしながら近づいてくる。


「瑠月さん、ごめんね。いつも初心者の面倒見させちゃって」


「ううん。わたしの方こそ、役に立てて嬉しいよ」


「こっちこそ、ありがたい。……それにしても、団体戦2チーム体制、やっぱりキツいわね」


冴子は苦笑する。


「チーム構成はなんとか決まったけど、全体の練度を上げるのが本当に大変。瑠月さんがいなかったら、正直まわってないよ。瑠月さんのチームの方が圧倒的に大変だと思って任せたけど」


そういって苦笑いしながら、冴子は続けた。


「どうしてどうして。わたしの方も大変だわ」


「冴子も、部長業、大変だね」


「瑠月さんのチームには杏子が居るから、穏やかなムードがあるけど、……沙月と真映とつばめ、全員気が強くて、まとまりがね……。紬は我関せずだし」


「でも、逆に言えば、それだけ勝ち気があって、面白いじゃない」


「杏子の自然体と紬の無関心、一見そっくりなんだけどね」


冴子がふっと笑う。


「でも、杏子が一本放つだけで、空気が整うんだよね。不思議だよね。あれ、もう風景に溶け込んでいくっていうかさ」


「分かる。それだけ“姿勢”に命かけてるからだよ」


二人は、杏子が今、巻藁で淡々と練習している姿を見つめた。






帰宅後、杏子は祖父の部屋をそっと訊ねた。


「おじいちゃん、今度さ……紅茶の会、またやろうか」


「おおっ、ぱみゅ子のお友達かっ! よし、フルコースの準備じゃな!」


「紅茶にフルコース?」


「当然じゃ! 噂のソフィア嬢も来るんじゃろ?」


「うん、多分来られると思う」


「むむっ……では、スウェーデン王室スタイルで行こう……」


「そんなのあるの? 落ち着いてね、おじいちゃん……」


呆れながら笑う杏子に、祖父も「ふはは」と豪快に笑った。


その夜。

杏子は自室の机で、そっと今日の練習日誌を開いた。


《姿勢:ぶれなし。弓力:安定。集中:良。まゆの巻藁:的に届いた。つばめ:軸に力あり。ソフィア:構え改善中。皇:笑顔。冴子部長:疲労ぎみ》


杏子のペン先は最後に、そっと小さく文字を綴った。


《自分:正しい姿勢で引く。明日も同じように引く。それだけ。結果はたまたま》


静かにページを閉じ、杏子は深く息を吸い込んだ。


明日もまた、一本ずつ、丁寧に。


その積み重ねの先に、何かがあるとしても。

それを求めるのではなく、ただ、真っすぐに。


杏子の軸は、微塵も揺れていなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ