第111話 ガールズトーク
栞代と杏子が連れ立って、更衣室に入ってきた。
「まったく、あいつらどーにかならんか。オトコって書いて、多分バカとか、ガキとか読むんだろうな」
栞代が呆れかえっている。
冴子が、なにがあったか尋ね、栞代が簡単に説明すると、女子部員全員がため息を付いた。
「ちょうど良かった、これで全員揃ったからさ、ソフィアのこと、少し教えてよ」
冴子がそう言うと、ソフィアはゆっくりと話し始めた。
ソフィア・アルベルティーナ・ヴィルタが再び日本の地を踏んだのは、十年ぶりのことだった。
幼い頃、ソフィアは祖父母であるエリックとリーサ・ヴィルタと共に日本で過ごしたことがあった。父の仕事の関係で家族ぐるみで何度か日本を訪れ、そのたびに祖父母の家で過ごす時間は、ソフィアにとって特別なものだった。幼心に触れた日本の文化や人々の温かさは、彼女の記憶の中で鮮やかに輝いている。
祖父のエリック・ヴィルタは、日本の歴史や伝統文化を専門とする研究者だった。その知識の深さはまるで生きた図書館のようであり、学者肌らしい厳格さを持ちながらも、ソフィアへの愛情表現を惜しまない人だった。彼女が遊びに来るたび、エリックは自慢の書斎に招き入れ、日本の昔話や武道について語って聞かせてくれた。その時間はソフィアにとって何よりも楽しみだった。
一方、祖母のリーサ・ヴィルタは夫とは対照的に静謐な人柄だった。普段はあまり感情を表に出さないが、その優しさは何気ない仕草や言葉の端々から感じ取ることができた。リーサは料理が得意であり、とりわけ和菓子作りには一家言を持っていた。ソフィアは祖母と一緒に台所に立ち、小豆を煮たり餡を包んだりする時間を楽しみながら、日本文化への親しみを深めていった。
祖父母との思い出は、ソフィアの心に深く刻まれている。そして、それこそが彼女が日本への留学を決意する大きな原動力となった。
今回、日本への留学を決めたのも、この二人の存在があったからだ。
フィンランドで育ち、ヨーロッパのさまざまな文化に触れてきたソフィアだったが、日本への憧れはずっと胸の奥にあった。特に、日本の武道に興味を持ち始めたのは、祖父の影響が大きい。剣道、柔道、合気道……さまざまな武道の映像を見て学ぶうちに、日本の精神性の奥深さに魅了されていった。
特に、剣道において、勝利した瞬間、喜びを現してはいけないということに、最初は違和感があった。しかし、それは敗者への尊敬の表現だと知った時には、衝撃が走ったことをはっきりと覚えている。
そして昨年、弓道の映像に出会った。
それは、エリックが、地元の高校の弓道部の試合風景を撮影したものだった。
静かに、そして美しく放たれる一矢。その姿に心を奪われた。
一人の少女。
彼女の引く弓は、まるで詩のようだった。
画面越しでも伝わるほど、彼女の射には特別な何かがあった。矢が放たれるたびに、空気が張り詰め、そして次の瞬間には静寂の中に矢が吸い込まれていく。それはとても繊細で、時間、佇まい、姿勢、そのどれかがほんの少しでも崩れると表現し得ない美しさだった。その姿に、ソフィアは目を奪われた。
それが、ソフィアが日本留学を決意した最大の理由だった。
そしてもうひとつ。
ソフィアは幼いころから日本のアニメが大好きだった。最初に出会ったのはフィンランドでも放送されていた人気作品。"Hopeanuoli-Ginga: Nagareboshi Gin"。その世界観と奥深いストーリーに夢中になり、日本語を学ぶきっかけとなった。やがて、日本の文化そのものに興味を持ち、さらに深く知りたいと思うようになった。剣道や柔道、合気道を知る中で弓道に出会い、ついに光田高校へと編入することを決めたのだった。
光田高校への編入が決まり、再びソフィアを迎えられたとき、エリックは喜びのあまり涙を浮かべた。
「よく来たな、ソフィア。お前が日本に来てくれるとは、こんなに嬉しいことはない。しかも、今度は高校に入るんだからな」
リーサは「まあ、大きくなったわね」と静かに微笑んだだけだったが、その瞳には確かな温かさが宿っていた。
そして、ソフィアは映像で見た、美しい弓を引く少女を、直接その目で見ることになった。
「は~。それが杏子だったってことか」
栞代が呆れつつも、感心したように声を上げた。
「杏子の魅力は、国境をも越えるんだな」
「だけど、エリックおじいさんが、ここに住んでて良かったな」
「いやほんと」
「でも、両親と離れて祖父母と暮らすって、まんま杏子と同じじゃん」
「それにおじいさんのタイプ、杏子のおじいちゃんに似てる気がする」
栞代がそういうと、部員の間に笑い声が起こった。
「海棠は、柔道部か剣道部にソフィアが入るところだったって言ってたけど、今の話を聞いたら、最初から弓道部に決めてたみたいだな」
「は、はい。もちろん興味があるので、見学には、行きました」
「けどさ、映像で見た憬れの杏子と、実際に会ってみて、どうだったの?」
栞代が尋ねる。
「はい。本当に美しいです。
でも、今日、見せてもらった瑠月さんもとても綺麗でした」
「その二人は、我が光田高校女子弓道部が誇る二枚看板だからね」
冴子が誇らしげだ。
「でも、やっぱり杏子ちゃんには及ばないわ」
瑠月が少し寂しそうに言うと、
「いや、でも、瑠月さん、妖艶さでは、杏子は足元にも及びませんよ」
あかねが付け加えると、
「え~。なによ、その妖艶さって」
「いや、その、女の魅力というか、大人の色気というか、エロというか」
「え。なにそれ~。も~、あかねは一人で勉強してねっ」
「あ、いや、瑠月さん、冗談です、冗談・・・・ではないけど、ごめんなさ~い」
「ま、確かに杏子は足元にも及ばないな」
と栞代が言うと、笑いに包まれた。
「ソフィアも、杏子が同じ歳だと知って、驚いただろ?」
「はい。3つぐらい年下だと思っていました」
杏子が
「んも~っ。その通りだけど」
少し拗ねた真似をすると、栞代が慌てて、
「いや、杏子には、おじいちゃんが付いてるじゃないか。杏子一筋のさ」
栞代は慌ててフォローする。
杏子が、少し考え込む様子を見せると、栞代が最終兵器だとばかりに、
「紬、助けてくれよ」と声をかける。
紬が応えるよりも先に、2.3年生が全員で応えた。
「それは、わたしの課題ではありません」




