第11話 痴漢の正体、の巻
早朝練習で的前に立つようになったとはいえ、放課後の通常練習では、杏子は相変わらず、普通に1年生のメニューをしていた。二年生や花音、さらには栞代やつぐみがどれほど言っても、全く聞かなかった。
「一度決めたら変えないお化けやな」と、栞代は呆れたように言っていた。
ただ、通常練習が終わって、自主練習、という名目に変わったあとは、栞代が半ば強引に、という形ではあったが、杏子も的前に立った。自主練習では人数も少なかったが、杏子はある程度の数を射るまでは帰らなかったので、遅くなる時もあった。
栞代は、それでも、杏子を一人にはせず、最後まで自分も素引きをしたり、杏子の射を見ては勉強するようにしていた。全員の射を見ていても、やはり杏子の射の美しさは抜きんでていた。
あまり遅くなりすぎないように、コーチが止めることも多々あった。そしてコーチは、必ず帰りは二人で帰るようにと注意していた。
そうして、いつも栞代と杏子は一緒に練習し、一緒に帰るようになった。そのまま栞代は、杏子の家に寄って、祖父の車で杏子と送ってもらって帰るようになり、週に何回かは、ご飯を食べたりと、栞代は、杏子の家族と本当の家族のような温もりを感じる時間となっていた。
栞代は、かなり遠慮していたが、これもまた、杏子の弓を支えることだから、という祖父の言葉に、説得された。それに、実は栞代の家庭は少し問題を抱えており、夕食が用意されないことも多かったのだ。
そして、練習試合まであと一週間ほどに迫った日のことだった。
この日は、さすがに試合が迫ってきたということで、残る生徒も多く、その分、遅くなってしまったのだ。
栞代と杏子が連れ立って帰っている途中、どうもなにやら不穏な雰囲気を感じた。
「杏子、なんかだれかにつけられてる気がする。注意しろよ」
栞代が警戒する。
杏子は、思わず栞代の腕を掴んで引き寄せた。
「え~恐いから早く帰ろうよ~。」
杏子が少し怯えて言う。
明るい場所に来た時て、栞代は微笑みながらも真剣な表情を崩さず、「杏子、大丈夫だから。ここで待ってて」と一言だけ残し、さっと後方へ向かって走り出した。その頼もしい背中に、杏子は少し安心感を覚えたが、念のために、携帯電話をカバンから出してすぐに電話できるように用意をした。
闇の中に街灯に浮かぶ黒い影に近づくと、栞代の声が響いた。
「すいません、何か用ですか?」
栞代が声を掛けた。栞代はいつもは穏やかだが、ずっとスポーツをやっていて長身なので、その気になると結構迫力がある。その声には、相手を威圧する力強さがあった。
「あ、あ、いや、その・・・・。」
背後からの突然の問いに、黒ずくめの人物は驚き、少し慌てた様子で振り返った。
「あのね~。」
栞代が続けて声を掛けた瞬間、後ろから杏子が叫んだ。
「お、お、おじいちゃん????」
その声を聞いて栞代は目を丸くした。緊張が一気にほぐれた瞬間だった。
「え?え? おじいちゃ・・・・おじいさん??」
栞代には、黒ずくめの服装で帽子も深く被っていた、まさに「怪しい姿」だったので、分らなかったのだ。
祖父がまさかの「怪しい姿」で現れたことに二人は一瞬唖然とする。帽子を深く被り、黒いコートをまとったその姿は、誰が見ても不審者にしか見えない。しかし、杏子はすぐに祖父だと気づいた。
「さすが杏子、よく分かったな。・・・・・なんて言ってる場合かっ」
栞代の声が飛ぶ。
「おじいちゃん、そんな姿で何してるの?」
杏子が駆け寄ってきて、笑いをこらえつつ問いかけると、祖父は照れくさそうに鼻をかきながら答えた。おじいちゃんはまるで悪戯がばれた子供のようだった。
「いや、その、最近帰りが遅いから、用心棒になろうと思ってな。」
「用心棒なら用心棒で、なんで普通に迎えに来て一緒に帰らないんだよ。なんでわざわざ怪しまれる格好で……」
栞代が呆れ顔で肩をすくめながら声をかけた。だが、もう既に親しみに変わった声だった。
「い、いや、その。ピンチの時に颯爽と現れた方が、ヒーローな感じがするじゃろ?」と照れ笑いを浮かべる。
その言葉に、杏子は笑いをこらえきれず、ついに吹き出してしまった。栞代はもうすっかり素に戻り、
「もうまったく、この、クソジ・・・いやいや、おじいさんは。」
安心感から、つい普段の調子で口が悪くなった。
栞代も、ずっと杏子の家に行っているから、おじいさんとも、もう相当親しくなっていた。そういえば、最近は家に行っても、おじいさんはあとから出てくるな。わたしたちの後に、こっそり家に帰ってたのか。そんなことを思っていた。。
「もう、おじいちゃんたら、何考えてるの?」
呆れ果ててる栞代とは違い、杏子は、またいつものことか、と思い、おじいちゃんらしいな、ともう楽しげに笑ってた。
「もう、明日からは、迎えに来るなら、普通に道場まで来て待っててくれよ。」
呆れたままの栞代は、敬語の存在を忘れて言った。
「ヒーローになんて、そもそもならなくていいんだから。隱れる必要なんかないだろ。さっきまで杏子怖がってたんだぞ。ヒーローが杏子を怖がらせてどうするんだよ、まったく。」
それを聞いて一瞬は反省したおじいちゃんだったが、すぐに
「そやけど、わしが道場まで迎えに行ったら、みんながわしに注目して、練習どころじゃなくなるだろ? どこのイケメンだ~~って。」
もう何も言いっても無駄だ、という表情を作りながら、栞代は、
「オレは、変質者扱いされないように言ってやってんだよっっ。」
と、おじいさんにつっこんだ。
そうしたら杏子が
「栞代~、それはヒドイよ~~。言い過ぎ~~。
おじいちゃん、明日からは道場まで来てね」
と庇うと、栞代は杏子にも呆れて、
「そもそも杏子が甘やかしすぎるんじゃね?」
と諭すように言った。
おじいちゃんは
「いやいや、だって、杏子はわしのことが大好きだもんな~~。」
「は~~~~?」
栞代は、ここに至っては、おじいちゃんの言葉一つ一つにつっこむのが楽しくなってきていた。
「いい加減にした方がいいぞ。さすがの杏子にも見捨てられるぞ。」
「何いつまで怒ってるんじゃ、栞代は~。わしのことをおじいさんじゃなく、おじいちゃんと呼ぶ許可を与えてやるから、機嫌を直してくれ~~。」
「そもそもわたしのことを、栞代って呼びすてにする権利は与えてないけどな。」
二人の掛け合いに、杏子が時々笑いながらおじいちゃんを庇い、さっきまでの緊張はどこへやら?
春の夜風が、三人の笑い声を優しく包み込んでいく
杏子と栞代、そしておじいさんの三人は、互いの言葉に笑顔を浮かべながら、緩やかで暖かい雰囲気に包まれていく。月明かりの下、三人で漫才のような掛け合いをしながら家路につく姿は、まるで仲の良い家族そのものだった。
そして、さらに離れたところに、その様子を楽しそうに眺めているもうひとつの影があった。
コーチもまた、心配して見守っていたのだった。




