第103話 つぐみのこと
「姉のこと、私、本当に大好きなんです。ずっと小さい頃から、すごく優しい人で…。どんな時も私のことを守ってくれて、いつも私の味方でいてくれたんです。だから、こんなに離れて暮らすのは初めてで…。正直、私もまだ慣れてないんです。」
つばめの声は少し震えていたが、杏子と栞代、紬とまゆが静かに耳を傾けてくれることで安心したのか、次第に言葉に力が宿っていった。あかねも息を殺して合流してきた。
「私たちの家、実はちょっと複雑で…。」
つばめは言葉を選びながら、ゆっくりと語り始めた。
「父と母、どちらも基本的にはいい人なんです。それぞれ常識的だし、イジワルなところなんて全然なくて。まあ、普通の人っていうか。
でも、二人は相性が悪くて…。一緒にいると、ずっと我慢のし合いみたいな状態だったんです。そのこともあったと思いますが、父は、単身赴任に近いぐらい、出張ばっかりしてて。それで、一度崩れると止まらなくなっちゃって…。高校入るぐらいまでは、なんとか微妙なバランスだったんですが、夏休みが終わったぐらいから、もう決定的になっちゃって」
栞代が「そういえば、そのころから、つぐみ、杏子の家にずっと来てたな」と呟く。
「はい。もうどんどん居場所が無くなっちゃって。お姉さんも本当に辛かったと思います。母はわたしにばかり構うので。わたしも辛かったんですが、どうしたらいいのか分らなくて。母は少し神経質なところがあって、多分父が居ない分、姉にあたってたんだと思います」
姉の苦しみを知る者としての痛みが滲んでいた。
「離婚の話が出てからは、あっさりと決まりました。父も、養育費はわたしが高校卒業するまで払ってくれるということで、離婚そのものでは、揉めることは無かったです。
そして、私はお母さんと仲が良かったということ、そして高校入学時、姉の希望でここにきた、ということもあって、今度は姉が私を優先してくれたんです。そのままお母さんと残ることになりました。」
つばめは少し遠くを見るようにして、続ける。
「姉は、私のことを第一に考えてくれたんです。わたしが父と行くから、と。『つばめは今の環境のままで』って…。姉はお父さんと引っ越すことを選んでくれたんです。
お父さんは無愛想な人ではあるんですが、それは忙しさからくると思ってます」
その言葉に、杏子は胸が締め付けられる思いがした。つぐみが自分の意志ではなく、妹を思う気持ちから選択を強いられたことを知り、言葉を失った。
「引っ越してからも、お父さんはずっと出張で、ずっと忙しかったみたいで…。そのことはあらかじめ分かっていたから、姉は全寮制の高校に編入することになったんです。厳敷高校っていう、かなり厳しいところなんですけど…。まあ、そういうところじゃないとお父さんも安心できなかったのかもしれません。」
「厳敷高校って…あの厳敷?」 栞代が突然声を上げた。 その声には、驚きと戸惑いが混じっていた。
「え?」杏子が驚いて振り向く。その目には、不安が浮かんでいた。
「知ってるの?」
「うん、有名だ。すっごい厳しいって噂だな。まるで昭和初期の軍隊みたいな校則で、下級生は上級生に絶対服従とか、細かいルールがいっぱいあるそうだ」
紬、あかね、まゆも頷く。彼らの表情には、つぐみへの心配が滲んでいた。
つばめは続けて「本当にそんな感じです。でも、厳敷に行くまでにも、いろいろあったんです…。」
最後の試合
「姉、本当は編入の日程がもっと早い予定だったんです。でも、その頃ちょうどブロック大会があって…。それが、みなさんと一緒に試合ができる最後だったんです。姉、そこだけは絶対に譲れないって言って、日程をずらしました。」
その言葉に、杏子と栞代の胸に熱いものが込み上げた。つぐみにとって、彼らとの最後の試合がそれほど大切だったことを知り、言葉にならない感情が湧き上がる
「あの時、おじいちゃんが、つぐみに、いっそ泊まっていけって何度も言ってたんだよな。つぐみは遠慮して、夜は帰ってたけど。そんなんだったら、言えば良かったのに。おじいちゃんも、いつもは強引なのに、なんであの時は無理やり泊まらせなかったのかな。いや、つぐみもやっぱりそこまでは、と思ったんだろうな」
栞代の声には、後悔と無力感が滲んでいた。言っても仕方がないと分かっていても、言わずにはいられなかった。自分も家庭で居場所がなく、つぐみの気持ちは良く分かっていた栞代だった。
「つぐみ・・・・・。言ってくれたら」杏子が呟く。
「杏子には特に言いにくかったんだと思う。杏子の家、みんな仲良しだしな。おじいちゃん面白いし人懐こい。おばあちゃんは暖かいし。」
栞代がそう言うと、紬もあかねもまゆも、みんな何度も頷いた。その沈黙の中には、つぐみへの思いやりと、彼女の選択を理解しようとする気持ちが満ちていた。
つばめは微笑んで、言葉を続けた。その笑顔には、姉への誇りが輝いていた。
「あの時、杏子さんに勝った姉は、本当に嬉しそうでした。練習試合で団体とはいえ、鳳城高校、雲類鷲麗霞さんにも勝った。その二つは、今も姉を支え続けています。杏子さん、栞代さん、そして、団体で一緒だった瑠月さんの話も、何度も何度も聞かされました」
新たな誓い
つばめの言葉は、つぐみの現在へと続いていった。その声には、姉妹の絆の強さが滲んでいた。
「ただ、そのせいで厳敷高校からペナルティを受けて、三カ月間、ほとんど連絡も取れませんでした。家族にも。だから、私も連絡が取れなくて、お父さんしか繋がりがなくて…。でも、お父さんも忙しくて、よく事情が分かってなかったみたいで。つい先日になってようやくやりとりができたんです。」
「それで、姉、元気にしてるって。」 つばめは少しホッとしたような表情で話を締めくくった。 「お父さん経由で手紙が届いて、『みんなに謝っておいてほしい』って書いてありました。姉はそれでも、あの時のことがあるから、どんなことでも乗り越えて行けるって」
つばめの声が少しだけ弾んだ。 「だから、私も姉みたいに強くなって、全国大会を目指したいんです」
「姉が、杏子さんに残した言葉、わたしにも教えてくれました。
『全国で会おう』って。わたしも、それを目指します。全国大会に行って、堂々と会って、そして姉を超えたいです」
つばめの話を聞いて、みんなはしばらく何も言えなかった。それぞれの胸に、つぐみの笑顔が浮かんでいた。沈黙の中には、言葉にならない思いが満ちていた。
「つばめさん…お姉ちゃんのためにも、一緒にがんばろ」 杏子が優しく微笑むと、栞代も頷いて「そうだ。一緒に全国に行こう!」と力強く声をかけた。
つばめは小さく頷きながら、涙をこらえ、微笑んだ。