希望
誠は、一刻も早くその薬を多香子に届けなければと思った。
なので、帰る道すがら、先に光葉に自分の書状を王へと届けてもらい、頼黃に運んでもらって月の宮への進路を取って飛んでいた。
龍の宮では、維心が誠からの書状を手にし、膝をつく光葉を前に言った。
「…煎じ薬と。良い、ならば月の宮へ寄ってから戻るが良いと知らせよ。元々あれには7日時をやったのに、早う戻ったものよ。ゆえに構わぬわ。」
光葉は、頭を下げた。
「は!」
そうして、また急いで飛び立って行った。
維月が、脇から言った。
「煎じ薬がなんと?」
維心は、頷いて誠からの書状を維月に渡した。
「どうやら、ゆるりとではあるが、肺と心の臓の回復を促す煎じ薬を作り出したようで。それをとにかく多香子に飲ませ、施術に耐えうる状態にまで戻そうというのだ。だが、完全に治すものではないゆえ、時も掛かるしその間に発作で命を落とす可能性もある。」
維月は、真剣に誠の書を読んで、頷いた。
「…それでも、全くの手詰まりでありましたのに、希望が見えましたわ。志心様には?」
維心は、答えた。
「あれの許しなく多香子に飲ませるわけには行かぬからな。先に知らせておるようよ。」
維月が読み進めて行くと、確かに先に志心には知らせを送ってあると書いてある。
こんなことには、洪は抜かりないのだ。
…それにしても、前世から恋人同士であった麻耶との時間より、きちんと務めの方を優先して動くのだ。
維月は、感心した。
維心とて、それを見越して7日も時を与えたはずなのだ。
麻耶とて、薬草を調合するのに時を掛けていれば、洪と長く共に居られただろう。
この二人は、とても命を大切にしていて、主君の心に寄り添って行動することができるのだ。
…私が多香子をそれは心配しているから…。
維月は、洪に感謝していた。
前世嫁いで来た時には、洪のような臣下が当然で、そんなものだとその優秀さにあまり気付いていなかったが、今なら分かる。
維心が、維月の心を汲み取ったように言った。
「…あやつは誠に役に立つ。我が誰より信頼しておるのはその心根ぞ。あやつの忠義は義心と並ぶほどに強い。あれらが揃っておる今、乱れた宮も楽に治められると安堵しておるよ。」
本当にそう。
維月は、思って頷いた。
「はい。洪にはこれより宮を正して助けてくれる良い臣下であると期待しておりまする。まだ今生あれ程に若いので、長らく務めてくれると思うと心強いですわ。」
維心は、頷き返した。
「誠にの。」
…多香子が、これで良くなれば良いのだけれど…。
維月は、空を見上げて月の宮の様子を窺ったのだった。
志心は、その知らせを白虎の宮で聞いた。
「王、誠よりの書状、急ぎでありまして。中を確認しましたところ、多香子様のご病状を緩和する薬が見つかったとのことで。すぐに月の宮へと運ぶので、使用するご許可をとのことでございます!」
薬が見つかった…?!
志心は、引ったくるようにその書状を朝見から受け取ると、中を確認した。
…施術が可能な状態まで戻せるのを期待して投薬する…。
志心は、ふるふると震えた。
つまりは、百年早ければと明花が言った、その百年の時を薬で戻そうというのだ。
「…少しでも希望があるのなら。」志心は、言った。「すぐに投薬を開始せよと伝えよ。維心が…わざわざ誠を西へやって神威の宮の薬の女神に作らせてくれたのだ。維心にも神威にも礼を送らねばならぬ。全くの手詰まりであったのに…これで、もしやという可能性ができた。」
朝見は、何度も頷いた。
「誠にこれで多香子様が回復なさるのなら、これよりのことはございませぬ。多香子様が居られぬと、皆あれこれと困ることもあり…あのかたが、どれほどにこの宮に必要なかたであるのか、我ら身に沁みておりまして。」
多香子は軍神であったので、動きもキビキビしていて判断が早く、オロオロとどうしたら良いと狼狽えることもないので、皆が信頼していた。
しかも、細かい所まで見ているので、志心が気付かない事でもさっさと対応して正してくれていた。
多香子が居ない時には当然だったことも、その快適さに慣れた所で居なくなると、皆困っているのだろう。
志心は、頷いた。
「…少し早いが、月の宮へ参る。」志心は、立ち上がった。「維心と神威には、礼を送っておけ。我が自ら投薬の許可をしに参って来るわ。それから、我と多香子の絵姿を、歴代王の間に収めよ。」
朝見は、驚いた顔をしたが、頭を下げた。
「は!お収め致します!」
志心は、叫んだ。
「夕凪!月の宮へ参る!」
志心は、そう言ってすぐに居間の窓から飛び立った。
多香子が治るかもしれない…!
志心は、希望の火が灯った胸を、抑えて月の宮へと飛んだ。
誠は、維心よりの許可を戻って来た光葉から宙で得て、そのまま目の前に迫った月の宮へと降り立った。
結界を通ったので、気取っていた蒼が、急いで奥から出て来てくれた。
普通、他の宮では王が自ら他の宮の臣下を出迎えに出て来ることはない。
…こんなところが、昔から変わられておらぬ。
誠は、心の中で思いながら、小さな輿から降り立って蒼に頭を下げた。
「洪!よく来たな、十六夜から聞いてるよ。西に行ってたんだろう?薬があるって聞いた。」
十六夜は見ていたのだ。
つくづく月には隠し事ができないと、誠は答えた。
「は。残念ながら根本的に治すことができる薬はできませなんだが、この薬草を合わせた物が。」と、袖から袋を取り出した。「症状を緩やかに改善して行くのではと期待して作られた物でございます。誠に効くのかどうか、試したことがないので分からぬのですが…。」
蒼は、その袋を見て頷いた。
「知ってる。とにかく、治癒の対へ。志心様は毎日夕刻には来られるから、投薬はその後にあるかもだけど。」
と、言うが早いか十六夜が言った。
《いや、洪が先に知らせただろ。志心はこっちへ向かってる。朝見に許可するって言ってたけど、直接許可を出すとか言って飛んで来てるぞ。治癒の対で待ってろ。結界通すから。》
蒼は、驚いた。
「え、来てるの?早いね、今日は。」
誠が、言った。
「それだけ大切に思われておるのだと。蒼様、では早うこちらの準備を。煎じ薬なのでございます。まずは湯を沸かして、準備せねば。」
蒼は、頷いて歩き出した。
「うん、じゃあこっちに。行こう、洪。」
その昔、いろいろお教えしていた頃と全くお変わりにならぬ。
誠は微笑ましく蒼を見ながら、その後について治癒の対へと向かったのだった。
治癒の対では、多香子は全くもって元気な様子で、与えられた広い病室の、窓際の椅子に座って庭を眺めていた。
何しろ発作さえ起きなければ普通と変わらず、無理をすることもないのでパッと見どこが病なのか分からない程なのだ。
蒼は、治癒の神と共に多香子の病室へと入って、声を掛けた。
「多香子。龍の宮から命を受けて、洪…いや誠が薬を持って来たよ。」
多香子は、振り返った。
「蒼様。」と、頭を下げてから、誠を見た。「…維月様がそのようなお気遣いを?」
誠は、頷いた。
「は。王妃様におかれましては、大変に多香子様を案じておられまして。我を、西の薬の女神の下へ送られ、そちらで心の臓に効く薬を合わせさせてこちらへお持ち致しました。このお薬は、ゆっくりと心の臓の状態を改善し、施術が可能な状態にまで、持って行くのを目的としておりまする。志心様の許可が降り次第、お飲みいただこうと思うております。」
多香子は、苦笑した。
「…そのような無理なことを。そもそも次に発作が起これば、ゆっくりと回復していても間に合わぬ可能性がございますのに。我は覚悟はできておりまする。こちらに長くご迷惑をお掛けするのも申し訳なく…。」
蒼は、首を振った。
「迷惑なんかじゃないから。どうせここは暇なんだ。滅多に病神なんか出ない宮だからね。外から重病神が来ることがあっても、だからみんな慣れてるし。心配は要らないんだよ。」
「…その通りぞ。」後ろから声がして、振り返るとそこには志心が立っていた。「蒼には我が充分に頭を下げておくゆえ、主は治すことだけ考えよ。」
「志心様!」蒼が、言った。「あの、薬を…、」
志心は、頷いた。
「分かっておる。維心には感謝しておる。すぐに飲ませるのだ。時が掛かるというのなら、一刻でも惜しい。早うせよ。」
蒼は、ついて来ていた治癒の神に頷き掛ける。
治癒の神は、誠に頷き掛けて、そうして誠と一緒に、そこを出て行った。




