約束の絵
維心は、誠に言った。
「洪、多香子が心の臓の病で倒れて、月の宮に留め置かれたのは知っておるな。」
誠は、頷いた。
「は。志心様も志幡様をお連れになり、三日に明けず月の宮へ渡られておられまする。なんでも幼い頃からの病であられ、多香子様には同じ病で姉君を亡くされておられるのだとか。明花も、できる事なら多香子様をお助けしたいのにと、連日何か策は無いかと治癒の文献を漁っておりますな。」
明花も手立てを探してくれているのだ。
維月が思っていると、維心は言った。
「とはいえ、維月も調べたが手立ては今のところ見つかっておらぬ。が、天黎が手掛かりをくれてな。正月のことを思い出せば、その中に打開策があると申すのだ。我らも考えたが、関係のあるようなことはないと行き詰まっておった。が、麻耶ぞ。主は麻耶と懇意であったろう。子も成しておったはず。」
誠は、下を向いた。
「は…。その子は病で失いましたが、あの折は王には多大な温情を賜りまして。」
維心は、首を振った。
「そんなことは良い。主、あちらへ渡って麻耶に聞いて来てくれぬか。多香子の病状を細かく記した書を明花に書かせ、それを持ってあちらへ参るのだ。麻耶なら、何か思い付くやも知れぬだろう。多香子は、今のままでは余命半年、月の宮に居れば今少しといった様子。時がないのよ。」
誠は、頭を下げた。
「は!では早速にそのように。」
維心は、今にも出て行こうとする誠に、急いで言った。
「待て。」と、絵を示した。「あれの礼をせねばならぬ。出来映え相応の物を持って参らねばならぬゆえ、布を取れ。確認する。」
洪は、頷いた。
「は。」
そうして、二枚の絵から、布が取り去られた。
「…まあ…!!」
維月は、思わず多香子のことを忘れて、歓声を上げた。
その畳二畳ほどの大きさの絵は、一つは維月一人の立ち姿、もう一つは維心と維月が並んで立つものだった。
そして、それはかなりの再現度だった。
それは細かいところまで描き込まれていて、維心の深い青色の瞳は、じっとこちらを見て今にも動き出しそうだ。
維心が、言った。
「…なんとの、これは良い。」と、立ち上がって維月の絵姿の前でじっと見つめた。「まるで、維月の気すら匂ってきそうなほどに、維月そのものぞ。なんと美しいのだ。我が求めておったのは、これぞ。」
誠は、頷いて胸から紙を出した。
「…鴻江より、これが最後と言われても、思い残すことがないほどに良いお姿を描かせて頂いたと御礼の言葉が添えられておりまする。」
維心様が美しいものね。
維月は、そう思って惚れ惚れと絵の中の維心を見つめた。
いつ見ても端正な顔立ちに、美しい立ち姿、凛々しく匂い立つようなお姿…。
隣りに居る自分が、あれだけの装備を身に着けていないと、きっと釣り合わなかっただろうと、無理して着ていて良かったと心底思った。
「…これを外宮の皆が来た時に真っ先に見える位置に設置せよ。」え、と維月が驚いた顔をすると、維心は誠に真剣に続けた。「額装をさせよ。これに相応しい物を作れと申せ。」
誠は、頭を下げた。
「は!」
維月は、慌てて言った。
「い、維心様、確かに維心様のお美しい姿を皆様に見せるのは誇らしい限りですが、私は。私の姿はそこまでではないので。外宮など、誰もが皆目に致しますのに。」
言われて、維心はハッとした顔をした。
「そうだの、維月の美しい姿を誰彼構わず晒すなど、よう考えたら不用心ぞ。」
いや、そうじゃない。
維月は思ったが、維心は誠を見た。
「やはり絵は内宮の大広間前にする。そこなら見るのは王ぐらいだろうて。たまに王以外が見ることになっても、それは別に良い。」
維月は、言った。
「維心様、あの、ではこちらの二人で並んでおる方だけで。こちらの私一人のものは、居間に置いてくださいませ。常、維心様のお側に置いて頂きたいのですわ。」
維心は、維月を見て、頬を緩めた。
「言われてみたらそうだの。ならばそのように。二人並んでおる方を、大広間前に設置させよう。」
維月は、ホッとした。
それならまあ、なんとか。
誠は、復唱した。
「では、細工の龍に額装をさせ、こちらの絵は内宮大広間前に、王妃様お一人の絵はこちらの居間に。」
維心は、頷いた。
「それで良い。鴻江には、金の絵道具一式、蔵の守り刀を一本下賜しよう。鞘も作ってやるが良い。神威には万華の反物を10贈れ。礼の書状も忘れるでない。明花に多香子の病状を書いた書付を書かせるのも忘れるな。洪、明日から7日時をやるゆえ、神威の宮へ行って参れ。」
誠は、頭を下げた。
「は!仰せの通りに。」
…多香子のことを忘れていなくて良かった。
維月は、思ってそれを聞いていた。
誠は、いろいろ命じられてその場を辞して行ったのだった。
その頃、鴻江に絵を頼んでいた他の王達の下へも、絵は届いていた。
志心は、維心とは違い、自分と多香子が並んで立っている絵を頼んだだけだったが、その完成度の高さには驚いた。
そして、その絵の中でこちらを見て薄っすらと微笑む、多香子の美しさに頬が緩んだが、その多香子が今、ここに居らず月の宮で命の危機と戦っているのかと思うと、心に重い鉛がズンと落ち込んで行くような気がした。
…多香子を、愛しているのかもしれない。
志心は、娶ってこのかた多香子の事を意識的に大切にして来たが、それは多香子がそれは努力家で、何とかして志心の役に立とうと励んでいたのを見て来たからだ。
慣れない犬神の宮の外へと嫁いで来て、面倒な事ばかりだろうに、弱音など一度も吐いたことはない。
この、絵に描かれている長袴も、この時初めて履いたのに、頑張って無様に見えないようにと慣れようと努力していた。
志心は、そんな多香子を知らぬ間に、慕わしく思い始めている自分が居ることに気付いた。
…やっと安心して心を許せる女神に出逢えたのに。
志心は、己の運命を呪った。
このまま、多香子が歳を取って行って、自分は老いぬでいても、ゆっくりと共に過ごして、お互いにしっかりと愛し合って行けたかもしれない。
それなのに、そんな時すら与えてもらえず、多香子のタイムリミットは近付いている。
今この時も、月の宮で発作を起こしているのではないかと思うと、気が気でない。
絵の中の多香子が美しければ美しいほど、志心の焦りは大きくなった。
「…夕凪。」
志心が言うと、夕凪がサッとやって来て、目の前に膝をついた。
「御前に。」
志心は、言った。
「朝見に申して神威にこの絵の礼を送るようにせよ。それから、月の宮へ参る。」
夕凪は、顔を上げた。
「は。神威様には、どれぐらいの物をお贈りしたらよろしいでしょうか。」
志心は、答えた。
「素晴らしい出来ぞ。鴻江に絵の具と、香壺を下賜しよう。神威には、宮の…そうだの、壺でも花瓶でも、焼き物で良いか。適当に見繕って送るように申せ。朝見なら勝手に考えて良いようにしよる。」
夕凪は、頭を下げた。
「は!」
志心は、絵の中の多香子をじっと見つめた。
多香子は、こちらを緑の瞳でじっと志心を見返していた。
…多香子を、このまま黄泉へやってなるものか。
志心は思ったが、こうして見ると多香子の絵姿は、どこか儚げにも見えて来るから不思議だ。
もしかしたら、もうこの時から病の兆候は現れていて、それに回りも多香子自身も気付かずいたのかもしれない。
何しろ、志心の絵姿はしっかりとした筆致で描かれているが、多香子はどこか薄っすらと、輪郭は輝くように曖昧だ。
鴻江は、かなりの腕と目を持つのだと神威が言っていた。
…神威も鴻江も、知っていたのだろうか。
志心は、そんな事を思って絵の前に立ち尽くしていた。




