月の宮の治癒の対にて
月の宮の治癒の対は、相変わらずの気の量で、健康な者でもより健康になる心地がする。
何しろ、真っ白な浄化の終わった気が、これでもかと流れているので、病になりようがないほどなのだ。
そんな中でも、命を落とす時は落とす。
維心には、それが分かっていた。
多香子の顔色は、特に悪くはなかったが、月の宮の治癒の神達と、明花が何やら話し合いながら、手を翳しては術を放ち、そしてまた多香子の状態を探りと繰り返している。
維心は、後ろから明花に声を掛けた。
「…明花。どうよ。」
明花は、振り返って維心に頭を下げた。
「はい、王よ。宮に居る時より術は通りやすいのですが、反応が悪く…。とはいえ、今なら通常通りには生活して頂けます。ただ、治っておるのではないので、いつまた同じような発作が起きるか我にも分かりませぬ。」
志心が、言った。
「発作を防ぐにはどう過ごしたら良い。気を付けることはあるか。」
明花は、答えた。
「はい。とにかくは、ご無理はいけませぬ。立ち合いなど、これよりは決してなさらぬように。息苦しく感じられたら、すぐに横になって養生を。ご無理を重ねて来られておるようなので、お体は大変に…お疲れで。表面上は見えておりませぬが、いろいろ他の所にも無理が掛かっておるのです。」
明花は言葉を選んだが、維月には分かった。
多香子の体は、もうボロボロなのだ。
鍛えていたので表面上はシャキっとしていても、中身が見える明花には、まずい状況なのだろう。
漸が、言った。
「…我が悪い。母の病に気付いた時に多香子も調べさせておいたら良かったのだ。女神に多く出るなど…思いもせず。」
多香子は、言った。
「王がお悪いのではありませぬ。我が、なんとのうどこか悪いように感じて生きていたのに、治癒の神に診せておらなんだゆえ。」と、明花を見た。「明花。手間を掛けましたね。もう、龍の宮へ帰って良いのですよ。己の体を己で管理できなかった我の責なのですから。」
普段から、何を見ても動じない治癒の長である明花は、多香子を見て少し、表情を曇らせた。
「…我をお気遣いくださらぬでも良いのです、多香子様。これが務めでございます。」
多香子は、頷いた。
「…聞いておきたいことがあります。」明花は、眉を上げる。多香子は続けた。「我は、あとどれぐらい生きますか。」
明花は、言葉に詰まる。
シンとその場は静まり返った。
維心が、言った。
「答えてやるが良い。主に分かるのならの。」
明花は、維心に頭を下げた。
「はい。」そして、多香子をじっと見つめた。「…このままでありますなら、宮へ帰られて安静になさって半年ほど。しかしながら発作がまた起こってしまえばこの限りではありませぬ。ゆえに、発作が起こらぬようにお過ごし願わねばなりませぬ。」
半年…!
維月は、フラッとふらついた。
維心が、その肩をガッツリ抱いて倒れるのを防いだ。
志心が、言った。
「ならば、ここなら?」明花が、志心を見る。志心は続けた。「月の宮ならどうか。聡子もここにある時は、健康で何の遜色もなく生きておったのに、帰って寝付いておると聞いた。月の宮なら命は繋がるのでは?」
明花は、答えた。
「…はい。恐らく月の宮でなら、今少し時は長らえるでしょう。とはいえ、我はこちらでの治療を継続したことがありませぬので、どれぐらいかはお答えできませぬ。」
月の浄化結界から出る事ができない…。
志心は、それでも頷いた。
「ならば、ここに。」多香子が驚いた顔をする。志心は、蒼を見て頭を下げた。「蒼、面倒を掛けるが、多香子をこちらに預けさせてはもらえぬか。我はこちらへ通って参る。志幡も連れて参ろう。ここなら恐らく、半年を超えて生き抜けるはずぞ。」
漸も、言った。
「蒼、我からも頼む。どうか多香子をこちらに置いてもらいたい。」
蒼は、慌てて言った。
「そんな、頭を下げてくれなくても良いです!もちろん、そうおっしゃるならこちらで預かりますから。どれぐらい頑張れるか分からないけど…。」
多香子は、蒼に頭を下げる志心に、慌てて言った。
「王、そのように我のために頭を下げてしまわれぬでも良いのです。いつかは来る事でありました。こちらに居ては、宮のお務めもこなすことはできませぬのに。そんな妃など、面倒でしかありませぬでしょう。宮を喪に服させることになりまするし、いっそここで離縁してくだされば、我は犬神の臣下としてあちらで黄泉へ参ります。」
志心は、多香子を見た。
「主は、我の妃ぞ。」と、多香子の手を握った。「生きるのだ、多香子。我がこちらへ参るゆえ。志幡に母親の顔を忘れさせたいのか。踏ん張るのだ、せめて今少し。」
多香子は、志心の必死な様に、思っていたよりずっと、志心は自分を大切に思ってくれているのを知った。
「王…。」
多香子が目を赤くする。
泣くのは、恐らくできないのだ。
軍神であった時から、我慢するクセが付いている。
漸が、言った。
「我も様子を見に参る。」多香子は驚いた顔をする。漸は続けた。「我の血族であるのだぞ。逸も連れて来る。」
逸?
皆が思っていると、多香子は言った。
「あれに迷惑は掛けられませぬ。母親らしいことはしてやれなんだのに、今更なのです。」
ということは、逸とは多香子の犬神の宮でもうけていた子だ。
漸は、首を振った。
「それでも母親は母親ぞ。我には分かる。最期に立ち会えずに、あれに後悔させとうない。」
多香子は、それを聞いて何かを悟ったような顔をした。
恐らく漸は、多香子から貴理子の最期を聞いて、後悔したのだろう。
多香子は、頷いた。
「はい。お気遣い、感謝致しまする。」
多香子の顔色は、とても良い。
命の危機に瀕しているなど、思えないほどだ。
そのまま、多香子は月の宮に預けられることになり、志心は宮を放って置くわけには行かないので、多香子を案じながらその場を後にし、維月は綾を龍の宮に置いて来ているので、長居もできず、維心と共に宮へと帰ることになった。
漸だけが、しばらく残るとその場に残り、他は一旦、月の宮を離れることになったのだった。
龍の宮には、綾を案じた翠明が、白虎の宮からこちらへ来ていた。
維心と維月が月の宮から戻ると、鵬からその報告をされ、維心は二人を居間へと呼んだ。
まだショックから立ち直れていない維月は、維心に肩を抱かれたまま、二人の訪問を受けた。
翠明が、入って来て言った。
「維心殿。綾から聞いたが、心の臓とな。何やら、遺伝性の病であったと聞いておる。綾もショックを受けていて、先程やっと話している内容が理解できたところで。月の宮ではどうであったか。」
維心は、答えた。
「月の宮なら何とか小康状態を保っていられるのではと、志心はあちらに多香子を預けることにした。とりあえずは、帰っても普段通りに生活はできるようだが、いつ発作が起きるか分からぬような状況で。月の浄化結界を出たら、さらに悪い状況になることが分かり、やむなく留め置く判断をしたのだ。」
翠明は、言った。
「さらに悪いとは?」
維心は、答えた。
「…余命半年だろうとうちの治癒の長が申したのだ。」
綾は、またショックを受けて涙ぐむ。
翠明は、綾の肩を慌てて抱いて、言った。
「だが、月の宮ではもっと長らえるのだろう?」
維心は、ため息をついた。
「そうは言うが、果たしてどのくらいか。分からぬのだ、蒼も出来る限り励むと申しておったが。何しろ、根本的に治療することができぬのだからの。」
維月も、項垂れていることから、事態が深刻なのは伝わった。
翠明は、息をついて言った。
「…月の力に頼るよりないな。とりあえず、我はもう帰る。綾も、疲れておるだろうし。また何か分かったら知らせてくれぬか。」
維心は、頷いた。
「もう月が高く昇っておる。気を付けて帰るが良い。」
翠明は頷いて、すっかり元気を失くしてしまった綾を連れて、そこを出て行った。
しかし維月は、諦めていなかった。
何か方法があるはずなのだ。
必ずそれを、まだ元気なうちに捜し出さなければ…!




