それから
皐月に入りしばらく、月の宮でゆっくりと里帰りを満喫した維月は、龍の宮へと帰った。
月の宮に居る時から、綾からは頻繁に文が来て、それに返していた。
相変わらず翠明の宮では、椿の死は公には伏せられていて喪中ではない。
なぜなら、皇女があんなふうに鷹の王を殺そうとして犬神の王を傷付けたことまで、公表しなければならなくなるからだ。
そうなると、外から見た宮と宮の間が面倒になり、嫁いだばかりの紅蘭も面倒になるので、とりあえず箔炎が椿を離縁し、老いの始まった椿は静かに療養している、ということになっていた。
そんなことをしても許されるのだと回りの宮が思うと、法が揺らぐ。
だが、当の王達は事を荒立てようとは思っていなかった。
なので、こんなふうに隠すことを選んだのだ。
とはいえ、上位の王達の間では知っていることで、妃の間では、あの時同席していて知ってはいるが、半信半疑であまり実感がないらしい。
しかし、多香子は分かっていて、綾と頻繁に文をやり取りしているようなので、この二人だけははっきり認識していそうだった。
どこの王も、わざわざ公になっていないことを、妃に話したりはしないのだ。
皐月は白虎の宮での会合の予定で、維心はそれに出掛けて行くことになった。
いつもなら、維月も連れて行くと言うところだが、王達の間で椿の話になったりするとまた、維月もつらいだろう。
あちらも絶対に聞いておきたいと思っているはずだ。
そう維心が思ったゆえのことだった。
代わりに、綾と多香子を龍の宮に呼んでも良いと言うので、維月は維心が留守の間にこの二人を宮に呼ぶことにしたのだった。
維心が白虎の宮へと飛び立ってしばらく、綾と多香子が軍神達に守られながら龍の宮へと到着した。
維月は、気軽な訪問着で二人を迎えたが、二人はきっちり正装に身を包んで輿から降り立った。
出迎えた維月は、言った。
「まあ。気楽にしてくださって良いのよ。王も居られぬし、友と楽しく過ごすが良いと仰られておりましたの。」
多香子が、答えた。
「最上位の中の最上位の宮へ上がるのに、訪問着ではと思いまして。ですが、茶会のお席などでは楽な着物に変えさせて頂きますので。」
綾も、頷く。
「はい。王のお顔のこともございます。我らとて、維月様とは友として気軽にお話して頂けたら嬉しいですわ。」
維月は、頷いた。
「では、一度控えの間にいらして。着替えて来られたらよろしいわ。奥の居間に入るのを、王がお許しくださっておるので、そちらでお話し致しましょう。侍女を迎えにやりますので。」
二人は、頭を下げた。
「はい。では後ほどお伺い致します。」
そうして、二人は貴賓室へと案内されて行った。
維心が居ない宮なので、奥宮へ入っても全然問題ない。
維月は、自分の家に親が居ない時に友達を呼んだ心地で、とても嬉しく二人を見送ったのだった。
そうして半時ほど、綾と多香子は維月の侍女に案内されて、奥宮の居間へとやって来た。
近くまでは来たことがあっても、維心が居る時には奥宮には基本的に入れないので、二人は龍の宮の奥宮は初めてだ。
王と共になら入って来られるのだが、翠明も志心も、まだ二人を連れてここに来たことがなかった。
多香子と綾は、訪問着に着替えて身軽に維月に寄ってきて、頭を下げた。
「お二人とも、よく来てくださいました。」維月は言った。「こちらへ。窓際が一番庭を見渡せてよろしいのです。」
二人は、顔を上げて回りを控えめに見ながら、興味深く言った。
「なんと…初めてこちらへ入りましたが、広々と美しいこと。」多香子が、言いながらソファへと座った。「あの柱は?」
この居間には、大きな柱が露出している所が二箇所ある。
維心と維月がいつも、並んで座る天蓋付きの椅子の両側に、太い装飾を施された柱があるのだ。
片方は龍が巻き付いているだけだが、もう片方はそれに加えて、空いたスペースに古代文字から始まって、現代の文字まで刻まれていたからだ。
維月は、答えた。
「あれは、初代龍王より御名を刻んで参りましたもので。」維月は、言って側に歩くと、その文字に触れた。「こちらが維翔様で、そこから代替わりの度に龍王達が刻んで参りました。我が王の前世の五代龍王維心、そして六代将維、七代維心。次はなので、維明が刻むのだと思いますわ。」
二人は、一度座ったのに珍しいものなので、また立ち上がってその柱を見つめた。
「まあ…」綾が、その文字に恐る恐る触れた。「古代文字をこちらに刻んだ初代龍王様が目に浮かぶようですこと。」
維月は、頷いた。
「誠にそのように。歴史を感じる場所でありましょう。」
維月の侍女達が、茶と菓子を持って入って来る。
維月は、それを見て言った。
「さあ、菓子を作らせましたの。戴きながらお話しましょう。」と、侍女に言った。「あなた達は控えに戻っておって。また用がありましたら呼びます。」
侍女達は、頭を下げて出て行った。
維月は、嬉々としてソファへと座った。
「ここでは誰もおりませぬわ。羽根を伸ばしましょう。」
多香子が、椅子に座りながら、息をついた。
「…やっとか。主らと共にだと己が出そうになるのに、臣下を気遣って崩せぬから余計に面倒に思うのよ。」
綾が、フフと笑った。
「でも、ようやっておりまする。我なら己を出せぬなど、鬱屈が溜まってしょうがないと思いますわ。」
維月は、頷いた。
「誠に。あなたは志心様にも妃らしゅう接しているのでしょう。我が王は、少しぐらいなら元をご存知なので、何もおっしゃいませぬけど。」
多香子は、答えた。
「いや、王と二人なら戻すことも恐らく可能だが、常臣下が聞き耳を立てておるしな。王族とはなんと面倒なと、最近は王族を侮っておったと思うておる。我は庶民で、常に誰かに見られているなどなかったからの。」
維月は、茶碗に口を付けてから、頷いた。
「誠に。生まれながらの王族であられる王は、そんなことには慣れておられますけど、我だって月の宮育ちですもの。あの宮は、呼ばねば侍女は来ぬし、常に見られておるなどありませぬので。」
綾は、言った。
「まあ。我は…常に誰かに見られて育ちましたので。こうしておると、己を出すとはどんなものなのか、少し考えてしまうのですわ。つまらないこと。我とて選択肢が欲しかったのに。」
前世でも早くから煽に囲われて宮で育ったものね。
維月は、頷いた。
「ご自分が楽だと思われる様で良いのだと思いますわ。」
それにしても、綾はもう元気になったようだ。
維月は、内心ホッとしていた。
維月は、多香子を見た。
「ところで多香子、漸様のご様子はご存知?あれから回復されたのかしら。」
多香子が、言った。
「お元気のようぞ。まあ、宮を離れてこの方、王に聞くよりほか、あちらの様子を知ることもできずにいたが…最近は、漸様からも機嫌伺いの文が来るようになった。不思議と宮に居た時より、今の方が我を気遣ってくださるようぞ。」
叔母になるもんね。
犬神の宮では、そういった家族関係はややこしいので無しになるようだが、血は繋がっているのだ。
維月は、言った。
「…お母様の貴理子様のことを知られたからではない?見捨てられていたわけではなかった事を、知られたわけだし。」
多香子は、頷いた。
「恐らくはの。姉は最期まで軍神であったからなあ。退役しようかという頃に病に倒れて…呆気なく。」
綾は、言った。
「まあ…いったい何の病でありますか?」
多香子は、頷いた。
「心の臓の。どうやら生まれ持っていたようだが、鍛えていたので強くは出ずに育って生きておったようで。それが、やはり歳を経て体力が落ちて参って、それゆえ力がなくなって衰弱してな。心の臓が動かぬようになったのよ。」
神世に定期検診などない。
なので、知らぬ間に進行して気付いた時には手遅れで、逝ってしまうことになったのだろう。
「…人世には定期検診というのがあって。」二人は、何のことか分からず眉を上げる。維月は続けた。「月の宮では年に一度、全ての臣下が王族も含めて、治癒の神に体を診させるのです。異常が見つかれば治療するので、突然に病で倒れて手遅れというようなことはありませぬ。それは、生まれた時からで、幼い頃に生まれ持った病なども見つかるので、そこから治療を開始して本神も気遣うので、おかしなことにはなりませぬ。他の宮でも、やるべきなのかも知れませぬわね。」
多香子が、驚きながらも興味深くそれを聞いた。
「そんな制度が。月の宮は何事にも先を行っておるな。定期検診とな。」
綾も、頷いた。
「王にご提案してもよろしいかも知れませぬわね。とはいえ、臣下全てとはかなりの数に。」
そうなのよ。
維月は、思った。
龍の宮でもやれば良いのではと一度、鵬達と考えてみたのだが、数が多過ぎていつやれば良いのか分からないのだ。
そもそも行事や政務で、龍の宮で一斉にそれをするのは物理的に無理なのだ。
維月は、息をついた。
「…はい。こちらでも一度、提案はしてみたのですけれど、普段から忙しいのにそこまで時を空けることができずで。未だに成せておりませぬ。」
…洪が戻ってるし、もう一回話してみるかなあ。
維月は思いながら、そのまま多香子と綾と共に、他の話題へと移行して、楽しく過ごしたのだった。




