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詠み人の記憶

維心が義心と共に月の宮へ降り立つと、蒼が急いで奥から駆け出して来て、維心を迎えてくれた。

が、蒼は顔を見るなり維心に頭を下げた。

「維心様!あの、申し訳ありません!オレ、ご迷惑をお掛けしました。碧黎様に籠められて、解放されたのにご挨拶に行けていなくて。」

維心はいったい何の面倒かと驚いた顔をしたが、そのことか、と答えた。

「それはもう良い、皆分かっておってもう収まったことぞ。それより、此度のこと。聡子を塔矢の宮へ帰したと聞いた。あやつの記憶をそのままに戻したのではとこちらへ聞きに参ったのよ。」

蒼は、え、と維心を見上げた。

「維月から聞いていませんか?そうか…昨日の今日だから。」

維心は、首を振った。

「維月からは何も。あやつも関係しておるのか?まさか…天黎が維月を側に置きたいゆえ、面倒だからとかではないだろうの。」

蒼は、首を振った。

「いえ、そんな面倒なことではありません。」と、向こうから維月が飛んで来るのが見えた。「あ、維月が来た!」

維月は、スーッと飛んできている。

龍の宮では礼儀が何とかと言われて飛んで移動などできないが、月の宮ではそんなことは言われないのだ。

「維心様!」

維月は、維心の前に着地した。

「いらしてくださったのですか?」

いつもの、里帰りについて来ているアレだと思っているようだ。

維心は、首を振った。

「いや、まだ三日はこちらに来れぬはずだったが、蒼より聡子を塔矢の宮へ帰したという書状が来て。案じて詳しいことを聞きに参ったのよ。長くは居れぬ。が、あと二日もしたらこちらへしばらく来られる予定ぞ。」

維月は、頷いた。

「はい。あの…詳しいお話を致しましょう。維心様の対へ。」

維心は頷いて、歩き出した。

「蒼、主は良いぞ。突然に来てすまぬな。政務に戻るが良い。」

蒼は、頷いた。

「はい。では、また後で。」

蒼は、また急いで宮の中へと戻って行った。

後ろから、義心もついて来る。

維心は維月と共に、義心を連れて月の宮の中を己の対へと向かった。


維心の対の居間へと到着すると、維月は椅子にも座らぬままに言った。

「…維心様がお気になされておりますこと。聡子様のご記憶ですが、天黎様の近くに長く居た弊害で、失われたということにしております。つまりは、天黎様は聡子様から、詠み人としての記憶を消されましたの。」

維心は、維月を促して椅子へと座りながら、言った。

「消したのか。聡子が望んだのだの?」

義心が、目の前に膝をついて控える。

維月は、答えた。

「いえ…聡子様は否とおっしゃいました。ですが、天黎様が容赦なく。一瞬のことで…聡子様は構える間もなくご記憶を失い、今ではそんなことすらお忘れで、塔矢様の宮へお戻りに。そもそもが、天黎様は婚姻の真似事などをなさろうとしましたが、身がそのようにならぬで成せておらぬから、聡子様にも傷もついておらぬしそれで良いと申されて。」

維心は、息をついた。

「…良い事などあるまいが。そもそも蒼の場合は、こちらに居たのはひと月ほどで、破談になったとて皆が納得する期間であるが、あやつは二百年近くもここに居た。しかもそんな婚姻を強いられていたとなると、神世の心象も悪い。品は?」

維月は、頷いた。

「はい、すぐに私が指示を出しましてかなりの数を厨子に籠め、持ち帰って頂きました。とはいえ、聡子様御本人が何も覚えておられぬので、何故に月の宮に居て、何故に歳を経ているのかもおわかりになっておられずに…。塔矢様からは、月の眷属との婚姻が何たるかを知らずに、許してしもうた我の責でもあると、穏便な書状が蒼宛に届いておりました。」

維心は、息をついた。

「…天黎が悪い。ならば最初から、あやつの記憶を消しておいてくれたら良かったのだ。結局、あれから感情を学ぼうとしたのだろう?あやつの生が無駄になってしもうたのでは。」

維月は、答えた。

「はい。ですがこれは天黎様からも穏便になされた方で…最初は処分とか申されておりました。聡子様との間は拗れており、もう長く共には過ごしておられなんだようで。聡子様も、詠み人としての記憶に固執し、天黎様が感情を追い求めることも無駄だと私に申しにわざわざ参りましたの。聡子様は、天黎様が結局諦めてたった一人あの空間に戻られ、そこからこちらを眺める未来を見ておられると、天黎様が足掻くのを許さぬ勢いで。言い争いになりました。」

そんなことが…。

維心は、息をついた。

「とはいえ…聡子の記憶は確かなのだろう。炎嘉も志心も言い当てられて、何やら母親に対するような心地になっておったのを知っておる。」

維月は、維心を見上げた。

「あの…私も初めて知りましたのですが。維心様は、詠み人が一人ではないことをご存知ですか?」

維心は、眉を上げた。

「なんと申した?それは知っておるが、違う世を見ている詠み人のことか?」

維月は、首を振った。

「この世界を詠んでおる詠み人ですわ。何でも、多くの詠み人が居て、それぞれがこちらの選択の先にある、未来を詠んでおるようです。聡子様の詠んだものは、今では全く違うものになりつつあります。聡子様の知る未来では、父は狂うて孤独から私を囲い込んで離さなくなり騒動を起こしたとか。維心様はルシウスと私の仲を妬いて大騒ぎになり、十六夜と私はお父様に命を繋ぐのを許されずに一度も命を繋ぐことなく終わります。多香子様は志心様の後妻で、上手く行かぬようです。何一つ、的中しておる未来がありませぬ。」

…確かに、今更妬くとかないな。

維心は、思った。

つまりは、聡子が詠んだ未来は、もう変わっているのだ。

起こることは似ていても、同じではなくなっている。

そもそも、聡子の知る筋書きでは、聡子は生き延びていないのだ。

維心は、言った。

「…ということは、聡子はもう詠み人ではなかったのだの。それでも、その記憶を残していたいと申したのか?」

維月は、息をついて頷いた。

「…はい。天黎様が仰るには、聡子様は人であられましたし、まだ未熟な命であったので、その記憶は分不相応であったと。なのでそれを取り去り、新たに聡子として生きよ、とのことでした。聡子様はその記憶に最後までこだわっておられましたが、天黎様は容赦なく、一瞬でそれを消してしまわれた。未熟な命なのは、私も話していてその意識からそうだろうとは思いましたし、天黎様の決定に抗う術などありませぬ。後は蒼に丸投げでしたが、私も手伝ってこのようなことに。」

維心は、頷いた。

「…天黎にできぬ事などないからの。あれがそのように決めたのならば、仕方のないことぞ。こちらとしては、詠み人としての記憶のある無しが重要であった。無くなったのなら問題ない。そのように、それを知る他の王達にも申しておく。」と、立ち上がった。「維月、我は去ぬ。やることがまだまだ山積しており、今また増えた状態ぞ。主とここにまだ居たいが、それはまた二日後に。」

維月は、同じく立ち上がって頷いた。

「はい。お待ちしておりますわ。夜だけでも、帰れそうなら帰ります。が、父のことも見舞わねば。まだ回復したばかりなので。」

維心は、頷いた。

「分かっておる。また二日後には必ず参る。ではな。」

維心は、歩き出した。

維月はそれについて歩き、その後ろから、義心が黙ってついてくる。

まだまだ神世のゴタゴタは、収まりそうにはなかった。

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