影響
維月は、一人いつ戻って来ても良いようにと、碧黎の対でじっと待っていた。
あれからしばらく経っているが、一向に碧黎も十六夜も戻って来る様子はない。
よく考えたら、あちらとこちらは時の流れが違い、あちらの方が遅く流れているのだと数日戻って来ない事を覚悟し始めた時、急に低い地鳴りがした。
「…え?」
維月は、思わず地を見下ろした。
いつも安定している磁場が、何やらおかしな動きをしているように思う。
そう感じて戸惑いながら空を見上げると、気流も秩序だった流れから、どっちへ行っていいのか分からないような迷うような動きをしているのが分かった。
「…お父様…。」維月は、急いで月から地へと戻った。途端に、碧黎から真っ暗な冷たい感情を感じ取り、維月は思わず身震いした。「これは…もしや、お母様はもう…。」
維月は、これが片割れを失った孤独なのか、と思った。
碧黎の心の中には、今底知れない孤独の闇が迫って来ていて、碧黎はそれを振り払おうと意識をそちらに集中させ始め、そのせいで恐らく、いろいろなものが乱れて来ているのだ。
「お父様!」維月は、碧黎を呼んだ。「お父様、私はここ!こちらへいらしてください、今すぐに!」
すると、何の前触れもなくいきなり、目の前に碧黎が現れた。
碧黎の意思で来たというよりは、何かに送られて来たような印象を受ける。
「お父様!」
維月は、急いで碧黎の人型へと寄って行って、その手を握った。
天黎の声が、言った。
《しばらく回復には掛かろう。これは理屈ではないからの。突然に真っ暗な孤独の中へと突き落とされる心地になるゆえ、地に戻っておっては逆に悪うなりそうぞ。主が何とかせよ。》
維月は、頷いた。
「はい、天黎様。気流や磁場の乱れはこれゆえに…?」
天黎は答えた。
《その通りよ。碧黎は己を安定させるのに尽力しておるゆえ、とりあえず火急に問題ないことは放置しておるのだろう。そのうちに収まる。後は我に任せよ。》
そうして、次に十六夜が出て来た。
「親父!」と、維月が居るのを見て、十六夜は続けた。「ああ、お前が戻ってるからな。良かった、親父の事は頼むぞ。オレ、蒼を親父の空間に放置してたの忘れててさ。親父がこんな様子だから、多分蒼の空間も荒れ狂ってるはずだろ?ちょっと行って来る。お前は親父を頼む。」
維月は、蒼のことを忘れてたと、頷いた。
「お願い、十六夜。お父様は任せて。」
十六夜は、その場から消えた。
碧黎が、言った。
「…問題ない。特に体の具合が悪いのでもない。ただ、何やら精神的にのしかかって来るような、暗く冷たい何かが我を凍らせようとしておるようぞ。気を弛めたら、それに飲まれるゆえ他に気を遣っていられぬのだ。」
維月は、碧黎の手を撫でた。
「私が居ります。こうしてお傍に居っても落ち着きませぬか?」
碧黎は、ニコリともせずに、しかし頷いた。
「主が居ってくれたら少しはマシぞ。」
少しはマシでも、充分に大丈夫なわけではないのね。
維月は、空を見上げた。
地である碧黎の心が凍ると、恐らく地上も凍って命の気の循環も極端に減る。
つまりは、生き物を育むための力が激減するので、すぐにはどうにかならなくても、数か月もしたらあちこち弊害が出て来るだろう。
「…問題ありませぬ。」
維月はそう呟くと、碧黎を連れて、碧黎の対の奥の間へと入って行って、その寝台へと座らせた。
碧黎は、言った。
「体は問題ないのだ、維月。寝ておらぬでも我は大丈夫ぞ。ただ、内の問題なのだ。」
維月は、頷いて碧黎の膝に跨ると、その肩を押して寝台へと倒した。
碧黎が驚いた顔をすると、維月は言った。
「陰の月に戻ります。」維月の瞳は、真っ赤になった。「さあお父様、孤独など感じておる暇もないようにさせてご覧に入れましょう。私のことしか、考えられぬようにして差し上げますわ。」
碧黎は、慌てて維月の肩を掴んだ。
「待て、我は良い、が、維心との取り決めは。」
維月は、手で碧黎の両頬を包んで、答えた。
「取り決めなど、一度私が里へ帰った時に消滅し、それから何の取り決めもないまま過ごして、そうして私は再び龍の宮へと戻り、今は何もありませぬ。この非常時に、何を申されておることやら。」と、フフと笑って碧黎に唇を寄せた。「ですがそのようなお姿も良いものですこと。どうぞ存分に抵抗なさってくださいませ。」
…陰の月を解放しよって…。
碧黎は思った。
実際、陰の月の力であっても、十六夜や碧黎、天黎などの同じ眷属の陽には、その力は影響を与えることはできない。
なので、抵抗しようと思えばいくらでも出来る碧黎だったが、自分の唇を塞ぎ、体をまさぐって来るのが維月だと思うと、身の内から震えが走るほど欲しいと思うぐらいに、それは歓喜の感情しかなかった。
そうしてされるがままに、その身に触れる維月の肌と、気の心地良さに身を委ね、気が付けば孤独の闇ではなく、維月の気に飲まれてそれにすっぽりと包まれて、維月のことしか思い浮かばぬほどになっていて、遂にはその身、命を己から求めて夢中になっていたのだった。
亀裂から現世へと戻った維心は、居間で困惑した様子で待つ、義心と鵬の目の前に降り立った。
維心が戻って来たのを見た二人は、急いで膝をついて、頭を下げた。
「王!ようお戻りくださいました。ただ今、異常な気の流れが発生しておりまして、軍神総出で正そうとしておりますが、流れの規模が大き過ぎ、我らでは太刀打ちできぬ様で。お待ち申し上げておりました。」
義心が言うのに、維心は外を見上げた。
確かに、気が荒れ狂っているというよりは、行き場を見失ってあちこちしているように見えた。
地中からも、おかしな気が感じられて落ち着かない。
すぐには何か無さそうな様子だったが、不気味な様だった。
そこへ、帝羽がやって来て膝をついた。
「王。鳥の宮から、この度の様子の事に関しての、問合せが来ておりまする。」
維心は、手を差し出した。
「これへ。」
維心は、書状を受け取って、サッと中を確認した。
炎嘉からは、このおかしな様子に心当たりはあるかと書いてある。
維心は、息をついた。
「…碧黎の心情が乱れておるゆえのことぞ。炎嘉には申しても良いだろう、かつて陽蘭であった命が今、消滅した。片割れの消滅は、愛情云々関係なくその片割れに波及するらしい。碧黎が己を取り戻すまで、しばしこのままぞ。恐らく天黎達が見ておって何とかしてくれるとは思うが…幸い、維月があちらへ帰っておるゆえ、碧黎をなだめることをやってのけると思う。左様、上位の宮には知らせておけ。他の宮からの問い合わせには、対策中だと答えよ。」
鵬は、頭を下げた。
「は!ではそのように。」
義心は、言った。
「王、気の乱れに伴い、結界内も流れが乱れて、我らの気も増減を繰り返し、軍神達は飛んでいる最中に突然に気を喪失して落下する事故も起こっておりまする。その事に関してはどう対処致しましょうか。」
維心は、気を喪失するのは磁場だなと言った。
「…磁場は我ではどうしようもない。碧黎が落ち着くまで、高い場所を飛ばぬように気を付けよ。鵬に申して他の宮にもそのように対策させよ。いくら神でも高所から落ちたらひとたまりもないからの。」
義心は、頭を下げた。
「は!」
そうして、義心も出て行った。
維心は、この面倒がいつまで続くのか分からないが、それが早く収まるように、維月には一刻も早く碧黎を何とかして欲しいと思っていたのだった。




