嘘
皐月に入り、龍の宮での神世の会合が終わってから、維月は密かに義心を伴い、翠明が帰る行列に紛れて、龍の宮を出た。
会合ではもっぱら、破邪の舞いのことを炎嘉が説明し、皆を労うために再び酒が配られた。
もう、どこも通常通りであるようだったが、それで一先ずその騒ぎは終わりということにしたのだ。
翠明から聞いた、綾の様子は芳しくない。
翠明も案じて気を紛らわそうと、台盤所の神に命じて毎日ありとあらゆる菓子を作らせて届けさせるのだが、あれだけ好きな菓子にすら、見向きもせずに奥にひきこもって、友から来る文すらも、文箱を開きもせずに放置しているらしい。
つまりは、維月の文にだけは、返してくれていたのだ。
維月は、綾のことを思うと胸が潰れそうだった。
そんな様子なので、維月が里帰りの前に南西の宮に立ち寄りたいと言うと、翠明は二つ返事でそれを了承した。
そんなわけで、維月は義心だけを伴って、南西の宮へと降り立ったのだった。
南西の宮では、いきなりに維月が来たので一瞬パニックになりそうになった。
龍王妃を迎えるための、準備も何も出来てはいないからだ。
が、翠明が里帰りの前に少し立ち寄っただけだと皆を落ち着かせ、維月は特別に許されて、この宮の王族しか立ち入ることのできない、奥宮へと向かった。
この宮の侍女に案内されて綾の部屋へと向かうと、侍女が声を掛けた。
「王妃様。龍王妃様がお越しでございます。」
開いた扉の向こうに、綾が髪も結い上げないままにソファに沈んでいるのが見える。
綾は、驚いたように顔をこちらへ向けた。
「え、維月様が…?」と、半信半疑で目を凝らして、維月を認めると、飛び上がるように立ち上がってこちらへ来た。「維月様…!まさかこのような所にまでいらしてくださるとは…!」
維月は、急いで綾の手を握った。
「綾様、お会いしとうございました。無理を承知で王にご相談し、里帰りの途中ということで、本日翠明様にこちらへお連れ頂きましたの。翠明様にも大変に案じておいでで…。」
綾は、涙を流しながら答えた。
「このようではならぬのですけど。王にご心配をおかけしておるのは分かっておるのです。ですが、椿の最期が脳裏に焼き付いて離れず…なんと哀れなと、思わずにはいられずで。」
維月は、侍女に頷き掛けて場を外させた。
そして、綾を支えて庭の見える椅子へと向かい、そちらへ並んで座った。
「…我も、月より全て見ておりました。ですから綾様の心地は分かります。が…椿様は箔炎様を殺そうとなさった。あの姿は…こう申しては非情ではありますが、自業自得であるかと…。」
綾は、何度も頷いた。
「はい。分かっておりますの。それでも幸福そうにしていたあの子を思うといたたまれず。何故にこんなことにと、思わずにはいられませぬ。箔炎様をお恨みしてはおりませぬが、それでも…。今少し話し合って納得させてくださったなら、こんなことにはと考えてしもうて。あんな、枯れ木のように…。あんまりですわ。」
綾からしたらそうだろう。
維月は、息をついた。
そして、綾の目をじっと見た。
「綾様、我の申すことを聞いてくださいますか?」
綾は、懐紙で涙を拭いながら、維月の目を見つめた。
「はい。なんでございましょう。」
維月は、頷いて続けた。
「本来、我らの血族と一部の王しか知らぬこと。ですが椿様はもう、この世に居られませぬ。ゆえにお話致します。」と、息を吸った。「…椿様は、前世我の母でした。陽蘭と申す陰の地で、我が父の片割れであったのです。」
綾は、え、と動きを止めた。
「え…椿は、月の眷属の生まれ変わり?」
維月は、頷いた。
「はい。本来、我らは不死で、仮に死んだとしても神になることはありませぬ。何故なら命に力があって、面倒なことになるやも知れず、同じ眷属として生まれて参ります。が、陽蘭は父に対して愛情を求め、父はそんな母を疎ましいと感じました。父は母を愛してはおらず、それを強制されることを嫌って母を遠ざけました。母は、眠りについておりましたが、後に目覚めて箔炎様と出会いました。そして箔炎様と愛し合い、前世箔炎様が黄泉へと参られた時にも、生きながら黄泉へとついて参ったほどでした。ですが、箔炎様が再び転生なさろうとした時…それは起こったのです。」
綾は、じっと維月を見つめている。
「…それとは?」
維月は、答えた。
「はい。母は、箔炎様が二度と離れることがないように、月の眷属として生まれさせようとしました。ですが、箔炎様は鷹として生まれることをお望みでした。母はそれを阻止しようとし、父は箔炎様を助けようと動いた。父も大変に難儀しました。その様があまりにも強引で、己のことしか考えておらぬと、まだ未熟な命と判断され、天黎という創造神と言われる命に、神へと落とされ今一度限りある命の中で、学ぶことを命じられました。そうして…母は椿様として、転生して参りました。」
綾は、全く知らなかったことに目を丸くしながら聞いている。
維月は、息をついた。
「母は何も覚えておりませんでしたが、その性質はかつての母とそっくりでした。我らは懐かしくそれを見て、学びを助けて生きておりました。箔炎様はもう、母には見切りをつけていらしたのですが、此度の椿様には罪はなく、何も覚えておられない。なので、駿様と破談になって戻られた、椿様をもう一度娶る決断をしてくださいました。が…この、正月に。神威様より、母がまだ母である時に、不自然に箔炎様との縁を繋いで生まれて参っていた事を知ったのです。椿様は少し、横暴になって来られていて、かつての母を思い出させるような様であられた。それも手伝い、まだ陽蘭の手の内かと、箔炎様は完全に椿様からお心を離されてしまいました。が、地であった母が繋いだ縁は強く、あのままでは箔炎様は逃れることはできないと、その不自然な縁を我が父が切り落としました。その後は、椿様のご努力で、もしかしたら新しい縁もと、皆期待しました。が…執着を止められず…ますます離れてしまうことにおなりでした。全てを知る我は、何度も椿様をお諌めしましたが無駄でございました。」
維月は、その時全てを知っていたのだ。
だが、言えなかったのだろう。
綾は、また涙をボロボロと流した。
「…そんなことが…今の椿には、何も覚えていないことであったのに…。」
維月は、頷いた。
「はい。ですが、それは宿命でありました。今度こそ、その執着を手放し、相手の幸福を祈って己を抑える事ができるのか。何度生まれ変わっても、それが椿様の前世の行いからの、学ぶべき命題でした。が…今生でも、それはできませんでした。さらに悪いことに、箔炎様を道連れになさろうとまで…漸様が居なければ、箔炎様は黄泉へと参っておられたでしょう。その罪は重く…我は、椿様があちらでどうなさっているのかと案じて…。」
維月は、言葉を止めた。
ここまでは、椿が生きてこの世にある間は、決して口にできなかったことだ。
が、今の様子は、恐らく口にすることは許されない。
話してしまうと、恐らく維月は眠りに入る。
綾は、身を乗り出した。
「…今は?維月様、今あの子はどうしているのでしょうか。黄泉は穏やかな場、あちらへ参れば、気持ちも少しは落ち着いて、己のしでかしたことに後悔して次の転生を待っておるのでしょうか。」
…それなら良かったのに。
維月は、唇を噛んだ。
碧黎が、地からふんわりと気を放って来ていて、恐らく言うなと維月に言っているのだろう。
維月は、じっと綾を見つめていたが、言った。
「…はい。椿様はあちらで、次の学びの時のために励んでいらっしゃいます。綾様、黄泉は良い所ですわ。次にお生まれになる時は、全てを忘れていらっしゃるでしょうが、次こそはきっと、執着を手放す事ができると信じております。それには、現世の我らがいつまでも椿様に執着し、嘆いておってはなりませぬ。あのような最期であったと、忘れて差し上げないことには、なかなかに抜け出せぬと思いませぬか?あちらから、こちらは見えるのですから。」
碧黎から、フッと癒しの気が維月に向かって流れた。
維月は歯を食いしばって泣きそうになるのを堪え、綾に微笑み掛けた。
綾は、涙を拭いて頷いた。
「はい。」と、維月に微笑み掛けた。「その通りですわ。あちらから、我が王が悲しまれているのを見て、それは案じてなりませんでしたもの。椿に、心配を掛けてはなりませぬわね。あちらは確かに良い所なのですから。やっと解放されて、あの子も楽になりましたのに。」
微笑む綾に、維月は微笑み返しながらも、胸が痛くて仕方がなかった。
そうして維月は、里帰りの途中なのでと早々に南西の宮を飛び立ち、月の宮へと逃げるように向かいながら、その輿の中で泣いたのだった。




