最期に
「…椿ぞ。」翠明は、諦めたように言った。「老いが始まっておった。が、ここまで速く老いてしまうような様ではなかったのに。」
すると、維心から発さられていた凄まじい気の放流が、はたと止まった。
恐らく、舞いが終わったのだ。
圧力から解放された漸が、前へと進み出て椿の様子を見た。
「…焦げた匂いはこやつからぞ。死臭もな。」
箔炎が、言った。
「…生きておるのか?」
漸は、頷いた。
「まだ、の。だが時間の問題だろう。」
翠明が、進み出て椿であろう枯れ木のような老婆に、声を掛けた。
「…椿。」
だが、反応はない。
翠明が箔炎を振り返ると、箔炎が言った。
「…椿。」
すると、椿はピクリと反応した。
そして、うっすらと瞼を開いた。
「…王…?」
箔炎は、答えた。
「…大層なことをしでかしたの。誠に残念だが、主は離縁ぞ。里へこのまま残ることになる。」
椿は、しわがれた声で言った。
「…王の御下へ帰るためでございます…!我を捨てることなど、あなた様にできようはずはない。我らは生きるも死ぬも共であったはず…!」
漸が、脇から言った。
「何を言うておるのよ。箔炎はこの通り若くてピンピンしておるが、主は老婆。しかも気を使い果たしてこのまま死ぬだろう。」
椿は、目を見開いた。
「老婆…?我が?」とふるふると手を震わせて持ち上げ、見た。「…ああああ!!我の、我の身が…!」
そこにあるのは今にも朽ちようとしている、枝のような腕だった。
すると、後ろから声がした。
「…老いが始まっておるのに、無理に気を暴走させた報いぞ。」振り返ると、そこには維心が立っていた。「破邪の舞いで消されるのは、邪で自分勝手な想い。浄化が目的であるからな。だが、それが過ぎるとそれを発する脳ごと消しに掛かるゆえ、主は真正面から力を受けて、その身の中のほとんどを焼き切られた状態ぞ。またそれを何とか防御しようと、残りの気を使ったゆえ…そうなった。本来、まだ数年あるはずの命が、己の行いで縮まったのよ。」
漸が、言った。
「そうか…この焦げ臭さはそれか。何が焦げておるのかと思うた。」
維心は、頷く。
椿は、涙を流した。
「…もう、終わりなのですか。我は元には戻れぬと。」
維心は、首を振った。
「戻れぬ。治癒の者に留めさせれば、少しは持つだろうが結局同じ。もう、その身に力は残っておらぬ。黄泉へ参って、やり直すが良い。その方が無駄に時を取らずに済む。主のためぞ。」
翠明も、頷いた。
「このままでは苦しむしかない上に、結局黄泉へ向かう。それに、今は宮の治癒の者たちも今の騒ぎでふらふらで、誰かを治療する力もないしな。」
椿は、箔炎を見た。
「箔炎様…こんな、こんなお別れなど…。」
箔炎は、その目から視線を外さずに、言った。
「…よう務めてくれたと労う心地もある。が、主は結局のところ、我の幸福というより、己の幸福を追い求めていたのだ。主は覚えておらぬだろうが…前世の主もそうだった。我の心地より、己の心地がまず始め。無理を通そうと回りを巻き込んで己の事しか考えられぬ。それでは永劫に、共に生きるなどできぬ。それゆえ、我は敢えてこの時でも、主を受け入れることはできぬ。離縁する。この宮の、皇女として黄泉へ参るが良い。そして次こそは、間違えることがないようにの。」
椿は、目だけが真っ赤に光を帯びた。
「我は…!己の幸福を求めて何が悪いのですか…!あなた様は愛してくださると言ってくれたはず。都合が悪いからと今更離れるなど、許しはしませぬ…!」
椿から、どこにまだそんな力がというほど鋭い気が箔炎に向けて放たれた。
「箔炎!」
漸、翠明、維心が叫んだ。
が、維心は最後尾、前には翠明と漸、間に箔炎が立つ状況で、維心の気が三人を避けて椿に向かうのが間に合わない。
が、隣りに居た漸が、箔炎を突き飛ばしてその気をもろに受けた。
「漸!」
今度は箔炎が叫んだ。
「ぐ…!」漸は、膝をついた。「結構な強さであるわ…。」
「漸!」箔炎が、漸の隣りに膝をついた。「漸、どこをやられた!」
漸の胸からは、夥しい量の血が流れて来ている。
漸は、フンと鼻を鳴らして、口元から血を垂らしながら、椿を見てニヤッと笑った。
「…残念だったの、椿。箔炎は共には行かぬようよ。絶望のまま、行け。」
椿の目は、悔しげに見開かれていたが、そのままスッと光が消えた。
気が抜け去って行くのが感じられ、今の力で全て使い果たしたのが分かった。
「漸!翠明、治癒の者は!」
箔炎が叫ぶ。
維心は、言った。
「この宮の者は誰一人として今、役に立たぬ!そこに寝かせよ、我が!」
漸は、翠明と箔炎に手を貸されながら、首を振った。
「大したことは…」と、スッと脱力した。「…ない…。」
「漸!」
維心は、漸の治療のために気を発しながら、言った。
「炎嘉の宮へ運ぶ!今無事なのはあの宮と我の宮だけぞ!王が全員揃っておるのだ、命だけは留められよう!」
箔炎と翠明は頷いて、そうして三人で、気を失った漸を持ち上げて鳥の宮へと急いだ。
漸の顔色は、真っ青だった。
維月が、不意に叫んだ。
「…漸様!」ギクリとした顔で王達が振り返る。維月は空を見上げて続けた。「ああ漸様が…!」
炎嘉が、慌ててやって来て維月の肩を抱いた。
「落ち着け維月!どうした、何を見ておる?!」
維月は、涙を流しながら炎嘉を見た。
「箔炎様を庇われて…!どこを痛めたのか、まだ分かりませぬ!が、夥しく出血され、気を失われて維心様方が今、こちらへ運んで来られます!」
炎嘉は、叫んだ。
「治癒の者をこれへ!」炎嘉は、維月をなだめた。「大丈夫ぞ、うちは治癒の神も大半は無事であった。早うに義心が結界を張ったゆえ。我らも居る、漸は問題ない。」
維月は頷いたが、真っ青な顔をしている。
それだけ漸がまずい状況なのだと、焔が言った。
「…皆集まって漸が到着したら一斉に気を補充しよう。治療は、維心の方が長けておろう。留めている間に、あやつにさせよう。治癒の神はその後ぞ。」
炎嘉は頷いたが、いつもなら肩を抱けばやんわり離れる維月が、炎嘉の胸に額を寄せて震えていることから、その深刻さが分かって落ち着かない。
炎嘉は、維月を抱きしめて言った。
「案じるな。我が何とかするゆえ。我に任せよ。」
維月は、小声で言った。
「炎嘉様…母が、母がやったのでございます。箔炎様を道連れにしようと…我が母が…。」
だから責任を感じているのか。
炎嘉は、維月を抱く手に力を込めた。
「問題ない。これだけの王がいて、留められぬ命などない。維心は黄泉の道にも行ける。最悪なんとかなる。主のせいではないゆえな。」
維月は頷いたが、まだ震えは止まらなかった。
そんな中で、維月が言った通りに、維心と箔炎、翠明が、漸に気を補充しながら空から舞い降りて来るのが見えた。
「王!」
多香子が、漸が真っ青な顔で寝かされるのを見て、思わず声を出した。
多香子からしたら、自分の王だった男なのだから、声も出るだろう。
王達が、ワッと寄って行って一斉に気を漸に照射した。
「維心!主がやれ、傷を塞ぐのだ!」
維心は、頷いて手を上げた。
「出血は飛びながら止めた。が、かなり深くやられておるから、それまでかなり失っておって意識が戻らぬのよ。しかし急所は外れておる。咄嗟に避けたのだろう。」
箔炎が、気を補充しながら言った。
「我を庇ったゆえ…!我ならあの場で避けきれずに直撃しておったゆえ、即死であったろう。漸が居らねば、今頃我がこうなっておった。」
妃達は、邪魔にならないようにと後ろへ下がって震えてそれを見ている。
王達は、漸を取り囲んで必死にその命を留めようとしていた。




