波動
「…来た。」炎嘉が叫んだ。「備えよ!来るぞ!」
途端に、ぐわっと空気が揺れるような衝撃が空間全体に襲い掛かったのがわかった。
…抑えていらっしゃるのに。
維月は、遠く南西の宮で舞う、維心の様子を月から見ながら思っていた。
腕には、怯える綾をしっかりと抱き、守るように包んでいる。
妃達は王の側に寄り添い、王達はその肩を抱いてその衝撃を険しい顔で見上げていた。
炎嘉は、結界でそれを受け流しながら、言った。
「…ならぬな。維心の力は通って来るゆえ。受け流せても一部、臣下達がバタバタ倒れておるのが分かるわ。」
そんな中で、壺を抱えた開がやって来て膝をついた。
「王、宮の中は軍神達でも処理が追いつかぬ様子で…!」
炎嘉は、眉を寄せて開を見た。
「主、こんな時に何故に壺を抱いておるのよ。」
開は、答えた。
「咄嗟に龍の宮から戴いた壺が目に入り、これしかないと。」
確かにそれしかないかもしれない。
王達は顔色を悪くはしていたが、百華のお陰か皆とりあえず無事なようだ。
龍の軍神達が義心の命で回りを囲み、そんな王達を守っていたが、龍達は全く影響を受けていないようだった。
義心が、炎嘉に言った。
「…我が結界を。炎嘉様の結界外に、結界を張る許可を頂ければ。」
炎嘉は、頷いた。
「頼む。主ならできるな。」
義心は、頭を下げた。
「は!」
そうして、義心は手を上げた。
義心から打ち上がった力は大きく炎嘉の領地を包んで半球を描き、そうしてそれは安定した。
途端に、炎嘉はホッと息をついた。
「…一気に楽になったわ。」と、皆を見た。「もう問題ない。ここは、の。」
月からは、義心の結界が龍の気を放って維心の力を流して行くのが見えた。
志心が、息をついた。
「夕凪は間に合ったかの。これでは宮は大変な有り様だろう。とりあえず、龍の宮からもらった物を納めてある蔵に皆で籠もれとは命じたが、全員が入れたとは思えぬ。」
焔が、息をついた。
「うちは距離があるゆえ、弦が到着して叫んだ途端にこれよ。恐らく皆やられておる。が、浄化であるからな。死にはせぬと割り切るよりない。帰ってからが大変ぞ。」
どこもそうだろう。
皆が、目を凝らして己の結界から宮の様子を見ようとしているのが分かった。
維心の舞いは、まだ続いていた。
…破れる…!!
椿は、思い切り斬り込むように全身全霊で翠明の結界を突き破ろうと力を放った。
「うお…!!」
翠明は、うめき声を上げながら、必死に結界を留めようと力を放った。
すると、維心が舞いをひと差し、足を横へと滑らせた途端、物凄い力が足元から突き上がって来て、翠明は空中で後ろへとつんのめった。
その拍子に緩んだ力の隙間から、椿の気がグッと湧き出すように抜け出て来るのを感じた。
…しまった…!
翠明が自分の手の間からすり抜けていく、椿の凝り固まった面倒な気配の塊のようなものを掴もうともがいていると、それを維心から放出された気が、真正面から捉えて襲い掛かって行った。
「うあああああああ!!!」
その途端に、地の底から聴こえて来るのではないかというような、椿の悲鳴のような、うめき声のようなものが聴こえて来た。
維心はそんなものには気付いていないように、ひたすらにそれは美しい所作で、手順通りの舞いを舞っている。
…この前は、こんな風に見ている余裕はなかった。
翠明は、思いながらたった一人、南西の宮の庭で舞う、維心を上空から見つめた。
この世にこんなものがあったのかというほど、それは美しい動きなのに、発せられる大きな気は鋭い刃のようで、襲われた神達は皆、バタバタと倒れて気を失って行く。
翠明は、言われていた通り身にまとっている百華のお蔭で、全く影響を受けてはいなかった。
「…椿は。」
聞き慣れた声に、ハッとして振り返ると、そこには箔炎が浮いていた。
翠明は、驚いて言った。
「主は一番参ってはいけないのではないのか。」
箔炎は、首を振った。
「我が元凶。主らだけに任せておくわけにはいかぬ。維心の舞いは、椿を止めたようだの。あちらからこちらへ来る間、嫌な気を感じていたが、維心が舞い始めたらピタと収まった。」
翠明は、そういえば、と椿の部屋の方向を見た。
自分の結界は消えていたが、それでもシンと静まり返っていて、何の気配もない。
舞い始めてすぐに、椿はその力の直撃を受けて抑え込まれたと思われた。
「…箔炎?翠明。どうよ、維心は舞っておるが、力の直撃しておる先の神は虫の息のような。このまま続けさせて大丈夫か?」
また声がして振り返ると、漸がそこに浮いていた。
翠明は、言った。
「虫の息?なぜに分かる。」
漸は、答えた。
「死にかけの神の匂いがするからぞ。所謂、死臭ぞ。」と、宮の入り口辺りで、軍神達が運び出して並べて寝かせている神達を顎で示した。「あれらは気を失っておるが、死にかけてはおらぬ。それぐらいは匂いで分かるわ。」
こんな所にまで匂って来るというのか。
箔炎が、言った。
「…参ろう。死にかけておるというなら、今しか近寄れる時があるまい。維心の舞いが終わる前に、様子を見に参った方が良い。この気にがんじがらめにされておったら、こちらを気取っても身動き取れぬだろうぞ。」
箔炎は、言うだけ言うと同意も待たずにさっさと下へと降りて行った。
翠明は、慌てて言った。
「待て!」と、降りて行く。「主は前に出ぬ方が良い!顔を見たら、何をするか分からぬぞ!」
漸は、そんな二人を見ながらため息をついたが、そのままその後について、宮の方へと降りて行った。
椿の気配を探って降りて行くと、そこは維心の気の放流が直撃する場所だった。
三人は百華を身に付けていたので踏ん張ったが、それでも相当な圧力を受ける。
まるで、溶岩の放流が流れて来る最中に、いつ破れるか分からない気の膜をまとって立っているような心地になって、翠明は顔をしかめた。
「…ここは直撃ぞ。さすがの椿も、こんなところに丸腰で居たら、もう身動き取れぬだろう。」
漸も、落ち着かないように身を動かした。
「…マズい気配ぞ。百華は持つのか。こんな強い気を受けたことはこれまでないぞ。浄化も過ぎたら我らを殺す。離れた方が良いのではないのか。」
箔炎は、お構いなしにサクサクと先へと歩いて行く。
すると、扉が破壊されて吹き飛んだ、部屋へと行きあたった。
「…そこが椿の部屋ぞ。我の結界を破ろうと力を放ち続けよったゆえ、恐らく中身はもっと酷い有様ぞ。」
箔炎は頷いて、辛うじてぶら下がっているような石の扉を脇へと避け、中へと足を踏み入れる。
さすがに翠明が、箔炎を引っ張って自分の後ろへと庇うように押しやった。
「…主は後ろから参れ。油断するでない。」
箔炎は、何か言いたそうな顔をしたが、結局何も言わずに後ろへと下がった。
漸も、前に出て鼻を動かして顔をしかめた。
「…焦げ臭い。何かが焼けた匂い。だが、焼けたのはそこらの物ではないようよ。」
翠明は、辺りを見回す。
調度は破壊されて粉砕していたが、燃えているようなものは何もなかった。
「…何が燃えたというのだ?」
漸は、眉を寄せて考えた。
「…なんだろうの、覚えがあるような。物理的な何かではないのよ。別の何か…」と、足を止めた。「…翠明。あれはなんぞ。」
翠明は、漸に並んでその視線の先を見た。
その視線の先の床には、まるで枯れ木のようにしわがれ、申し訳程度に残った頭髪も真っ白になった、恐らく椿ではないかと思われる、着物を着た何かが転がっていた。




