宮中移動に
大広間の壇の下では、皆が楽しくこちらの様子になど気付かぬ風で談笑していた。
が、壇上は妃達が去る時のゴタゴタがまだ尾を引いていて、何やら微妙な空気だった。
焔が、いたたまれずに言った。
「怒るでないぞ、維心よ。あやつは宮で箔炎の側に行けぬから、こんな時は離れとうないと思うたのだろうて。」
維心は、ため息をついた。
「怒ってはおらぬ。席を立たせるためにあのように言うた。他の妃まで驚かせてしもうてそこは悪かったと思うておる。」
漸が言う。
「問題ない、多香子はびくともしておらなんだではないか。維月が居らぬ時はあやつに場を仕切らせておいたら良いのよ。軍神であったから慣れておるのよ。」
焔は、頷いた。
「確かにあやつは頼りになるの。維心に叱責されて、まともに思考できる神など男でも少ないのに。良い妃を持ったではないか、志心。」
志心は、頷いた。
「少々のことでは動じぬし、案じる事もないので助かっておるのよ。間違っておらなんだと、最近では大切にしておる。愛情云々はまだお互い分からぬが、同じ宮を守る同志としてはあれよりはないわ。」
まして最上位三位ともなれば、あれぐらいでないと務まらないのかもしれない。
皆は思って頷いた。
「維月の次が多香子であるのが良かったの。椿も言う事を聞かずにはおれぬしな。箔炎も、次はあんな感じの妃が良いのやも知れぬぞ。」
箔炎は、首を振った。
「もう良いわ。箔蓮も居るし、必要もない。面倒過ぎて、独り身で居る炎嘉や焔が羨ましい限りよ。」
焔は、ムッとした顔をした。
「好きで独り身なのではないぞ。」
するとそこへ、誠が入って来て膝をついて頭を下げた。
維心は、言った。
「なんぞ、洪。何かあったか。試験のことか?」
誠は、首を振った。
「試験のことは本日維明様よりお聞きしまして進めて参る所存でありますが、それよりも。王、この会合の宮が立ち上がってこの方、王妃様のご負担は重くなられるばかりで。常、王が共であられたらこの限りではございませぬが、いちいち軍神を呼んで運ばせるのも、あまりにもご無礼でございますし。我は木工細工の龍に申して、急遽宮中専用の輿を作らせてみたのでございます。」
維心が、驚いた顔をする。
炎嘉が、言った。
「宮の中を輿で移動するのか?まあ、回廊が広いゆえ邪魔にはならぬだろうが。」
維心は、言った。
「それより、言うてすぐによう作れたの。あれらは余程納得せぬと我の前に持って来ぬだろう。」
誠は、頷いた。
「そこは、すぐにと申しました。今すぐに作れぬのなら、石工の方に頼むと。あれらは職人同士で競っておりますので、言うた通りにすぐに作りました。もちろん、これは試作品なので、正式な物が出来上がり次第そちらに差し替えさせまするが、当面王妃様には、これをお使い頂いてはどうかと、王にお見せするために持参しました。」
相変わらず、思う通りに臣下を動かしよるな。
維心は、頷いた。
「では、それをこれへ。」
誠は、頷いて側の侍従に頷き掛ける。
侍従は、サッと回廊へ飛び出すと、そこからハシゴのような形の平たい物を持って入って来た。
「ほう、これが。」
王達は、物珍しげにそれを見る。
それは、確かにハシゴのようだが、中央に椅子が設置されていて、どうやらそこに維月を乗せ、皆が棒の部分を四方で持ち上げて、運ぶ仕様になっているようだ。
突貫工事で作ったにしては、綺麗に装飾されていて、そこに職人達の意地を感じた。
幅もそう広くはないので、細い通路もこれなら通り抜けられそうだ。
天井はないが、宮中専用ならばこれで充分、むしろ維月の姿が良く見えるので、良いように維心は思った。
「…良い。思うたより綺麗にできておる。当面、これで維月を運ぶようにすれば、あれも歩く必要がないゆえ、我が居らずとも疲れることはないな。急いでおる時は、軍神達に運ばせたら速いしの。何故にこれまで思い付かなんだことか。」
炎嘉も、それを見ながら頷いた。
「これは良いな。また流行るぞ、他の宮で。皆妃ともなると重い衣装に歩くのが億劫なはずだからの。うちも一つ作らせようか。」
志心が、言った。
「確かにこの規模の宮の中を移動するのは面倒よ。我らとて乗りたい心地であるが、そこは妃専用ということで。」
誠は、答えた。
「王の皆様もとなれば、また作らせまするが…。」
維心は、首を振った。
「いや、良い。とりあえず、これを上位の妃の分は足りるように作らせておけ。明日は祭りであるし、蔵も見に参るのだろう。少しは皆、楽に移動できようしな。何より維月が、己だけ乗るとは言わぬ気がする。数が要る。」
誠は、頭を下げた。
「はは!では早速に作らせておきまする!」
維心は、頷いた。
「下がって良い。」
誠は、そのままスススと後ろへ下がり、そして侍従達に輿を運ばせて出て行った。
炎嘉が、言った。
「あやつが戻って、まだ一月であるのに良うなって来ておるようだの。大粛清したのだと聞いておる。宮仕えの臣下が七百ほど減ったのだろう。」
皆が、驚いた顔をする。
維心は、息をついた。
「知っておるのか。相変わらず耳が速いの。その通りよ、ゆえに試験で宮に上げる者を決めて行かねばならぬのよ。ちょうど良いかと思うてな。」
焔が言う。
「七百は多いの。全部処刑したのか。」
維心は、答えた。
「まさか。処刑したのは誠に悪い輩だけぞ。だが、そこまで宮が乱れておったかと、残った者でも皆、我の顔色を伺って大変ぞ。スッキリしたゆえ、我は別に怒ってはおらぬがな。」
確かに皆、キビキビと動いていて、何やら緊張感がある。
その昔の龍の宮が、確かにこんな感じだった。
とはいえ、今は真面目に務めていれば、命を取られる事はないので、あそこまでピリピリはしていなかった。
何しろ、その昔の維心は、目の前で失敗することすら許さずに、すぐに斬って捨てたのだ。
炎嘉が、ふと気付いて言った。
「…そういえば公明、主の方はどうか?年末に面倒が起こってと申しておったよな。それは解決したのか?」
公明は、答えた。
「うちはまだ、精査の最中で。龍がどれほどに優秀なのかと今話を聞いて思うた次第。次々に明るみに出ては地下牢に繋ぎ、とりあえず今はかなりの数が牢に籠められて事実確認待ちぞ。」
炎嘉は、頷いた。
「普通は時が掛かるもの。ここは洪が戻ったし、油断させて内偵させる事ができたゆえ、早かったのだと維心から聞いておる。根気強くやるしかないの。面倒なら全部見せしめに処刑してしもうたら良いのよ。さすれば恐らく、一気に宮は引き締まる。それしか方法がなくなったら、そうせよ。まあ、冤罪の者が居ったら寝覚めが悪いがの。」
公明は、息をついて頷いた。
「とりあえず、今は一人ずつ確認して沙汰を下して参るつもりぞ。公青は、現場に踏み入ってさっさと斬って捨ててしもうたりしておるが、我はそこまで踏み切れぬで。」
公青の方が、恐らく強権的なのだろう。
恐らく公青は、間違いなく前世あの公青で、そんなものは許さない気質なのだろうと思われた。
「…公青は思い出さぬのかの。」焔が、言った。「そら、あれは神威はハッキリ申さぬが、ほぼほぼあの公青であろう?記憶を持って参っておったなら、宮などさっさと綺麗にしてしまいそうなものだがの。何しろ、我らのような昔の神は、平和ボケしておらぬから処罰することに抵抗もないし、面倒はさっさと処理する。あやつも戦を経験した神であるし、修羅場をくぐっでおる。公明の助けになりそうだがの。」
公明は、己が甘いと言われているのが面白くなかったが、その通りなので息をついた。
「…我もそのように。父上がお戻りならば、それがあの公青なのだろうから、早う思い出してもらいたいと思う。」
いつまでも父親頼みであってはな。
皆は思ったが、黙っていた。
何しろ自分達はその頼られる方で、もし己の皇子が難儀していたのなら、助けてやりたいと思ってしまうからだ。
公青の記憶が、頭に残っていることを皆は祈っていた。