懸念
しばらくそうして歓談しながらその席に座り、花の話なども一段落した頃、炎嘉が言った。
「…時に維月。」維月は、炎嘉を見る。炎嘉は続けた。「皆がこちらへ集まると聞いて、薔薇園の方を急ぎ咲かせたのだ。妃達であちらへ参って見て参ってはどうか?席も作らせてあるぞ。」
維月は、あら、と明るい顔をした。
「まあ、あの薔薇を。夏まで待たねばならぬと思うておりましたのに。感謝致しますわ、炎嘉様。」と、維心を見た。「王よ、参ってもよろしいでしょうか。」
維心は、頷いた。
「良い。行って参れ。」
維月は頷いて立ち上がって頭を下げた。
「では、御前失礼致します。」
維月は、他の妃達にも頷き掛けて、そうしてそこから勝手知ったる鳥の宮の庭を、迷いなく薔薇園の方へと歩いて行った。
それを見送って、志心が言った。
「…維月はここをよう知っておる。案内など要らぬようだの。」
炎嘉は、頷く。
「あやつはこの庭を何度も歩いておるからな。」と、維心を見た。「それより維心、蒼のこともある。それに、椿もぞ。話しておかねばとあれらに場を外させたのだ。」
維心は、息をついた。
「…蒼のことは主も知っておろう。」と、皆を見回した。「志心も箔炎も、翠明もな。報せを送った。が、他は詳しく知らぬだろう。ここで話しておかねばと思うておったところよ。」
駿が言う。
「…紅蘭も案じておったところよ。初め、それは婚姻が成ったと言われたのに、その実未だ婚姻を前提に月の宮に滞在しているだけだった、と告示され、その後何やら破談になったと。何があったと、紅蘭は紡を案じておったのだ。しかし紡本神は、紅蘭からの文にも何のお話かと話にならぬ様子で。」
翠明が、言った。
「あれは…何も覚えておらぬ。というのも、紡は月の宮で、前世を思い出しての。それが、華鈴と申す蒼の妃だった女神で。それでややこしくなったのだ。」
炎嘉は、頷いた。
「あれは我の娘でな。知らぬ者もあろう、前世のことから、詳しく話す。」
炎嘉は、華鈴という女神がどのような生い立ちであったのか、詳細に話した。
そして、今回どんな経緯で蒼があんなことになっているのかも。
皆が驚いていたが、焔が言った。
「…我の知らぬ時のことか。ならばかなりの昔。蒼はその華鈴が戻ったとすぐに娶る決断をしたのだの。」
維心は、頷いた。
「その通りよ。我らは知っておるが、蒼は精神的に弱い。それゆえ、華鈴が戻ったことは嬉しいが、また失うことを恐れるあまり、執着が過ぎて華鈴を困惑させ、碧黎が出て来る事態にまでなった。そして、結局はその記憶を消すことを選び、ゆえに紡は何も覚えておらぬ。蒼は、己が狂うたゆえに華鈴を永遠に失ったと碧黎が作った仮想空間で呆けておる状態。たった三週間と急いだのは、何も覚えておらぬ紡に傷がつくことを恐れたゆえのこと。まだ荷も間に合わぬ状態で、婚姻が成ったことすら神世では半信半疑であったゆえ、その間にと考えたのだ。」
駿が、息をついた。
「ならば、それは紅蘭には言わぬ方が良いな。維月も綾も言わぬだろうし。」
維心は、頷いた。
「その通りよ。完全に隠すためにはそのように。何しろ紡自身が何も覚えておらぬからの。」
志心が、言った。
「…ならば蒼が案じられることよ。碧黎は、蒼の記憶は消さぬのか?そのままでは、蒼が復活できるとは思えぬのだが。」
維心は答えた。
「碧黎にも、考えがあるようよ。蒼もそろそろ、他に頼らず己で心を保つ能力を身につける時期だと思うておるよう。華鈴の記憶は、本来消えておるべきものなので消したのだと言うておった。我らの記憶も、本来あってはならぬものだが、世を治めるには必要と見て見逃しておるのだと申しておった。その証拠に、綾の記憶の保持の術を掛けた、煽は未だに番人としての責を負わされておるのだと。」
炎嘉は、息をついた。
「…つまりは、そもそもが黄泉に逆らうなということなのだの。まあ、我も確かに前世の記憶とは面倒だなとは思う時もあった。が、必要だとも思うておる。歓喜だけでなくそれと合わせて苦悩と責任のバランスが取れぬ者は、そもそも記憶などない方が良い。しかし、蒼は…できたら記憶を消してやって欲しいとは思う。あやつには無理ぞ。だからこそ、我らが庇って生きて参った。良いところで、碧黎には蒼を解放してやって欲しいと願いたいもの。」
《…考えてはおる。》突然に、碧黎の声が割り込んで、皆が驚いた顔をする。声は続けた。《思うた以上に蒼は病んで来ておってな。あやつにはまだ早かったのやも知れぬ。元々がそんな器でもないのだし、やっとここまで育った命。狂わせるのはもったいないゆえな。十六夜とも話し合って、一度十六夜に話をさせてから、あやつの希望を聞いて、華鈴が戻った記憶を全て、消し去るかと思うておるところ。なのでこちらは案じるでない。蒼に何かあることはない。我がそうはさせぬゆえ。》
ならば蒼は大丈夫か。
皆が安堵していると、維心は言った。
「わざわざ主を呼び出すまではと思うて、これまで黙っておったがこのついでに聞きたいことがある。」皆が、維心を見る。維心は続けた。「椿のことぞ。龍王刀の力も、そろそろ限界に近付いて来ておる。時々に我の気を送って何とか維持しておるが、あれだけの力、ただの女神にはあるまい。やはり命の力か。あのままあやつの寿命まで、籠めておけると思うか。」
そんなことになっているのか?!
皆が驚いた顔をすると、碧黎は答えた。
《結論から言うと、刀一つでは恐らくもう無理ぞ。主が思うようにな。椿は、命に力があって、無駄に前世長く生きておったのではない。その精神力は並みではないのだ。地上を守る責を負って生きたのだぞ?性質がそれに追いつかぬで、天黎より寿命を切られてただの神へと堕ちたが、それでもその精神力だけは健在ぞ。それが分かっておるゆえに、天黎はあれの寿命を切って今、老いが始まっておる。が、間に合わぬやも知れぬ。あやつの今の心情は、箔炎と生きるも死ぬも共にと言うただ一つだけ。これは前世より変わらぬ執着よ。それを捨てて箔炎の幸福だけを祈ることができれば、あやつは次の生で穏やかに生きられようが、それは叶わぬ所まで狂い始めておる。龍王刀がなければ、今頃霧に憑かれてルシウスの厄介になっておっただろうの。とはいえ、今も言うたように、そろそろ限界よ。主が握っておるのならいざ知らず、あの刀は主から離れて単独であれを抑え込んでおるのだからな。》
まずい…。
皆が、反射的にそう思った。
恐らく今この時も、龍王刀は単独で必死に踏ん張っているのだ。
維心は、それを聞いて顔を上げた。
「…また力を送ったが、このままでは確かに刀の限界も近い。」と、翠明を見た。「翠明、椿の寿命はあと数年。だが、それを待っておる余裕がない。我が今すぐ破邪の舞いを舞うか、それとも椿を切るか。二つに一つぞ。今決めよ。」
翠明は、困惑した顔をする。
炎嘉が、言った。
「待て、だから今すぐ舞うのはならぬ!準備が必要ぞ、犠牲が出るやも知れぬのに!しかも我が宮でなど!」
維心は言った。
「主らは今百華を着ておるではないか。それがあれば破邪の舞いの影響はない。龍が作った物を身に着けておれば、我の力は避けて行く。」
志心が言う。
「違う、我らは良いが、他の宮の者達ぞ!邪な思いを持つ方が悪いのやも知れぬが、誰しもいろいろ心の中に抱えておるもの。それらを整理する時が要ると申すのよ!」
「だったら今から翠明の宮へ行ってその場で力を絞って舞うわ!」維心は言った。「翠明、早う決めよ。今力を送って思うたが、思うた以上に限界ぞ。破られた瞬間、主の宮が真っ先に被害に合うぞ。まだ我の舞いの波動に当たったぐらいの方が、被害はマシよ。何故なら死なぬからな。」
ということは、椿が破った瞬間、ある程度の命の被害は出るということだ。
翠明は、答えた。
「…では、我が宮で。」翠明は言った。「我が宮で舞って欲しい。今すぐに。」
維心は、立ち上がった。
「分かった。」と、炎嘉を見た。「維月を頼む。行って参る。」
炎嘉は、急いで立ち上がった。
「待て、単独でか?」
維心は、頷いた。
「ここは大丈夫だろう、主の結界がある。主が我の波動から皆を守るのだ。力は抑えるゆえ、前ほどのことはない。椿一人に向けるゆえ。が、それでもあちこち放射されるだろうからの。」
炎嘉は、考えたが頷いた。
「…分かった。」
維心は、すぐに浮き上がった。
「行くぞ、翠明!」と、義心を見た。「義心!維月とこれらを守れ!」
義心は、頭を下げた。
「御意!」
そうして、慌てて飛び上がった翠明と共に、すぐに維心は見えなくなった。
炎嘉は、叫んだ。
「神世に告示せよ!維心が舞うぞ!早う皆に報せを送れ!急げ!」
途端に、宮が騒がしくなる。
王達は、己の宮のことが気に掛かり、急いで軍神達を飛ばしたのだった。




