記憶と黄泉
維心は、謁見を終えて居間へと戻って来た。
維月は、頭を下げてそれを迎えた。
「おかえりなさいませ。」
維心は、頷いた。
「戻った。」と、棒立ちになる。「着替える。」
侍女達がわらわらと出て来て、着物を捧げ持つ。
維月は、維心を着替えさせに掛かった。
「維明と維斗が戻りました。先程挨拶に来ましたの。」
維心は、頷いた。
「知っておる。謁見の間から出たら待っておって、会合は代わると申しておったわ。これで少しは楽になる。やはりあやつらがおると助かるわ。此度のことで身に沁みたことよ。」
維月は、せっせと着替えを進めながら、頷いた。
「はい。誠にそのように。」
部屋着になると、維心はスッキリした顔で言った。
「さて、時が空いたわ。明日の準備は?もう終わったか。」
維月は、維心と共に椅子に座りながら、頷いた。
「はい。持って参る品もお召し物も、ご準備できております。明日は皆様、久しぶりに鳥の宮へ集まられるのですわね。」
維心は、頷いた。
「そうだの。会合では参るが、このような行事となると久方ぶりぞ。新しい妃も加わって、初めてのことであるから、主も気を遣うの。」
紅蘭と恵鈴のことを言っているのだ。
維月は、頷いた。
「はい。ですが正月にお会いしておりますので。」と、維心を見上げた。「維心様、蒼のことは父に任せておりますので案じてはおりますがそこまでではありませぬ。が、椿様のこと。何やら呆けて身動きもなさらぬ状態であるとか。あれは何故でありましょう。」
維心は、息をついた。
「…あれは龍王刀の力よ。」維心は、維月が侍女から受け取って手渡した茶碗を手にしながら、答えた。「我はその初めから、龍王刀が知らせて参る状況を見ておったが、あやつは激しく翠明の結界に抵抗し、面倒な様であった。龍王刀は万能ではないゆえ、最初は軽い力だけで頑張っておったがそれでは足りぬとみて、本腰を入れてあれを諌めた。ゆえに、今椿の意識はその奥底に沈められ、そこに留められておる。その間に改心すればと期待しておるのだが、今は…あちらから出て、箔炎の下へ参る事ばかりを考えておるようよ。しかも、良くない方向へ考えが至ろうとしておる。箔炎が己を愛していて、生きるも死ぬも共にとか、考えておるようであるからな。まだ箔炎と心中しようなどとは考えてはおらぬようだが、あやつは天黎に寿命を切られるゆえ、案じられるのだ。」
…改心するより箔炎様への執心の方が強くなっておるのね。
維月が険しい顔になっていると、維心は少し言葉を切って、茶を一口飲んだ。
「…主は、月から見ておるか?」
維月は、頷いた。
「はい。」
維心は、頷き返した。
「ならば分かるか?椿の姿…少し老いて来たように思わぬか。」
え、と維月は慌てて窓の外へ目を向けた。
椿は相変わらず呆けていたが、髪も乱れたままでやつれた風なので、そんなものと思っていたのだ。
だが、言われて見たら姿が少し、老いて来ている。
首筋や手の甲などの皮膚が少し緩んで、シワになって来ているのだ。
…気付かなかった…!
維月は、愕然とした。
つまりは、やはり天黎は嘘は言わないのだ。
ここ数年のうちに、こうして徐々に老いて寿命を全うさせる方向に、舵を切ったのだろう。
「…気付いておりませんでした。ということは、徐々に老いて参る方向で…寿命はもう、切られたのですね。」
維心は、息をついて頷いた。
「その通りよ。龍王刀が縛り付けて動けぬので、どうしたものかと悩んでおったが、刀から伝わる椿の思考と、始まった体の老いを見るとこのままの方が良いかと思うて。何故なら、己の老いが始まったと知れば、黄泉が近づいておるのを気取るだろう。そうなった時、箔炎を道連れにと考えぬとは到底思えぬ。碧黎が申しておったが、箔炎はそれを己で抗わねばならぬ。碧黎では介入できぬからぞ。せっかくに落ち着いておるのに、今箔炎を失いとうない。ゆえに、我はこのまま、椿には気の毒やも知れぬが、その数年を待つかと考えておる。まあ、椿からしたら、獄の中で終わりを待つという過酷なことになるのだがの。」
維月は、それはやめてとは、すぐには言えなかった。
何故なら、椿が改心さえしていたら、そうはならなかったからだ。
どうしてこうなったのか、内省してくれていたなら、そこから解放されて、箔炎と穏やかに話し合うことも可能だったかもしれない。
だが、やはりまだ学びが進んではいないのだ。
天黎や碧黎が言うように、今生では無理なので、来世に期待となるのかもしれない。
維月は、息をついた。
「困りましたわ…。そのようなつらいことをと、前までの私ならば申し上げたのでしょうけれど。椿様がそのようにお考えならば、確かに箔炎様が道連れになる可能性もございます。解放してくださいとは、申せませぬ。」
維心は、息をついた。
「なんだかんだ申して、椿はやはり力のある命ぞ。ゆえに、龍王刀でもかなりの力を使って抑え込まねばならぬでいる。我があれを握っておるのならいざ知らず、こちらを離れて別の宮で、刀身に貯め込んだ力だけで対応しておるゆえ、いつ何時と案じてはおる。明日の花見で、皆に話してどうするべきかと考えようとは思うておった。やはり、我が舞うしかないやもとは、思うておるところよ。」
破邪の舞いを…。
維月は、それしかないのかと、下を向いた。
あのチート技で抑え込み、その瞬間椿の神格まで吹き飛んでしまうのではないかと案じられる。
何しろ、今回は神世全てのためにではなく、維心の意識は椿に向く。
直撃して来るその力をもろに受けて、無事でいられるとは思えないのだ。
どちらにしても暗い未来しか見えなくて、維月は落ち込んだ気を発した。
神格がなくなって黄泉へ渡ったら、あちらではどうなるのだろう…。
「…お父様。」維月は、ふと声に出した。「お父様、お聞きしたいことがございます。」
すると、碧黎の声が答えた。
《なんぞ。椿の寿命か?もってあと数年ぞ。》
維月は、首を振った。
「いえ、そうではなくて。もし仮に、維心様の舞いで神格を失くしてしもうたまま黄泉へと渡ったら、椿様はあちらでも、呆けたままでしょうか。」
碧黎の声は、答えた。
《あの舞いで神格が消えることはない。文字通り邪な思いを消し去る強い力ではあるが、それ故に神格まで取り上げるものではない。もちろん、命はなくなる可能性はあるがの。存在自体が邪ならな。椿は、まだそこまでではない。なのでその頭にある邪な物を身ごと取り去られて呆けてしもうたとしても、あちらへ行けば元に戻る。憑き物が落ちたようにな。人とて、身体機能が衰えて己の身内すら分からぬようになることがあろう?それも、黄泉へ渡れば元へ戻る。身の影響がなくなるからぞ。》
維月は、言った。
「それは、椿様の苦悩は身があるからと?でも、お母様であった時も苦しまれておりましたわ。」
碧黎は、辛抱強く答えた。
《我らにも身はあるぞ、維月。我の本体は地。主の本体は月。神の本体は人とは違う純粋なものでできたそれ。人には肉の身。そして、それはこの世にある限りその身の影響を受け続ける。我らは特殊な命であるから、神や人と交流するにはその身から出て別に神に似たもので形を作るが、基本本体と繋がっておらねば長くは生きられぬ。世にある命の中で、本体がないのは闇だけぞ。人や神の、思念から生まれた霧で構成されておるゆえな。つまりは、地上で身の影響を受けぬのは、闇だけなのだ。》
言われてみれば碧黎も、あちこち噴火したり揺れたりとする度に、面倒になって機嫌が悪くなったりはしている。
地の影響を受けているからなのだ。
「ならば案じる必要はないのでしょうか。椿様が、破邪の舞いで呆けてしまわれたとしても、黄泉へ参れば正気に戻って、元通りに?」
碧黎は、頷いたようだった。
《その通りぞ。とはいえ恋情とは難しい。あちらで己だけが死んで離れてしもうたと、また悶えて苦しむのかも知れぬ。が、黄泉からこちらへの干渉は、今のあれには無理ぞ。案じることはない、黄泉へ参れば全ては元通りよ。こちらではな。》
じっとそれを聞いていた、維心も頷いた。
「黄泉には黄泉の浄化システムもある。転生しようとしても、何もかも忘れて出て参ろう。記憶を留める術は、今の椿にはない。ゆえに問題ない。仮に持って参る方法を見つけたとしても、碧黎が華鈴にしたように消せるだろう。案じることはない。」
碧黎も、言った。
《その通りよ。我にはそれができる。何故なら本来、記憶は消えておるべきだからだ。主らや他が記憶を保持していられるのは、それが必要として我が見逃しておるからに他ならぬ。黄泉のシステムに逆らう行為は、許されておらぬから。その証拠に綾の記憶を保持する術をかけた、煽は未だに許されずに番人をしておるだろう?そろそろ、記憶を持って来ようとする輩を粛清するべきかと考えておるのよ。華鈴のような例もある。見逃すべきではなかったと思うておる。》
そう、本来記憶を持って来るのは罪なのだ。
黄泉のシステムに、抗うことになるからだった。
維月は息をついて、記憶というものの重要性に気付いていなかったと、考えを改め始めていた。




