鳥の宮
炎嘉は、維心からの文を見て息をついて額に手を置いた。
…蒼が精神的に弱いのは知っていた。
炎嘉は、思っていた。
いきなりに正妃にするとか言って来た時には、やり過ぎではと回りが見えていない風なのを案じてはいたのだ。
だが、思っていた以上に面倒なことになっていたようだ。
炎嘉は目の前で膝をついて炎嘉の命を待つ、開を見た。
「…月の宮は縁談を進めている最中で、それどころではない。此度の花見、ここでやることになるだろう。準備をせよ。」
開は、驚いた顔をした。
「え、もう婚姻が成ったのではないのですか。」
炎嘉は、首を振った。
「まだぞ。その方向で交流していたが、どうやら事態は良くない方向へ向かっておるようぞ。ゆえに、恐らく翠明からも、婚姻は成っておらぬと告示が出るはず。よう考えても見よ、あの蒼がそんなに突然に妃を娶ると思うか。事前の連絡もなしに?」
言われて、開は腑に落ちたのか、頷いた。
「はい、確かに。他の王ならいざ知らず、蒼様がとは急なお話であるなとは思いました。」
炎嘉は、頷いた。
「まあ、あまりにも良縁なので翠明の方が先走ったのだろう。とにかくは、皆に告示しておけ。おかしな噂は立てるでないとな。」
開は、頭を下げた。
「は!」
炎嘉は、その書を胸に突っ込むと、立ち上がった。
「…少し龍の宮へ参るわ。すぐ戻る。」
開は、慌てて言った。
「は、では嘉張を。」
炎嘉は、頷いた。
「追って参れと申せ。我は行く。」
炎嘉は、サッと居間の窓を開いたかと思うと、飛び立って行く。
開は、急いで叫んだ。
「嘉張!王がお出ましぞ!」
遠ざかる炎嘉の影を追って、嘉張が必死に飛んで行くのが見えた。
開は、ため息をついて命じられたことを務めに、その場を去ったのだった。
龍の宮に到着すると、やはりあちらは先に気取って、結界は炎嘉を弾かなかった。
炎嘉は、真っ直ぐに奥宮の横の庭へと向かい、そこで着地して居間の窓の前へとサクサク歩く。
居間の中では、維心がこちらを見て座って待っていた。
「維心。」炎嘉は、窓を開いて入って行った。「文を読んだぞ。」
維心は、眉を寄せた。
「正面から来ぬか、正面から。何故にそこから参るのよ。」
炎嘉は、維心の前の椅子にどっかりと座った。
「今更であるぞ。それより、華鈴は蒼に早々に愛想を尽かしたか。」
維心は、息をついた。
「まだ決まってはおらぬ。が、恐らくそうなろう。碧黎が華鈴としての記憶を消してやると言うたのに、悩んでおるようだからの。まだ蒼と共にと思うておったなら、悩みはしまい。」
炎嘉は、息をついた。
「案じておったことぞ。ただの神が記憶など持って参っては碌なことがないの。他には知らせたのか。」
維心は、頷く。
「志心と箔炎にはな。他はとりあえず、表向きの事情を知っておれば問題なかろう。翠明が先程、まだ婚姻は成っておらぬと告示した。我からの進言を聞き入れた形ぞ。あちらも想定外のことで戸惑っておろうがの。」
炎嘉は、またため息をついた。
「…とりあえず、此度の花見はうちでやるのに同意ぞ。今準備をさせておる。こちらは試験結果から序列再編と新たな臣下の雇用で大わらわであろう。それぐらいはうちが負担する。が、蒼ぞ。今は寝ておるのだろう?起きた後のことを考えねばならぬぞ。」
維心は、ため息をついた。
「分かっておる。それは今、十六夜と碧黎に任せておる。記憶の改ざんなど碧黎にはお手の物であろうし、どうにもならぬのならやりおるだろう。あちらは月の眷属に任せておけばよい。」
炎嘉は、頷いた。
「ならば良い。あれが目覚めて婚姻が成っておったとごねたら、全てが水の泡ぞ。急な事で荷が間に合っておらなんだのも功を奏したの。正妃にするというのも、やめておけと申しておいて良かったことよ。これで、紡も傷が付かずに次があれば嫁げるだろうて。」
維心は、頷き返した。
「そうだの。まずい事になるところであったわ。それにしても…心と申すものはままならぬな。あの蒼でも、こんなことをしでかすのだ。」
炎嘉は、言った。
「蒼であるからぞ。あやつは精神的に脆弱で、だからこそ主も我も、他の王たちも庇わずにはいられぬでこれまで来た。華鈴にとり、あやつはこれ以上にない良い夫であったが、それゆえ二度目は失うつらさを知っており、それを恐れるあまりに極端な行動に出る。想定外と主は申すが、よう考えたら想定できたことよ。」
維心は少し考えて、頷いた。
「…そうかもしれぬの。深い愛情は時に毒にもなろう。難しいものよ。」
炎嘉は、立ち上がった。
「では、もう行くわ。他に行きたいところもあるしな。」
維心は、同じく立ち上がる。
「もう?今来たばかりなのではないのか。」
炎嘉は、窓へと向かった。
「娘に会っておかねばならぬ。まだ娘である内にな。」
「月の宮か。」
維心が言うのに、炎嘉は頷いた。
「そう。あやつに決断させねばならぬ。決めるのなら早い方が良い。ゆえに、話に参るのよ。」
維心は、頷いた。
「主は世話好きであるの。」
炎嘉は、窓から出て浮き上がりながら言った。
「娘であるからよ。我とて暇ではないのだ。」
そうして、炎嘉は飛び立って行った。
その後を、嘉張が離れてついて行くのが、遠く見えた。
月の宮では、碧黎と十六夜が、眠る蒼の前でため息をついていた。
どうするべきか、考えているのだ。
手っ取り早く記憶を改ざんしてしまえば良いのだが、それは最終手段だと碧黎は言う。
十六夜は、言った。
「じゃあ、どうするんでぇ。維織の時と同じくおねんねか。」
碧黎は、息をついた。
「それでも良いかと思うて、今現在蒼は我が作り出した無神の月の宮の中をたった一人彷徨っておるが、華鈴華鈴とそればかりぞ。理由を知らせに入らねばならぬが、それを聞き入れるのかどうか。」
十六夜は、呆れて蒼を見た。
「困った奴だなあ。」と、顔を上げた。「…お。炎嘉が来た。」
碧黎は、頷いた。
「華鈴に話に参ったのよ。維心にまだ己の娘のうちに話すと言うておった。」
碧黎は、何をしていてもあちこち見ている。
十六夜は、息をついた。
「じゃあほっとくか。あいつは宮の中は知ってるだろうし。」
碧黎は、首を振った。
「我の対におるのを知らぬ。主、行って炎嘉を案内してやれ。南の対に向かっておるぞ。」
そうか、昔そこに居たから。
十六夜は、頷いた。
「じゃあ行ってくる。」
そして、その場から消えた。
碧黎は、気の進まない顔をしながらも、蒼の顔をじっと見つめてから、目を閉じた。
炎嘉は、勝手知ったる宮の中を歩いて、かつて自分も使った南の対へと急いだ。
結界を通れたということは、十六夜が見ていて知っているということだ。
なので、誰にも声を掛けずに、さっさとそちらへ足を運んでいると、目の前にいきなり十六夜が現れた。
「おっと!」炎嘉は、ぶつかる直前に足を止めた。「いきなり出るでないわ!ぶつかるではないか。」
十六夜は、言った。
「お前、華鈴に会いに来たんだろ?あいつは今、親父の対に居るんでぇ。万が一蒼を目覚めさせなきゃならなくなったら、そこなら入れねぇからな。ちなみに親父は、天黎の対に行くから良いって言ってた。」
炎嘉は、フンと息を吐いた。
「…そうか。別にあやつが同じ部屋に居るからと案じたりせぬわ。万が一にも間違いはないだろうからの。」
十六夜は、頷いて足を背後へ向けた。
「だろうな。だが一応な。ほら、こっちだ。」
炎嘉は、顔をしかめた。
「知っておるわ。」
それでも、炎嘉は十六夜について、碧黎の対へと進路を変えて歩き出したのだった。




