最善策は
《…ってことで、親父の対に入ってる。》十六夜が、言った。《蒼はめんどくせえから明日の朝まで眠らせとくよ。》
維月は、大きなため息をついた。
「見ておったから知っておってよ。維心様にも、詳しくご報告したところなの。」
隣りで、維心が頷いた。
「我とて、維月を愛して狂うたようになった事はあるが、回りは皆こんな心地で見ておったのかの。端から見ておったら、なんと愚かなと思うてしまうもの。それでは華鈴も離れてしまおうが…もはや愛想を尽かしてしもうておるやもしれぬ。もし、華鈴がその記憶を消すことを決めたらなんとするのだろうの。」
維月は、息をついた。
「そうなった時、一度成った婚姻関係を、無かったことにできるのでしょうか。」
維心は、息をついた。
「それは、翠明と蒼が納得しておったらできる。とはいえ、離縁という形になるとあまりにも短い期間であるし、突き返されたように思われてはならぬから、逆に短い期間を利用して、最初から何もなく、ただ婚姻を前提に月の宮に滞在していただけだということにして、結局お互いに合わなんだゆえ破談になった、としたら自然ぞ。婚姻となった事実を知るのは、侍女達とその折宮に居った者達だけだろう。それらは、紡に不利になるようなことは言わぬはず。上位の宮の王達も、分かっておっても理由があることが分かるゆえ、決して公の場で問い質すことはなかろうぞ。」
維月は、じっと維心を見上げた。
「もし、手が回らなかった場合は維心様がそのように手配をお手伝い頂けますか?」
維心は、頷いた。
「主が頼むのなら命じよう。鵬ならば簡単にそのような根回しはやってのける。問題ない。」
維月は、ホッと肩の力を抜いた。
「…良かったこと。それならば、紡殿がもし、別の道を選ばれても何とか新しい生を問題なく生きて参れそうですわ。」
十六夜が、言った。
《…とはいえ、蒼がそれを納得するかどうかだ。》十六夜の声は、困ったように続けた。《あいつの執着の仕方は異常だ。華鈴の記憶がなくなって、回りが皆婚姻関係はなかったと言っても、あいつがあったと言い張れば、簡単に神世を納得させることはできねぇ。華鈴が戻ったと分かってから、あいつはマジでおかしいんでぇ。政務だって燐と高瑞と維明に丸投げ。ボーっとしてても宮はだから回ってる。頭の中は華鈴ばっかなんだよ。今回の事がなくても、こっちは何とかしなきゃなって言ってたとこなんだよな。》
維月は、キッと空を見上げた。
「納得させないと!あの子、どうしたって言うのよ、あれだけ嫁がせたい王ナンバーワンだったのに、あんなの監禁よ?私に執着なさっておった、維心様でもあそこまであからさまに籠めておこうとはなさらなかったわ。あれじゃモラハラ男まっしぐらよ。」
維心は、モラハラとはなんだと問いたかったが、話がややこしくなりそうなので黙っていた。
十六夜が、庇うように言った。
《言わなかったが、あいつは相当華鈴が死んだのに堪えてたんだろうな。戻って来て、また失うことは分かってることだし、ハッチャケちまった感じじゃねぇか?精神状態が普通じゃねぇ。とりあえず今は寝てるけど、寝てる間にマシにならねぇか、親父と方法考えてるとこ。親父なら夢の中にも入れるしよ、ちょいなんとかしてみるかって。ほら、維織が病んだ時にやっただろ。夢の中で一人で考えさせるやつ。》
維月は、むっつりと空を見つめた。
「…自分を見つめ直すってこと?その間の政務はどうするの?」
十六夜は、息をついた。
《燐と高瑞が居るし、決定はオレがする。あとは丸投げ。今、維明と維斗も来てるから、手伝ってもらうさ。華鈴が方向性決めたら、それに従って婚姻のこともなんとかしよう。今起きたらまた大騒ぎだろうし、寝かしとくのが一番だ。》
維心が、割り込んだ。
「維明ならばそちらのこともようわかっておるし、アヤツに任せておいても大丈夫ぞ。ところで、花見の日が近付いておるが、それはどうする?その折、維明と維斗もこちらへ連れて戻るつもりだった。が、そうは行くまい。」
十六夜が面倒そうに言った。
《あー忘れてた!めんどくせぇな、蒼があんな様子だし悪いが花見は取りやめだ。そっちでやってくれ。》
維月が、目を丸くした。
「え、来月は会合もあるのよ?龍の宮ばかりではこちらも段取りがあるのに!」
今宮の中を回しているのは、維月と臣下だ。
序列の再編と新しい者達の召し抱えで今はてんやわんやなのだ。
いきなり花見を差し挟まれては、もっと混乱することになる。
維心が、言った。
「良い、どちらしろ今は月の宮は無理ぞ。炎嘉に申すわ。あちらでやってもらう。言い争うでない、維月。」
維月は、落ち着こうと息をついた。
「はい…申し訳ありませぬ。」
鳥の宮の庭も大概華やかなので、他に花見と言うなら鳥の宮だ。
維心は、空を見上げた。
「とにかく後は我に任せよ。十六夜、蒼を頼んだぞ。」
十六夜は、頷いたようだった。
《頼んだ、維心。蒼は何とかする。親父も居るし、なんなら天黎も天姫も。》
…手を貸してくれたらだけどね。
維月は思いながらも、頷いた。
そして、十六夜の意識は、あちらに向いたようだった。
維心は、維月の肩を抱いた。
「…面倒なことになった。とりあえず、翠明には知らせておいた方が良いだろう。主は綾に、事情を先に知らせておくがよい。恐らく、あちらはそれどころではないゆえ、まだ翠明には事態を知らせておらぬはず。我が、鵬に命じて知らせを送らせる。」
維月は、頷いて維心を見上げた。
「申し訳ありませぬ。まさか蒼がこんな事をと焦ってしまって。それだけ華鈴殿を想うておったということでしょうか。記憶を持って戻るのも、良し悪しなのだと今回身に沁みました。」
維心は、頷いた。
「本来、何故に黄泉から転生する際に、その記憶を消して参るかなのだ。必要であるからこそ、そのようになっておる。我らは特殊で、世を動かす立場であるから問題ないが、他となれば新しい生に支障も出よう。上手く行くのは一握りぞ。我はそう思う。」
…お父様と同じことを。
維月は、碧黎が華鈴に言っていた事を聞いていた。
つまりは、やはり軽々しく記憶を留めて転生するのは、やるべきでないことなのだ。
維月は、それを痛感していたのだった。
その知らせは、龍の宮から翠明の宮にも届いた。
先に、紡より急ぎの文が届いていて、蒼の様子を知ったばかりだった。
翠明が眉を寄せる横で、綾が維月からの文を怖いほど真剣に読んでいた。
翠明は、憤るというより、蒼に同情してため息をついた。
…確かに、一度失ったものが戻ったと知ったら、また失うことの辛さを思うと胸が張り裂けそうになる。
翠明は、横の綾を見た。
綾はまだ若いが、限られた年月しか共に居られないのを知っている今となっては、離れているのが時々どうしようもなく辛く感じることがある。
なので、妃だけで茶会の席になど出て行くのを見ると、何故に離れると思うことも多かった。
が、幸い翠明は自制できた。
恐らく蒼は、それが出来なかったのだろう。
綾は、翠明の視線に気付いて、文から顔を上げた。
「王…まさか蒼様がそれほどに執着なさるとは。思うてもいませんでした。」
翠明は、苦笑した。
「我には、蒼の心地が分かるのよ。一度失って、やっと手元に戻った愛おしいものを、また失う時が来るのはわかっておるだろう。ならば、限られた時の間、側に側にと願うのだ。我はこれでも自制できておるが、蒼にはそれができなんだ。それだけのことぞ。」
綾は、ハッとした。
…確かに王は、今生綾、綾といつなり側に呼ぶ。
外へ出ても、妃達と茶会の席に行くだけなのに、それは寂しそうな顔をする。
つまりは、そういう事なのだ。
「…王…。」と、息をついて、また維月からの文に視線を落とした。「維月様は、蒼がこんな風になるとは思っていなかったと、大変に謝っておられます。ですがそれは、紡…いえ華鈴様を思うゆえの事であるのですね。ですが、紡にはそれは重いよう。確かに他の妃の方にも会わせず部屋に籠めておるのは、やり過ぎであると思いますわ。紡も、碧黎様が前世の記憶を消してくださると言うので、その方が良いのではと悩んでおるようですし…。それだけつらいということでしょう。」
翠明は、頷いた。
「維心殿からは、今ならまだ、婚姻を前提に滞在していたが破談になったと誤魔化せるだろうと言うておる。荷も間に合わずでまだ送っておらぬしな。我も、紡がそれを望むのならば、それで良いと思うておる。前世が何であれ、今生は我らの娘。幸福にと願うゆえな。」
綾は、頷いた。
「はい…。我もそのように。紡の幸福を、望んでおりますから。」
翠明は、頷いて新光を呼び、まだ婚姻はなっていなかったと告示させた。
今は月の宮で縁談を進めている最中で、先走って告示されたが間違いだったと訂正させ、これからのことはまだ分からない、と、神世には知らされることになったのだった。




