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狂気

杏子と紡が必死にできる限りの速さで宮の中を駆け抜け、奥宮の杏奈のもとへとたどり着くと、杏奈が驚いて二人を迎えた。

「え、ど、どうなさったの?!」

杏子と紡は、ハアハアと息を上げて、かなりつらそうだ。

しかし、そんな中でも紡は深々と杏奈に頭を下げた。

「杏奈様…このような、失礼な(なり)でお目通り致しまして、も、申し訳、ございませぬ…。」

杏奈は、首を振った。

「いえ、良いのです。いったい、何があったのですか?」

それには、杏子が答えた。

「お、お母様、お父様が、紡様をまるで籠めるようにお傍に留めようとなさって…。我は十六夜を呼んで、十六夜に留めておいてもらっておるうちに、紡様をこちらへお連れ致しましたの。」

杏奈は、え、と慌てた顔をした。

「つまり、王から逃げて参ったのですか?」

杏子は、頷いた。

「はい。紡様はお母様とお話しがしたいと仰いましたのに、お父様が大変に強い様子で我を咎められて。どうにもならない様子で…紡様も、本当に困っていらしたのです。」

紡は、下を向いて何度も頷いている。

杏奈は、言った。

「…ならば、ここではなりませぬ。」え、と二人が杏奈を見ると、杏奈は続けた。「ここは、奥宮であって本来王がおわす場です。逃げて参ったとて、もっと懐深くに来てしまったことになりまする。王から離れたいのなら、もっと別の場所に参らねば。」

杏子は、紡と顔を見合わせた。

「ならば、どちらへ参ったらよろしいのでしょう。宮の中では、どちらも同じなのでは…。」

杏奈は、考えた。

「…それはそうなのですけれど、では、碧黎様の対へ。」杏奈は、歩き出した。「王が逆らえぬというと、あちらしかありませぬ。碧黎様にお願いして、あちらに紡様を置いて頂くよりありませぬわ。もしくは、天黎様の対でありますが、我も天黎様とは面識がないので、そのような事をお頼みできぬのです。」

紡は、頷いた。

「はい。碧黎様とは、前世華鈴であった時も、お世話になっておりました。お話を聞いて頂くことができるはずですわ。参りましょう。」

杏奈は、頷いた。

「我もお供致しますわ。」そして、足を進めた。「さあ、こちらへ。」

杏子と紡は頷いて、そうして杏奈と共に、碧黎の所へと向かったのだった。


碧黎は、常にそこに居るわけではない。

むしろ、そこに居る方が少なかった。

何しろ、地であるので一所に留まっていることが稀で、宮で姿を見るのは維月が来ている時ぐらいではないだろうか。

それでも、呼べば来てくれるはずだと杏奈は必死に碧黎の対の、大きな扉の前に立った。

「碧黎様。お話しがあって参りました。杏奈でございます。」

すると、思ってもみなかったことに、中からすぐに声が返って来た。

「入るが良い。」

杏奈は意外なことに驚いたが、侍女に頷き掛けて扉を開かせると、碧黎は正面の椅子に、座ってこちらを見ていた。

三人は中へと足を踏み入れて、深々と頭を下げた。

「突然に先触れもなく、申し訳ありませぬ。」

杏奈が言うと、碧黎は答えた。

「見ておって知っておる。十六夜が蒼を眠らせたゆえ、それほど慌てる必要はないのだ。主らがこちらへ参るのが分かってゆえ、ここで待っておったのよ。」と、紡を見た。「紡よ。主の望みを聞こう。主はこれより、どうしたいと思うのだ。」

紡は、下を向いた。

「はい…。こちらへ上がって三週ほど、我は蒼様と共に過ごして参りましたが、蒼様は大変にお変わりになられて…。どうしたら良いのか、戸惑っておるところでございます。杏奈様とも杏子様とも、仲良くして頂きたいのに蒼様はお二人の所へ参ることも許してくだされず。前は三人居た妃の一人でございましたが、あのような事は仰いませんでした。」

碧黎は、息をついた。

「我らも驚いておる。蒼があのように反応するとは、思うておらなんだからの。十六夜も維月も、月からずっと見ておったが、主への過ぎた執着に眉をひそめておった。我とて、この月の宮の王が女神に惑うて面倒を起こすのを、見るに忍びぬしな。此度は共に考えようとこうして出て参っておる。」

杏子は、言った。

「碧黎様、お父様はどうなさったのでしょう。紡様の前世の、華鈴様が生きていらした時も、初めはあのようでありましたか?」

碧黎は、首を振った。

「いや、我はその頃遠くから見ておるだけであったが、蒼は落ち着いた様子であった。華鈴を助けるために、瑤姫という維心の妹が正妃としてここに居ったのに、二番目の妃として華鈴をこちらへ迎えたのだ。華鈴は今と同じく控えめで、居るのかどうかも分からぬ様で、面倒を起こすこともなかった。後にもう二人の妃が増えたが、それでも蒼は誰か一人に執着することもなく、穏やかにしておったものよ。妃達はなので穏やかに、仲良うやっておったもの。」

紡は、頷いた。

「はい…。後に来られたお二人とも、蒼様は平等に扱ってくださり、つらいと思うたことはございませんでした。それが…この度、こちらへ参ってからの蒼様は、おひとが変わったようなご様子で。戸惑いましてございます。」

碧黎は、またため息をついた。

「我らとて驚いておるところ。それで、いつまでも蒼を眠らせておくわけにはいかぬ。主はどうしたい?里へ帰りたいと思うのならば、十六夜に送らせよう。残りたいのならば、蒼を説得せねばならぬし、あやつが落ち着くように対策を考えねばならぬ。どうするのだ。」

紡は、杏子と杏奈と顔を見合わせた。

杏奈が、言った。

「…まだこちらへ入られたばかり、神世に告示もされて、今お帰りになったら紡様のお名に傷がついてしまいます。帰られるにしても、今少し時を待ってからの方がよろしいのではないでしょうか。その間に、これからの事も考えることができましょう。」

紡は、杏奈を見た。

「杏奈様…。我のせいで、このような面倒な事になってしまい、誠に申し訳ございませぬ。こんなことになるのなら、記憶など持って参らぬ方が良かったのではと、思い始めておりました。」

杏奈は、首を振った。

「紡様のせいではございませぬ。我も最近に悟ったのですが、殿方とは誠に勝手な時がございます。それをこちらが許して当然というのが、神世の常識でありましょう。そう思うと、何やら情と申すものも、過度に持っては己を苦しめるだけなのではと急に眼が開けて。最近では、務めと思うて励むだけの方が、幾らか楽なのだと知りました。紡様も…華鈴様としての良いご記憶のままに終え、新たに紡様としての生を生きられた方が良いのではないかと思います。昔の王の事は存知ませぬが、今の王はあのような感じで。ご期待が大きいと、ショックも大きかったのではありませぬか。」

紡は、下を向いた。

あの、優しかった蒼とは思えない変わりようで、杏奈の言う通り、かつての蒼を期待していた自分には、本当に失望が大きかった気がする。

碧黎が、言った。

「…ゆえに、記憶は消えるのよ。」三人は、碧黎を見た。碧黎は続けた。「新たに生きるためにの。覚えておると、こうやって弊害も出て参る。維心のように大きな気を持ち、前世も今生も世を背負うほどの大きな責務を持って生まれ出る者は、記憶を持っておった方が治めやすいし、その弊害にも耐えられる。が、主らのような普通の神にとって、前世の記憶は害であることが多い。蒼は、恐らく変わってはおらぬのだが、華鈴を失った悲しみから立ち直り、そうしてまたそれが手元に戻ったという喜びと、また失うまでの期限付きである事実との間に挟まれて、恐らく面倒な精神状態になっておるのだと思われる。華鈴よ、もし主が望むのならば、紡としての記憶だけを残し、華鈴としての記憶を消し去ることも我にはできる。今すぐには決められぬだろう。杏奈も言うように、今里へと帰ったら主の経歴に傷がつくことにもなりかねぬ。ゆえ、しばらく我の結界を敷いた、この対に住むが良い。蒼は訪ねることはできぬ。我の結界内には、維月ぐらいしか許可なく入って来ることはできぬからな。我は天黎の所へでも参るゆえ、主はこちらで過ごしておるが良い。そうして、決めよ。望む通りにしてやろうぞ。」

杏子が、言った。

「そうですわ、紡様。よく考えて決められたらよろしいのです。月の宮の中のことまで、詳しくは神世には見通せませぬ。もし、離縁となるのならば、あなた様が碧黎様の結界内に逃げて、お父様とは何もなかったと言い張れば良いのです。そうしたら、きっと里にも帰れます。お祖母様に頼んで、龍王様から婚姻は無効だと言い渡してもらってはどうでしょう。きっと、どう決められても大丈夫ですわ。」

杏奈も、頷いた。

「もし、こちらを出たいとお考えならば、我からも維月様にお頼み致します。ですから、紡様の良いように。王は華鈴様としての紡様を望んでいらしたのですから、紡様のご記憶だけになったなら、もうこちらに縛ることはできぬと思います。もし残られるとお決めになられたら、その時は共に励みましょう。どちらにしろ、悪いようにはしませぬから。」

紡は、目に涙を浮かべて頭を下げた。

「碧黎様、杏奈様、杏子殿。誠にありがとうございます。では、こちらの対をお借りして、しっかりと考えたいと思います。我は…たった三週間しか華鈴としてこちらに居らぬのに、もう、何やら場違いな気がしておりましたの。碧黎様が仰るように、あの身が亡くなったのと同時に、華鈴は亡くなって居らぬのですから…ようよう考えたいと思います。」

碧黎は、頷いた。

「そうせよ。我に話したければ、宙に名を呼ぶが良い。十六夜も相談相手になるだろう。よう考えて決めるが良い。」

そうして、紡は碧黎の対に間借りすることになった。

杏奈と杏子は、涙を流す紡と、しばらく一緒に居たのだった。

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