様変わり
月の宮は、以前とはすっかり様変わりしてしまった。
元々、宮というのは王の動きに合わせて動くものなので、その宮の王がどう行動してどこに居るのかで、宮の空気は変わる。
維心は、龍の宮の奥に鎮座して、そこから滅多に動かないので、宮は安定していた。
政務に出るのも内宮まで、終わればすぐに奥へ帰る生活なので、宮の中心は奥から動くことはなく、臣下もそれに合わせて行動していた。
が、月の宮は変わった。
それまで、維心と同じく奥宮と内宮の行き来ぐらいしかしなかった蒼が、今は南の対にばかり入り浸っている。
自然、臣下はそちらへ向かい、そこで王の指示を仰ぐことになるので、宮の中心が南へとズレてしまっていた。
が、紡はといえば、蒼が居間へと帰ってもそれを追って来ることもなく、思わせぶりに琴を弾いたり、文を送って来たりもなく、居るのかどうかも分からないほど、静かだった。
蒼が政務であちこちしていても、それを探して出て来ることもない。
基本的に、全く姿を見ないので、本当にそこに居るのかと、同じ妃の杏奈の侍女でも思うほどだった。
が、蒼が頻繁にそちらへ向かい、奥へ戻って来ないので、間違いなく紡はそこに居るのだろう。
杏奈としては、昔権勢を奮った女神が戻ったと聞いたので、さぞやあれこれと指示を出して来るのだろうと思っていたが、肩透かしを食らったような心地だった。
紡、もとい華鈴は、かなり古風で、先に入った杏奈を尊重し、出過ぎないようにと気を遣ってくれているのでは、と杏奈は思い始めていた。
こうなったからには、華鈴からいろいろと教わり、他に恥ずかしくないように振る舞えるようになればと杏奈は思っていたのだが、茶会を開こうにも蒼がずっとあちらに詰めているので、声を掛けることができない。
後から入った華鈴が、杏奈に声を掛けて来るのは恐らく昔のしきたりに照らすと難しいはずなので、杏奈から歩み寄ろうと考えていたのだが、なので声を掛けられずにいて、交流すらできていなかった。
今日も、蒼は政務が終わってすぐ、あちらへ渡ったようだ。
杏奈は、息をついた。
「どうなさいましたか、お母様?」
杏子が言う。
杏奈は、言った。
「…華鈴様のこと。最初は宮で我に取って代わろうとなさるのではと、とても警戒しておりましたが、あの方は大変におとなしく、礼儀を弁えていらっしゃるようで、出過ぎたことは一切あられませぬ。なので、我も思い違いをしておったと反省して、仲良くして頂こうと思うておるのですが…王が常にお側にいらして、茶会にもお誘いできませぬ。どうしたものかと思うておりましたの。」
杏子は、むっつりと言った。
「…お父様がお悪いですわ。我も紡様ともっとお話したいのに、お父様がいつもいらして全く話せておりませぬもの。一度、無理にあちらへ参ったら、紡様は嬉しそうに迎えてくださったのに、お父様が嫌なお顔をなさって。紡様はたしなめていらしたけれど、あれでは紡様もお可哀そうです。」
杏奈は、息をついた。
「…我の文字では恥ずかしくて、御文も差し上げておりませんでしたけど、それなら恥を忍んで御文を書こうかしら。」
杏子は、立ち上がった。
「ならば、我が参ります。」杏子は、言った。「お母様から、お茶でもいかがですかと申されておりますと、お伝えして参ります。我なら平気でお父様がいらしてもあちらへ参れますから。」
杏奈は、頷いた。
「ならばそのように。お花見もありますし、皆様の前に出る前に、少しは心安くなっておりたいのです。今のままでは、お互いに気詰まりでしょうし。」
杏子は、頷いた。
「はい!では、行って参ります。」
杏子は、奥を出て南の対へと向かった。
杏奈は、それを見送って、侍女達に茶の準備を申し付けたのだった。
南の対へ到着すると、紡の侍女が杏子に気付いて頭を下げた。
「杏子様。」
杏子は、頷いた。
「紡様にお会いしに参りました。」
侍女は、渋い顔をした。
「はい…紡様はお会いになりたいと思うのですが、王が。邪魔をさせるなとお申し付けで。」
杏子は、ムッとした顔をした。
「…それでは、お父様にお会いします。」と、侍女が止めるのも振り切って、扉を開いた。「お父様!」
そこは南の対の居間で、蒼は紡の肩を抱いて、正面の椅子に座っていた。
紡は、困ったような顔をしていたが、杏子を見てパッと明るい顔をした。
「まあ、杏子殿。」
蒼は、それを聞いて初めて杏子に気付いたように、こちらを見た。
そして、渋い顔をした。
「…侍女は何をしておる。邪魔をさせるなと言っておいたのに。」
杏子は、蒼を睨んで言った。
「お父様は、紡様をなんだとお思いなのですか。我は紡様と友であるし、お母様も紡様とお話をして、仲良くおなりになりたいと申されておるのに、それではそんな時もございませぬ!今も、奥でお茶でもどうですかと、言伝を戴いて参りました。」
それを聞いた紡は、頷いた。
「杏奈様が。ならば我は参ります。」と、蒼を見た。「王、我はまだ杏奈様とご挨拶の場でお会いしたきりでありますの。せっかくにお誘いくださっておるのです。これ以上失礼はできませぬ。」
蒼は、それでも首を振った。
「何を言うんだ。オレがここに居るのに、出て行くなんて許されることじゃない。」と、杏子を見た。「何の嫌がらせだ、杏子。そう杏奈に言うといい。」
杏子は、首を振った。
「嫌がらせではありませぬ!お母様は、本当に紡様と仲良くなさりたいのです。いろいろお教えいただきたいと仰っておりました。お花見もあるので、それまでには打ち解けておきたいと…。」
「うるさい!オレが居ない時にしろ!」蒼は怒鳴った。「王のオレがここに居るのに、最優先は王のはずだろう!」
紡は、蒼をなだめようと言った。
「王がいらっしゃらない時がないゆえに、杏子様はこのように。そんな風に仰ってはなりませぬ。」
蒼は、紡を見た。
「華鈴、オレと一緒に居るために戻ったんだろう?!だったら邪魔をする相手を庇うなんておかしいじゃないか!」
紡は、困った顔をした。
「そのような…以前の蒼様は、そのようなことはおっしゃいませんでした。」
紡は、悲しげな顔をする。
杏子が、キッと窓の方を見ると、空に向かって言った。
「十六夜!十六夜聞いてた?!お父様は間違っておられるわよね?!」
十六夜の声が答えた。
《間違ってるなあ。蒼、お前おかしいぞ。維月も見てるが、心配してる。維心は恋情は盲目とか言ってるし。狂ってるんじゃねぇの?それじゃあ華鈴…いや紡がかわいそうだ。もし紡が帰りたいと言い出したらどうする。オレは紡を南西の宮へ運ぶぞ?お前に聞かずにな。》
蒼は、空を睨んだ。
「…オレに会うために転生したのに、帰りたいなんて言うはずない。勝手なこと言うな、十六夜。」と、紡を見た。「そうだろう?華鈴。」
だが、華鈴は何も言わずに横を向いて、袖で口元を押さえている。
蒼は、途端に嫌な予感がした。
「…華鈴?」
杏子が、言った。
「お父様はおかしくなられたわ!お父様など嫌い!」と、紡の手を掴んだ。「参りましょう、紡様!」
紡は、頷いて立ち上がった。
蒼が、慌ててその腕を掴んだ。
「杏子!勝手なことを!」
「蒼!」間近で十六夜の声がして驚いて見ると、十六夜が実体化して真そばに居た。「お前、落ち着けってんだろ!」
蒼は、十六夜にふっ飛ばされて椅子へと転がる。
その隙に、杏子は紡の手を引いて走った。
「こちらへ!」
二人は、必死に対を出て走った。
蒼は、十六夜に椅子に押さえ付けられて、ジタバタした。
「華鈴!」と、十六夜に怒鳴った。「十六夜!離せよ!」
十六夜は、蒼を睨んだ。
そして、手を上げた。
「…寝てな。」そして、気を放った。「その間にこっちで対策考える。」
「いざ…!」
蒼は、言いかけてカックリと意識を失った。
十六夜は、ため息をついたのだった。




