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秘密

《おい》

十六夜の声が、蒼にだけ聴こえるように念で語りかけて来た。

蒼は、眉を寄せて念で答えた。

《なに?》

十六夜は、言った。

《お前、杏奈の心情読むの忘れてるぞ。動揺してるから、もっとテンション下げて進めろ。てか、維月が言ってるんだが、華鈴のためを思うんなら、落ち着くまで正妃にすんなって言ってるぞ。》

蒼は、むっつりと答えた。

《なんでだよ。前世、あれだけ大切にしてたし、上手くやってくれてたのに、最期まで正妃にしてやらなかったのを、ずっと後悔してたんだ。せっかく苦労して記憶を持って戻って来たのに、今回こそちゃんとしたい。》

十六夜は、言った。

《だから、華鈴が大切なら、あいつがやりやすいようにしてやれよ。考えてもみろ、いきなり後から来た格下の宮の皇女の華鈴が、いきなり正妃だって宮に入って、ギクシャクしないと思うのか。そもそも、前世でもお前が妃達に序列をつけなかったのはなんでなんだよ。上下関係がないから、自然にみんなお互いを思いやって、平等に過ごせるようにじゃねぇのか。それにな、前世は炎嘉の娘かもしれねぇが、今生は翠明の娘だぞ。序列からいって、杏奈の下になるのに、後から入った上に杏奈を差し置いて正妃になって、嫌がらせ以外の何物でないと感じるんじゃねぇか。正妃にするにしても、もうちょっと考えてからにしろ。維心だって炎嘉だって、最初から正妃かと渋い顔をしてたんでぇ。だが、他の宮の奥に口出しするのは品がないんだろ?神世って。だから何も言わねぇが、鵬も維心と深刻な顔で話してたぞ。お前は突っ走り過ぎてるの。》

蒼は、それを聞いて確かにそうだった、と顔をしかめた。

華鈴は昔の宮の常識で育てられた記憶があるので、模範的な皇女でもし逆の立場だったら、恐らく出過ぎることもなく、何も言わずに過ごすだろうが、杏奈はそういうわけではない。

最近の常識で、しかも月の宮に居たので一言言わずにはいれないだろう。

「王。紡様がいらっしゃいました。」

侍女の声が聴こえる。

蒼は、十六夜に急いで言った。

《…分かった。とりあえず、今は正妃の件は言わない。翠明にも相談してみる。》

十六夜の声は、答えた。

《そうしろ。じゃあな。》

「…入れ。」

蒼は言う。

扉が開いて、きちんと正装した紡が進み出て、頭を下げた。


蒼は、頭を下げる紡に言った。

「表を上げよ。」

紡は、顔を上げた。

「王に於かれましては、この度ご挨拶の場を設けてくださいまして、ありがとうございます。」

蒼は、頷いた。

「華鈴、紹介しよう。」と、杏奈を見た。「これが、妃の杏奈だ。その隣りが、皇子の納弥、そして皇女の杏子。二人の事は知っておるな。」

紡は、微笑んで頷いた。

「はい。」と、先に杏奈に頭を下げた。「杏奈様。西の島南西の宮、翠明の第二皇女、紡でございます。どうぞよろしくお願い致します。」

杏奈は、会釈を返した。

「…コンドル城前王第一皇女杏奈でございます。よろしくお願い致します。」

そう言いながらも、まだ硬い表情だ。

納弥が、言った。

「紡殿、まさか主が父上の妃となられるとは思うてもおりませなんだ。我は、鷹の宮に預かりの身であるし、あまりお会いすることはないと思いますが、戻った時にはお話しなどして頂ければと。」

紡は、微笑んで頷いた。

「はい、納弥様。」

杏子が、戸惑いがちに紡を見た。

「紡様。友だと思うておりましたものを、お父様の妃となられて戸惑っておりますが、よう考えましたら同じ宮に居るのです。友として、毎日のようにお話しできましょう。そう思うと、とても楽しみに思います。」

紡は、頷いて答えた。

「はい、杏子様。友として、仲良くしてくださいませ。」

その言い様に、チラと杏子の知っている紡の顔が垣間見える。

それを見て、紡は紡なのだと、杏子は少し、ホッとした。

蒼が、言った。

「では、挨拶も終わった事だし、華鈴もまだ対が落ち着かぬだろう。戻ってゆっくりするが良い。」

紡は、蒼に頭を下げた。

「はい、王よ。それでは、御前失礼致します。」

蒼は頷いて、それは美しい所作で去って行く、紡の後ろ姿を見送った。

その背中は、間違いなくかつて愛した華鈴の背中と全く同じで、蒼はその背を黙っていつまでも見送った。

納弥は、杏奈を気にしながら言った。

「…父上。紡殿を南の対にということは、奥には?」

蒼は、答えた。

「奥にはもちろん、自由に出入りしても良いが、南は鳥の宮と作りを同じくして建ててある場所でな。前世から、あの場所が一番落ち着くようなので、華鈴にはそこに住むのが一番のようなのだ。その昔炎嘉様がこちらに滞在していた時にわざわざ建てさせた場所なんだが、鳥の宮が復活し、炎嘉様が王として返り咲くことになった時に空きになって、華鈴が住むようになった経緯がある。なので、今でも月の宮に泊まる時には、炎嘉様はふらりとあの場所へ入られることがあるんだ。」

そんなに昔の事なのか。

納弥は、思った。

鳥の宮の復活など、いったい何百年前の事を言っているのだろう。

父は不死だし、かなり長い時間生きていると聞いているので、そんなことまで最近の事のようにきっちり覚えているのだろう。

もちろん、納弥はそんなことは、記録では読んだことがあるものの、実際に見たことなどなかった。

一方、杏奈は茫然と紡を見送っていた。

…なんて完璧にこちらの女神の動きをなさるのだろう…。

杏奈は、上位の妃達でもあそこまで隙なく完璧には動けないだろうと思いながら、紡の動きを見ていた。

お辞儀の角度から間、速度、話し方、声の大きさからそのおっとりと品の良い様まで、何もかもが一点の曇りもないように見えたのだ。

しかも、わざとらしくなく極々自然にそうしている。

他の宮の妃達と会った時でも、ここまで完璧に、まるで人形のように動いている女神を見るのは稀だった。

…やはり王は、あのような皇女が良いとお考えだったのだわ。

杏奈は、思っていた。

あの中身が、かつて蒼が愛した華鈴だと言うのなら、杏奈には勝てようはずはない。

納弥は、黙って扉の方を見つめている、杏奈に声を掛けた。

「…母上?母上も、杏子と共に紡殿と茶会でも開かれてはどうですか。少しは仲良くなれるのでは。紡殿は、大変にできた皇女だと聞いておりますし、古風で出過ぎることもない女神です。母上も、あのかたなら仲良くなれると思います。」

杏奈は、ハッと納弥を見て、頷いた。

「ええ…。」と、蒼に頭を下げた。「王。我も御前失礼を。」

蒼は、頷いた。

「下がって良い。」

杏奈は、それを聞いて蒼の顔も見ずにサッとその場を辞して行った。

「母上!」納弥は、それを追おうと足をそちらへ向けた。「父上、我も御前失礼致します。」

蒼は、頷いた。

「ああ。」と、杏子を見た。「主も。もう下がるが良い。」

杏子は、頭を下げた。

「はい、お父様。」

そうして、杏子も出て行った。

蒼は、それを見送ってから、待ちかねたように出て行った紡を追って居間を出て行ったのだった。


それから、いくら待っても月の宮から、紡を正妃にという、告示は出なかった。

恐らく、翠明や炎嘉に問い合わせた蒼が、話し合ってそうした方がいいと言われたからだと思われた。

気になった維月が、密かに綾に文を送って聞いたところによると、綾も最初に正妃と聞いた時には、喜びながらも杏奈との関係が気になってしまって、もろ手を挙げて喜ぶこともできぬでいたが、蒼がそれに気付いてくれたようで、安堵した、と言って来ていた。

綾が案じていたのを、翠明も知っていたようで、蒼からこんな意見があるがどうしたものかと問い合わせがあった時に、すぐに慣れるまでは妃として遇して欲しいと返事を返したようなのだ。

維月は、とりあえず壊滅的に最初から亀裂が入ることは避けられた、と、それを聞いてホッとしていた。

維月が息をついて椅子に座ると、居間の扉が開いて、維心が戻って来た。

維月はまた慌てて立ち上がって、頭を下げた。

「戻った。」

維心が言う。

維月は、答えた。

「お帰りなさいませ。」と、顔を上げた。「ですが、またお出ましでしょうか。」

維心は、ため息をついた。

「とりあえず戻っただけぞ。本日は昼から序列の再編会議がある。この間の試験の結果を踏まえて、そこから新たに召し上げる臣下を、鵬が見積もって参ったので、それらの最終確認もあってな。外すわけにはいかぬ。」

維月は、頷いた。

「はい。お疲れ様でございますわ。とりあえず、茶でも飲んでしばしお休みくださいませ。」

維心は、頷いて着替えもなく椅子へと座った。

またすぐに出て行くので、戻ったからと部屋着に着替えることはないのだ。

侍女達が、維月が指示した通りの温度のお茶を淹れて、すぐに持って来た。

それを受け取った維月が、維心に茶碗を差し出した。

「どうぞ。」

維心は、それを受け取って茶碗に口をつけた。

「…ホッとするものよ。主が隣りに居るだけでも癒されるが、主が指示する茶の温度は完璧ぞ。」

維月は、微笑んで答えた。

「長年お傍に居りますので。」と、維心の手を握った。「ところで、蒼は弁えてくれたようで、紡様はとりあえず、妃として月の宮に入る事になりましたようです。」

維心は、維月の手を握り返した。

「そうか。その方が良いと炎嘉も申しておったし、我もそう思う。蒼には、次に会った時に、しばし感情を抑えて回りをよく見てから進むように申そうと思う。普段はこんなことはないのに、時にこのように後先考えずに突っ走る傾向があるゆえな。あやつは良いが、幸福にしたいと思うておる相手が反対の事になってしまおう。本末転倒ぞ。」

維月は、頷いた。

「はい。私もそのように。蒼は、普段は穏やかですが、ひとたび火がつくと面倒なことをしでかしたりするのですわ。普段からのようだったら、回りも構えておれるのですが、滅多にないのでその時には慌てるのです。こんな時、父は全く干渉してくれぬし、十六夜と私が何とかせねばならぬのです。」

維心は、苦笑した。

「まあ、主らの子であるしな。碧黎とてそんなことまで面倒を見てはおれぬのだろうて。蒼はあれだけ生きておっても幼い所があるゆえな。いくら華鈴を待っていたからと、恋情は盲目とは、よう言ったものよ。」

維月は、頷いた。

「はい…誠にそのように。」

維月は、窓から空を見上げた。

月からは、月の宮の様子が見えていたのだった。

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