新しい妃
王の居間へと入ると、杏子が少し、微妙な表情でそこに座っていた。
蒼が、そんな杏子と向かい合って座っている。
蒼は、二人に気付いてこちらを見た。
「来たか。杏子には先に話していたところだったのだ。座るが良い。」
納弥は黙って杏子の横に座り、杏奈は蒼の隣りに座ろうとしたが、蒼がいつもの椅子の真ん中に座っているので、足を止めた。
蒼は、それに気付いて、言った。
「主は納弥の隣りに。」
杏奈は、戸惑いながらも、仕方なく言われた通りに納弥の隣りに座った。
蒼は、言った。
「…昨夜、西の島南西の宮の翠明の第二皇女、紡を娶った。これよりは妃としてこの宮に仕えてくれることになったので、よろしく頼む。」
やはりそのことか。
納弥が思っていると、杏子も先に聞いていたようで、特に驚いた風もなく、落ち着いている。
しかし、杏奈は呆然と蒼を見つめた。
「え、昨夜…?新しい妃でございますか?」
蒼は、頷いた。
「杏奈、主に話したことがあったろう。オレには昔、三人の妃が居た。そのうちの一人、華鈴は炎嘉様の皇女で、戦争に巻き込まれて殺されるところだったのを、オレが娶ってこちらで守ったのだ。華鈴は、それから命を脅かされるこもはなく、こちらで老いて、逝った。三人のうち、最後の妃だった。」
杏奈は、震えながら頷いた。
「はい。かなり前に亡くなられたかたですわね。お話は聞きました。」
蒼が、華鈴をそれは愛していたので、こんな悲しい思いはもう二度とそれからは誰も娶らないと決めて、生きていたのだと言っていた。
そこまで王に愛されてと、顔も見たことのなかった華鈴を、杏奈は羨んでいたものだった。
蒼は、続けた。
「実は…黄泉にて華鈴は記憶を留める術を教えてもらい、オレのためにと戻って参っていた。この程、華鈴は記憶を戻し、それが紡であったのだ。オレは紡といろいろ話したが、華鈴とオレしか知らない事を、それは多く知っていた。何より動きも、話し方も記憶を戻したゆえに華鈴の生前そのものなのだ。あれは間違いなく華鈴で、オレは再び華鈴と共に生きる事を決めた。なので、奥宮ではなく華鈴が生前使っていた、奥宮の隣りの南の対に部屋を与えた。もう、そちらへ移っているはずぞ。侍女も恒に命じてつけた。なので、これから、皆仲良くしてやるようにな。宮のことは、華鈴であるから全て知っておる。なのでそこは案じることはないので。」
納弥は、頭を下げた。
「…は。では、紡殿にも、またご挨拶を。」
蒼は、頷いた。
「そうしてやってくれたら助かる。あちらも長年離れていて新しい者達も増えているので、挨拶をしたいと言っていた。紡として会っておるだろうが、あれは華鈴であるからな。」
杏子は、言った。
「最初は驚きましたが、紡殿があの折ご記憶を戻しておられたのなら、あのご様子も理解できます。では、我もお兄様と共にご挨拶に参ります。」
蒼は、満足げに頷いた。
「主は歳が近いし、紡としての記憶がなくなったわけではないからの。友として接してやれば良い。」
杏奈は、それを聞きながらもまだ現実味がなかった。
複数の妃が居るのは、北でも当たり前のことだ。
が、レオニートはたった一人しか妃がおらず、島の他の宮の王達も、今では複数娶っているのは珍しい。
なので、蒼はそんな欲はなくなったと言っていたし、てっきりこんなことはもう、起こるはずはないのだと思ってしまっていたのだ。
だが、蒼は過去の妃を愛していた。
それが戻ったと、それは喜んでいるのが分かる。
それでなくとも最近では、あちこち離縁だと話を聞いていたのに、このままでは自分の立ち位置も危ういことになるのでは…。
杏奈が黙っているので、蒼は言った。
「杏奈?また、華鈴がご挨拶をと申しておった。華鈴はそちらへ参ると言っていたが、主はどうする?」
杏奈は、なんと答えたら良いのか、混乱していたがなんとか言った。
「…はい…あの、紡様はこちらへ来られるのでしょうか。」
蒼は、頷いた。
「すぐにでも挨拶はしておきたいと申しておった。自分から出向くと。」
納弥は、今の母では一対一で対面するのはまずいかもしれないと、急いで割り込んだ。
「では、我らも同席しましょう。こちらへ来られますか。」
蒼は、脇の侍女に頷きかけた。
侍女は、頭を下げて下がって行く。
「呼んでこさせる。挨拶もなく宮に居るのは失礼だと申して来ていたので。」
納弥は頷いて、隣りの杏奈をチラと見た。
杏奈は、まだ状況が把握できていないようだった。
維月が、龍の宮で眉を寄せた。
今戻ったばかりの維心が、また政務に出ようと準備をしながらそんな維月を振り返った。
「…どうした?」
維月は、ハッと振り返った。
「…はい。月の宮の様子を見ておりました。」
維心は、息をついた。
「…混乱しておるか?」
維月は、首を振った。
「いえ。華鈴が戻ったのだと蒼が最初に皆に説明したので、思うたほどの混乱は臣下内にはありませぬ。が、ただお一人、杏奈様だけがまだ、半信半疑といった様子で。蒼は、杏奈様のお気持ちに気付かぬのか、納弥が気を遣って紡様とのご挨拶の場に、同席したいと申し出て。これから、紡様は杏奈様と妃として対面なさいます。蒼は、分かっておるのかいないのか、とりあえず正妃にするとはまだ、申してはおりませぬ。」
維心は、息をついた。
「…そうか。炎嘉も書状を送って来ておったわ。また月の宮へ顔を見に行くつもりだが、正妃にとは蒼は思い切ったことを、とな。炎嘉も、あの頃とは状況も違うのに、奥が乱れるのではと案じているようよ。何しろ蒼は、あの頃三人居た妃の誰にも序列をつけてはいなかった。華鈴でさえ、正妃ではなく妃として生涯過ごして逝ったもの。それを…どうなるのか、我でも分からぬ。上手く行けば良いがな。」
…とても上手く行くとは思えない。
維月は、杏奈の様子を見ながら、そう思っていた。
華鈴はこれ以上ないほど模範的な皇女であり、今生綾に育てられて更に完璧になっているはずだ。
杏奈は、北から来てこちらの事情もよく知らず、とりあえず蒼が緩いのもあり、適当にこなして覚えて皆となんとかやっている。
蒼が、あまり会合にも来ない上に、宴に同席することも少ないので、それでも上手く行っていた。
が、これからしばらく行事は続き、いくら蒼でも公の場に出て来ることが増える時期だ。
その度に華鈴と比べられ、杏奈がどれほどに苦しむのかと、維月は案じてならないのだ。
どちらにせよ、案じていた蒼に歯向かう件は、これで確実になくなるだろう。
そんなことをしていたら、華鈴に宮での力を持たせることになるからだ。
だが、正妃となったと知った時、どうなるのかと考えたら更に頭が痛い。
華鈴も、上手くやろうとしていても、後から入って正妃の座に座った手前、相手が構えてそれどころではなくなるはずなのだ。
「…蒼に、申した方がよろしいでしょうか。」維月は、言った。「後に正妃とするにしても、初めはしばらく妃として扱った方が、宮は上手く回るのではと。」
維心は、苦笑した。
「…我からは言えぬが、主が申すのなら良いのではないかの。それとも、十六夜から言わせてはどうか。我は、他の宮の奥のことまで口出しはできぬのよ。主ならば親族であるし、問題ないと思うぞ。一度言ってはどうか?まあ、蒼が聞くかどうかは分からぬがの。」
聞いてもらわないと。
維月は、空を見上げて十六夜に話し掛けたのだった。




