その報せ
「なんだと?!」翠明が、起き抜けに書状を見て叫んだ。「蒼が紡を?!」
綾が、隣りで仰天して書状を覗き込んだ。
確かに、昨夜婚姻は成ったと書いてある。
しかし、綾はホッと肩の力を抜いた。
「…ようやりましたわ、紡は。月の宮など、簡単に嫁げぬ誰もが憧れる桃源郷。これ以上に安全な場所がありますでしょうか。しかも、蒼様にはそれはお気立ての優しいかたであられることは有名で、皆が皆、無理だと分かっていながら一度は夢見る宮でありますのに。あの子にそんな気概があるなんて、思うてもおりませなんだ。」
翠明は、顔をしかめた。
「…確かにそうだが…」と、書状の続きを見た。「…前世。あやつは前世を思い出したのだと。」
綾は、驚いた顔をした。
「え、あの子はいったい誰でありましたの?」
翠明は、やっと寄せた眉を弛めて、息をついた。
「…華鈴ぞ。蒼が最期まで大切に看取った、炎嘉殿の娘であった華鈴が転生した姿なのだそうだ。炎嘉殿がなかなかに子を成さぬゆえ、同じ鳥族の主の腹に入ったようだの。華鈴は、再び蒼の下へと記憶を持って参ったそうな。十六夜の姿を見て、それを思い出すようにと術を掛けてな。」
正月にその話になっていたな。
翠明は、思い出していた。
が、まさか己の娘がそうだったとは、思ってもいなかった。
だが、それなら蒼の気持ちは分かる。
愛した妃が戻ったのなら、必ず側にと思うだろうからだ。
とはいえ、蒼は翠明のように、婚姻を約してその時を待つ余裕がなかったようだ。
綾は、涙目になりながら言った。
「良かったこと…。これで蒼様も紡も、幸福になりますわ。何しろ蒼様は、実績がございます。王、これよりの縁、紡にはございませぬ。」
翠明は、頷いた。
「そうだの。これで月の宮とは縁続きになるし、宮にとっても悪い事など何もない。」と、返事を待つ、重臣の新光を見た。「めでたい事だと返事を書け。これよりは紡は、あちらの妃として入ることになるゆえ、荷の準備をな。結納の日取りがどうのは、主らで決めよ。」
新光は、頭を下げた。
「は!」
綾は、驚いた顔をした。
「え、結納でございますか?」
普通、こんな形で妃となって、結納を後からとかない。
婚姻に当たってあちらから何か送って来ることはあっても、わざわざ結納などしないのだ。
翠明は、綾を見た。
「蒼は、紡を正妃にすると書いてある。」え、と綾は目を見開いた。翠明は続けた。「ゆえに結納を執り行うとな。あの月の宮の正妃の座に就いた女神は、これまで瑤姫一人であった。それも龍王の妹であるから政略と皆思うておった。が、あやつはその王が決めた初めの正妃となるのだ。」
なんてこと、正妃だなんて…!
綾は、これ以上にない幸運に身悶えしそうだったが、しかし先に入っている杏奈のことが気に掛かった。
…面倒が起こらねば良いのだけど…。
前世に散々に宮の内の争いで苦労した綾には、それが気に掛かった。
が、宮を挙げての祝いのムードに、何も言い出せなかったのだった。
その報せは、龍の宮にも届いた。
維心は、月の宮からの書状を手に息をついた。
「…そうか。正妃にの。」
鵬が、頷く。
「は…。いきなりに、思い切った事をと皆が噂しておりました。」
維心は、頷く。
「さもあろう。皆理由を知らぬからの。とはいえ、正妃となるとまた何か面倒が起こるのではと気に掛かる。蒼は、これまで瑤姫以降、己の妃には順位をつけてこなかった。ゆえに、皆同等と仲良くしていたフシがある。先に入っている杏奈を差し置いて、政略でもなくいきなり正妃となれば、杏奈のメンツもなくなろう。蒼はこれと思うと突っ走る傾向があるの。しばし待った方が良いだろうに。」
鵬は、頷いた。
「はい、我もそのように。王のようにただお一人ならば問題はないのですが、やはり先に入っていらっしゃるかたが…政略でもない上に、宮の力から言えば格下の宮からのお輿入れでございますし。」
それなのだ。
コンドル城はあちらでは最上位で、ドラゴンと並ぶ力を持つ。
だが、翠明は確かに上位ではあるが、最上位の維心、炎嘉、志心、漸、箔炎、焔、蒼、駿、高彰、渡の10宮から外れ、上位の筆頭宮であるだけだ。
つまり、序列は11番目になるので、コンドル城より格下になる。
とはいえ、維明ではそんなことまで蒼に教えられないだろうし、燐と高瑞も、蒼が言うのに反対も出来なかっただろう。
維心は気に掛かったが、他の宮の奥のことにまで意見は言えない。
なので、聞かれない限りは黙っていようと決めて、鵬に月の宮と南西の宮に祝いの品を送れと指示を出したのだった。
納弥は、困惑していた。
維明から理由を聞いて納得はしたし、翠玲と白翠も、それならと安堵したように頷いていて、翠明からも諸手を挙げて喜ぶ書状が戻って来ていた。
が、納弥からしたら複雑だ。
母の杏奈のことが、あるからだった。
納弥は幼い頃は月の宮にいたが、その後鷹の宮とコンドル城へと出払っていて、そちらでいろいろ学んで育った。
なので神世のことには明るくなったが、母はそういうことには疎いようだった。
というのも、北の大陸と島の常識はかなり違っているところがあって、島の方がかなり厳格なのだ。
母は大陸で育ったので、いまいちこちらの常識には疎かった。
それでも、ここ月の宮はそこまで厳格でもないので、やって行けていたと言えばそうだった。
が、紡はこちらでしっかりと躾けられた完璧な皇女だ。
そんな女神がここへ入れば、自然母は隅へと押しやられることになる。
しかも、父は紡を正妃にすると言う。
母の気持ちを考えると、納弥は複雑にならざるを得ないのだ。
とにかく、母の様子をと母を訪ねると、母は全く普通の様子で納弥を迎えた。
「あら。珍しいこと、あなたが訪ねて参るなんて。何かありましたか?」
え、と納弥は侍女達を見た。
侍女達は、その視線を避けるように目を反らして下を向く。
…まだ知らないのか。
納弥は、父がまだ母に紡を迎えた事実を話していないのだ、と悟った。
なので侍女達も、言えずにいるのだろう。
…我から言うわけにはいかない。
納弥は、言った。
「…いや、お元気かと。戻っておるのに、お顔も見ておらぬと思いまして。」
杏奈は、ため息をついた。
「帰ってすぐに挨拶に参るものですのに、あなたは…、」
そこへ、蒼の侍女が来た。
「杏奈様。」杏奈は、蒼の侍女なので口をつぐんで顔を見る。侍女は続けた。「王が、お話がお有りであると。居間へお越しくださるようにとの事でございます。」
…紡のことだ…。
納弥は思ったが、杏奈は何も知らずに少し嬉しげに立ち上がった。
「まあ、王が。何やら朝から忙しいので後で詳しい話をするとか、仰っておられたのよ。すぐに参ります。」
納弥は、もう歩き出そうとする母に、急いで言った。
「ならば、我も参ります。」
杏奈は、少し眉を寄せた。
恐らく、やっと最近では呼ぶことのない父王が、自分を呼び出したのに二人きりではなく、納弥まで共にとはと、少し疎ましく感じたのだろう。
が、納弥も久しぶりに会ったのは確か。
なので、仕方なく頷いた。
「…仕方がないわね。では参りましょう。ですが、父上が我にだけとおっしゃったら、場を外すのですよ。」
納弥は、それはなかろう、と思った。
婚姻の話なら、息子の自分にも話しておかねばならないと、思っているだろうからだ。
侍女が、それを肯定するように言った。
「王は納弥様もお探しでしたので。杏子様は既に、居間にお越しになっておられます。」
…杏子も…。
納弥が思っていると、杏奈は眉を寄せた。
「まあ。いったい何のお話かしら。」
納弥は分かっていたが黙って首を振り、そうして二人は王の居間へと向かったのだった。




