怠惰な者は
維斗は、父王からの急ぎの命令に急いで月の宮を出た。
なので、服装は部屋着のまま、激怒していると知らせに来た帝羽から聞いて、居ても立ってもいられなかったのだ。
維明も、案じてそのまま維斗と共に月の宮を出て来た。
維明と維斗、帝羽が本気で飛べば、月の宮から龍の宮は一瞬だ。
とりあえず事のあらましは帝羽から聞き、維斗はバレたのかと肩を落とした…維明は、それを聞いて眉を寄せた。
「…なんと申した?常日頃からと?」
帝羽は、頷いた。
「は。侍女達の間では知られておることであったようで、此度のことで王妃様にお話が参り、王はそれを結界から聞いておられたようで…王妃様も、強く叱責されたとのこと。」
まずい。
維明は、思った。
臣下の怠惰な様に、やっと宮の中を粛清したばかりで、こんな事が発覚しては火に油を注ぐようなものだ。
維明は、維斗を見た。
「…妃の管理もできぬのか主は!母上にまでご迷惑を掛けて、父上は恐らく生半可な事ではお怒りを鎮めてはくだされぬぞ!何故に諌めてやらせなんだ!」
維斗は、項垂れて答えた。
「は…。我の責でございます。最初は申しておりましたが、子を失ったと嘆いておったりして、我が指示したのに味をしめ、それからも事あるごとに部屋で塞ぎ込んでいるとか聞き…諌めるのも泣いて話にならぬので、面倒で我が。申し訳ございませぬ。」
維明は、息をついた。
確かに、夕貴があの時子を失ったと思うていたのは、転生した維心を、誰にも知らせず育てて再び王座につけるためだった。
今でも、知る者は少ない。
維斗が、それを後ろめたく思い、嘆く夕貴を庇う気持ちは分かった。
が、あれからかなり経つ。
すぐに維知も生まれて、今では立派に育っている。
いつまでもそれを引きずるのは違う。
維明は、言った。
「…主がその当時そう思うたのは間違ってはおらぬ。が、今は違う。維知も生まれてかなり経つ。百年以上ぞ。それなのに未だに責務をこなさぬのは、ただの怠惰ぞ。怠けて良い理由にはならぬ。母上とて、それがあるゆえあれを甘やかせて楽な務めばかりを振り分けておられたのに、それすらもできぬとなれば憤られて当然ぞ。なんのために妃が居るのだ。維斗、ここは強く申さねばならぬぞ。そうでなければ、父上が匡儀殿に抗議して事は大きくなる。あれにも謝らせ、言い訳をさせよ。まあ…それでもお怒りが収まるかどうか。」
維明は、ため息をついて額に触れた。
そこへ、夕貴が入って来た。
「維斗様!」と、維明が居るのを見て、ビクとして頭を下げた。「…維明様。」
維明は、龍王そっくりの顔で今にも怒鳴り出しそうな顔をしたが、自制してなんとか維斗を見ると、言った。
「…維斗。」
維斗は、頷いた。
「夕貴。主、我が居らぬのに務めを果たさなんだのか。あれだけ宮の業務はこなさねばならぬと申したではないか!」
夕貴は、言った。
「ですが…!維斗様がひと月もこちらを離れてしまわれるので、さみしい気持ちが先に来て、何も頭に登らず…。維斗様が、あのように振り切るように出て行かれてしまわれたから…!」
維斗は、言った。
「父上からの命は絶対ぞ!我は務めを果たすために参ったのだ!それを…あの時でも母上の執り成しでそこまで大事にはならなんだのに、此度は母上にまでご迷惑をお掛けして!父上は、一刻も早く居間へ申し開きに参れと仰せぞ!主も共にな!」
夕貴は、驚いた顔をした。
「え…我も?我も龍王様の御前に?」
「…何を舐めた事を申しておるのだ!」維明が、我慢ならずに怒鳴った。「いい加減にせよ!主は白龍の皇女で、しっかり躾られておるのではないのか!いつまでもそのように申しておるのなら、我が直接に使者に立つ!匡儀殿にその体たらくを抗議せねばならぬ!」
普段は穏やかな維明が、激怒している。
その様は、父王の匡儀以上に恐ろしく、侍女達ですら後退して仕切り布の奥へと隠れたほどだった。
何しろ、維明は維斗以上に龍王にそっくりなのだ。
維明は、踵を返した。
「維斗、さっさと着替えよ!部屋着のままで帰って参ったゆえ、我も着替えて参る。父上の御前に出なければならぬ。そやつにもさっさと支度をさせよ!」と、隠れてびくびくとこちらを見ている、侍女達を見た。「どれがこれの侍女よ。さっさと着替えさせて連れて来い、我の命ぞ!」
「はい!」
夕貴の侍女が、慌てて深々と頭を下げて、夕貴を引きずるようにして出て行った。
そうして、維明もズカズカと音をたてながら、維斗の対を出て行ったのだった。
「只今、部屋着のままでお戻りですので、お着替えの最中でございます。」
帝羽が、維心の前で報告する。
隣りの維月は、気が気でないという様子だったが、維心は険しい顔で言った。
「着替えなど良いわ。いつまで待たせるつもりぞ!我は気が長い方ではないぞ!」
帝羽は、慌てて頭を下げた。
「は!お急ぎになるように、お伝えして参ります。」
帝羽は、サッとその場を出て行く。
維月は、維心を見上げた。
「部屋着のままで急いで戻ったのです。そのようにおっしゃらずに。」
維心は、むっつりと言った。
「…そも、維斗が戻らずでも、これだけ我があちこちに命じておるのだから、夕貴には伝わっておるはずぞ。それなのに、ここへ参る様子もない。維斗が戻らぬでも、先に来て主に謝っても良いではないか。何をしておるのだ、己の不始末で夫が呼び戻されておるというのに!」
それはそうだが、恐らく夕貴には恐ろしくて、こちらへ一人で来られないのだと思った。
そこまで、覚悟ができるような性質ではないからだ。
そもそも、そんな気概がある皇女なら、維月が怒り出した時に、後を追って来て更に謝罪していたはずだった。
維月の怒りにすら怯えている様子だった夕貴が、激怒している維心の前に一人出て、申し開きなどできるとは思えなかったのだ。
「維心様…王の御前に進み出て、お話をすることすら大変に敷居に高いことでございます。ましてやそのように激怒されておっては、か弱い女神には恐ろしく感じてしまうのです。それに…夕貴殿は、最初のお子を亡くしておられて、それは悲しんでおったのですわ。維斗が強く言えなかったのも、理解はできるのです。どうか、問い質されるのは当然のことではありますが、落ち着いてお話しくださるよう、お願い申し上げます。私も、その事がございまして、強く申せなんだので…。」
それを言われてしまうと、確かにそうだが。
維心は、息をついた。
「…わかっておる。だが、あれから維知が生まれ、もう百を超えた歳になった。それだけの時を過ごしておるのに、未だにそれに負い目を感じる必要があるのか。そも、世に幾人の女神が子を失っておるのよ。それでも、皆しっかりと宮を回してやっておる。言い訳でしかなかろうが。我を生み出す時に、失うはずだった命は月の眷族が留めてああして生を謳歌しておる。それは、怠惰に過ごして良いということではない。新たに与えられた命、それは学びのためのものぞ。この龍の宮では、怠惰な者を養うことはしない。匡儀の娘であるし、斬ることはせぬが、それでも最悪の場合、あちらへ返す。維斗が何と言おうともな。今この時に、王族がそのようでは、臣下に示しがつかぬ。洪がやっと整えたばかりの宮なのだぞ。我は許すつもりはない。」
結局は、維心はその事を怒っているのだ。
せっかく落ち着いて、臣下も真面目に励む者達ばかりを残して、新たに700もの臣下を召し上げようとしている時に、皇子の妃がそんな様子ではそれで良いのかとまた、前のようになってしまうのではと、危惧しているのだ。
維月は、反論できずにただ、黙ってそれを聞いていた。




