労いの宴
その宴は、内々に開かれる臣下の宴とは、別の席で行われた。
というのも、臣下達もせっかくの労いの宴なので、他に気兼ねなく楽しんでもらいたいと蒼は思ったのだ。
なので、維心、維月、蒼、維明、維斗、燐、高彰、将維が集まったのは、いつも正月に使う、あの畳のある応接間だった。
維月が来ると直前で聞いた杏奈は、準備が間に合わなくてまだ来ていない。
が、維心と維月がそこへ入って行くと、他の皆が迎えてくれた。
「維心様。ようこそお越しくださいました。恒から酒を山ほど持って来てくれたって報告を受けています。お気を遣わせてしまって、申し訳ありません。お気軽に来てくださって良かったのに。」
維心は、答えた。
「良いのだ、蒼。よう励んでくれたのだし、ここは維月の里であるしな。酒はいくらあっても良いだろうて。」と、維明と維斗を見た。「主らも。疲れは取れたか。」
維明が答えた。
「は。先ほどまで休んでおりましたので。」
維心は、頷いた。
「ならば良い。後は久方ぶりの休暇と思うて、ひと月存分に羽を伸ばすが良い。」
維明と維斗は、頭を下げた。
「はい、父上。」
維月は、それでもどこか元気のない維斗に、口を開いた。
「…維斗。」維斗が、維月を見る。維月は、続けた。「何も気にすることなどないのですよ。内のことは、我が何とか致します。それより、これまで維明と兄弟らしゅう戯れた事もないでしょう。ここに居る間は忘れて。滅多にないお休みを、父上より賜ったのですから。」
維斗は、それは夕貴のことを言っているのだ、と悟り、頭を下げた。
「…は。ありがとうございます、母上。」
維斗は、少しホッと肩の力を抜いた。
この母ならば、きっと上手くやってくれるはず。
一方維月も、ひと月あれば、夕貴に思い出させる時はあると、皆の前では完璧に振る舞おうと決心していた。
里であろうと関係ない。
自分は、今龍王妃なのだ。
するとそこへ、急いだ様子の杏奈がやって来て、頭を下げた。
「仕度に手間取りまして、申し訳ございませぬ。」
蒼は、頷いた。
「突然に維月も来ることになったからな。これへ。」
杏奈は、素直に蒼の横へと座った。
維心が、言った。
「さて、皆揃ったゆえ、我が持って参った酒でも飲むか。特に良い出来の物を選ばせたのだ。臣下にも振る舞ってやるが良い。」
蒼は、頭を下げた。
「ありがとうございます。」と、侍女に頷き掛ける。侍女は、そこを出て行った。「裕馬が酒好きなので、きっと良い労いになるでしょう。」
維月は、言った。
「王。」維心は、維月を見る。維月は、続けた。「我はお酒は…。なので、隣りをお借りして茶でも飲んで参っても良いでしょうか。」
維心は、頷いた。
「良い。我もゆっくり皆と語り合っておるゆえ、主も楽しんで参るが良い。」
維月は、頭を下げた。
「はい。」と、立ち上がった。「杏奈様、参りましょう。」
杏奈は、え、と蒼を見た。
「…蒼様…?」
蒼は、頷いた。
「行って参るといい。オレも、維心様とお話があるし。」
杏奈は、今来たばかりで蒼から引き離されるのかと少し不満そうだったが、維心と維明の鋭い視線に怯えて立ち上がり、頭を下げた。
「では、失礼致します。」
そうして、維月について応接間を出て行った。
それを見送ってから、維心は言った。
「…維月から聞いておる。維月は神世の妃の意識が昔と変わって来ておるのは、己のせいだと気に病んでおっての。それを正そうと思うておるのだ。此度も、ゆえに突然に出て参る事になった。」
蒼は、息をついて頷いた。
「はい。維月と月から少し話したので、知っております。オレも悪いんです、瑤姫の時だって、同じ事になりましたのに。王なのに、王として当然叱らねばならないところを、叱っておりませんでした。そこのところが、人の抜けていないところで。お恥ずかしい限りです。」
維心は、息をついた。
「そこではそこの常識がある。維月は輿の中で申しておったが、人世と犬神の宮は確かに似ておる。その世の成り立ちと共にその常識や法は作られ、回っている。それを、どこぞの常識に合わせようとすれば、必ずどこかで弊害が出て参る。我らは、女神は弱いので守るものだという常識の下、全てを庇護の下に置いて存続させた。しかし、犬神の宮では皆平等に扱われ、弱い者は守られる事なく淘汰され、強い者だけが残った。それゆえに平等であり、女神も己で己の面倒を見る事ができ、そして同じ権利を持っている。多香子は志心の庇護がなくとも生き延びる力があろうし、媚びる必要もない強い立場であるから、志心に意見も言えるだろうが、こちらに嫁いでその常識に合わせてああして妃をやっておる。あやつには心に余裕があるからか、志心に執着することもなく、反って志心に大切にされておる。もし、こちらの女神も王に意見したいと申すならば、同じように強くならねばならぬのよ。依存しておるのに、権利だけを振りかざすのは、間違いなのだ。」
皆が、神妙な顔でそれを聞いている。
ここまでの歴史が違う…確かに、その通りだからだ。
「…とりあえず、オレも王らしくやります。つまりは、舐められているわけですしね。椿のような事になったら…杏奈もつらいだろうし。オレもそこまで考えてはいません。」
維心は、頷いた。
「とりあえず様子見で良い。主は月の眷属の王で、何事にも煩わされてはならぬ。本来の責務が担えぬとなると、本末転倒であるからな。その時は、考えるが良い。」
また心に重いな…。
蒼は、もっともだと思いながらも、瑤姫の時のような事はもう二度と、と思っていたので、何とか維月が杏奈に話して、それで考え直してくれたら、と願っていたのだった。
維月は、気が進まない様子の杏奈と共に、侍女達が急いで準備してくれた隣りの応接間へと移った。
二人で向かい合って座ると、維月は言った。
「杏奈様には、節分の折もお顔を見ておりませんでした。杏子も、お元気でいらっしゃいましたか?」
杏奈は、戸惑う顔をした。
外で他の妃達と会う時はいつも、維月はこんな感じだったが、月の宮で他の妃達が居ないと、いつもフランクに話し掛けて来たからだ。
杏奈は、何か違う、と気取って、答えた。
「はい。我も、杏子も元気にしておりました。」
維月は、頷いた。
「それは良うございました。」と、茶を口にした。「…実は場を変えましたのは、杏奈様にお話ししておかねばならぬことがございまして。節分の折の事でございます。恐らく、杏奈様にはお正月はお里帰りで共に来られておられなんだので、御存知なかったかと思いますが…椿様が、箔炎様に強くご意見なさって。そこから、関係が拗れるという事がございましたの。」
杏奈は、驚いた顔をした。
「え、椿様が?」
維月は、頷いた。
「はい。我も、他の妃の皆様も、妃という立場を思い起こして頂こうと、皆でご説得致しましたが…結局、椿様はお変わりにならなんだようで。節分の折、戻る際にそのまま父王の宮へと連れ帰られてしまいました。王達の間で、そのように取り決めがなされたご様子で。つまりは、只今別居という形になっておりまする。」
別居…。
杏奈は、身を乗り出した。
「それは、反省を促しているということですか?」
維月は、頷いた。
「はい。表向きは。」と、顔色を変える杏奈に、続けた。「恐らく、このまま段階を踏んで離縁となるだろうと思われまする。箔炎様が、愛想を尽かしてしもうておしまいなので…残念なことでございます。」
杏奈は、顔色を一気に青くした。
つまり、あれだけ長い間仲良くしているように見えた椿と箔炎は、箔炎からの愛情を失った事で、簡単に破綻してしまったのだ。
維月は、わざとため息をついて見せた。
「…そも、妃と申すのは王を労い、癒すための立場であって、王を煩わせることなどあってはならないのですわ。王とて、そんな者を養うために、責務をこなして励んでおられるのではありませぬから。守られ、養われておる立場で、うるそう申すなどあり得ませぬ。現に、女神も己で立つ事ができる犬神の宮では、妃と申す立場はございませぬ。王が居なくても生きられるあちらでは、女神が強いのは当然で、口論とてできましょうが、王が居ないと生きられない妃が、そのようでどうして許されましょう。それを、何度も皆で諭しましたが、無理でございました。誠に、残念でございます。」
ますます杏奈は青くなる。
維月は、ホッと息をついて、また茶を飲んだ。
「次は花見で皆様お集まりになりますでしょうが、杏奈様がご存知でなく戸惑われてはと、今お伝え致しました。椿様はもういらっしゃいませぬが、紅蘭様と恵鈴様が、上位の王に嫁がれて加わられます。仲良くして参りましょう。我らは王の慈悲の下に、こうして共に穏やかに歓談していられるのですから。」
とはいえ、維月は父や兄の庇護まであるので、維心が居なくても平気だろう。
だが、自分は…。
今コンドル城へ戻ったら、どの立場で城に居たら良いのだろう。
レオニートには今はもうエカテリーナという妃がいて、その昔の状況とは違う。
里帰りの時は月の宮の妃という立場なので皆に歓待されているが、それがなくなった後、月に背かれたとなれば、いったいどうなってしまうのか…。
杏奈は、浮かんでくる現実に愕然としていたが、維月はそれに気付かぬふりをして、努めて龍王妃らしく茶を飲んでいたのだった。




