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宴の席へ

「は、今からでございますか?」鵬は、いきなりに呼び出された居間で、維心からそれを聞いて驚いた顔をした。「月の宮へ向かわれると。」

回りでは、もう維心に命じられた侍女達が、大急ぎで準備を進めている。

維心は、頷いた。

「維明も維斗も居るしな。宴の席にだけ出て、明日の朝には戻って来るわ。案じるでない。」

鵬は、頭を下げた。

「は。それでは、厨子にまた何か品を詰めて。」

維明と維斗に持たせた物だけでも、結構あった。

他に何を持たせようかと鵬が頭の中で考えていると、維心は首を振った。

「酒だけで良いわ。もう、維明と維斗が持って出ておろう。あちらも、それを蔵へ収めるだけでも大変であるわ。ただ、蒼も大変なことを引き受けてくれたし、労ってやりに参るだけなのだ。正式に参るのではなく、いつものような忍びでの外出ぞ。大層にするでない。」

鵬は、頭を下げた。

「は!それではそのように。」

とはいえ、あちらにはもう、恐らく採点が終わった物があるわけで、先に王がそれを確認したいと思っているのではないかと、鵬も落ち着かない。

今は、文官たちは皆、落ち着かなかった。

そこへ、義心が入って来て頭を下げた。

「王。輿のご準備はできておりますので、いつでもお出ましになれます。」

維心は、頷いた。

「分かった。ならば、維月の準備ができ次第出発しようぞ。」

それを聞いた鵬は、慌てて立ち上がった。

「では王、御前失礼致します。」

「ご苦労だった。」

維心が答えると、鵬は脱兎のごとくそこを離れて行った。

恐らく、まだ酒の準備ができていないと慌てたのだろう。

義心は、それを見送ってから言った。

「…では、我は荷物を輿に乗せるのを見て参ります。」

維心は、また頷いた。

「頼んだぞ。」

義心は、頭を下げてまた出て行った。

維心が息をついていると、維月が奥から外出用の着物に、ベールをすっぽりと掛けて出て来た。

「維心様。お待たせいたしました、準備が整いましたわ。月から、蒼にはそちらへ参ると伝えておきました。驚いておりましたが、待っていると申しておりました。」

維心は、維月の手を取って頷いた。

「そうか。しばし待て、今鵬が酒を輿に積んでおる。」と、維月を自分の横へと座らせた。「…しかし、主は宴の席に残るつもりはないのだの。」

維月は、暗い顔をして頷く。

「…はい。途中でお席を立って、杏奈様とお話をしたいと思うております。先ほども申し上げた通り、あちらも…あのままでは、時間の問題ではないかと案じておりまして。」

維心は、ため息をついた。

「あちらもこちらもだの。月の宮でもそのような事になるとは、神世全体が緩んでおるのやもしれぬ。椿のこと、公にした方が良いやもしれぬ。」

まだ、正式には椿が里へ帰されたとは誰も知らない。

噂にはなっているようだったが、里帰りと言ってもおかしくはないし、まだそこまで大きな事にはなっていないのだ。

箔炎の様子ではこのまま離縁という流れだろうが、まだ別居という形になっている。

それを、維心は公にして、妃も傲慢になってはこうなるぞと、見せしめにしようと考えたのだ。

維月は、それを否定もできなくて、困って息をついて、下を向いた。

「はい…。」

維心は、維月のその様子を見て、同じように息をついて、その肩を抱いた。

「主がそのように案じるでない。友が不幸になると焦るのやもしれぬが、結局それは、そやつの選択なのだ。主は、精一杯説得しようと試みた。それを聞く聞かないは、全て相手の選択次第なのだから。」

…その通りだけど。

だからこそ、維月は今から杏奈に話しておきたいと思っているのだ。

杏奈とて、北でしっかりと淑やかな皇女として育っていたのに、月の宮という環境で、蒼という優しく穏やかな王に嫁いで、そうして北での自分を忘れてしまったとしたら、きっと思い出すこともできるはずだ。

維月は、できる限りのことはしよう、と決意を新たにしていた。


蒼は、奥へと入って杏奈の事を思い悩んで眠れずにいたら、維月が月から、維心と共に宴の席にだけ行く、と連絡が来た。

…え、来るの?!

蒼はびっくりして、慌てて居間へと飛び出すと、寝たと思った蒼が出て来たと驚いている侍女に、維心と維月が宴の席にやって来ると恒に伝えよ、と命じた。

侍女は、大変だ龍王が来ると慌てて出て行って、蒼はトボトボと奥へと引き返して、寝台へと転がった。

すると、維月の声が言った。

《…あなたと杏奈様を助けたいのよ。》

蒼は、え、と月を通して答えた。

《それって、見てたの?》

維月は、頷いたようだった。

《うん。十六夜とお父様との会話も、十六夜から聞いて知ってる。蒼、あなたは忘れているかもだけど、瑤姫殿の時もそうだったでしょう。月の宮では、余程根っからの真面目な子でないと、緩んでしまって妃の務めを忘れてしまうのよ。あなたも普段からあまり叱ったりしないのが悪いのはそう。だけど、杏奈様も王という立場の蒼に、しつこく反抗するのもおかしい。今、私のせいでもあるんだけど、昔と比べたら妃の方々の意識が変わってしまっていて…悪かったと思ってる。神世は人世とは常識が違って、それで回っていたのに女性の権利が何とか言い出してしまったから。ここ数百年で、王のお立場も考えずに、強く口出しする妃が増えてしまっているのよ。》

蒼は、困ったように言った。

《まあ…それは確かに。最近になって、オレも分かったんだよね。そもそも、犬神の宮の読本作った時に、あ、人世と近いのはこっちだって思ってしまって。人世では、男女変わりなく自分で自分の面倒見て働いてるし、どっちが優先されているわけでも、片方が強く依存しているわけでもない。それが、犬神の宮なんだって。こっちは、女性は徹底的に守られて生き残って来たから、弱い女神もみんな生き残って。もちろん強い女神の居るけど、大半が戦国を生き残って来た男神に依存する女神で、状況が違うんだよね。維月は、まだ母さんの時にあれだけ人として戦って生き抜いてたんだし、そう思って仕方がないかもしれないんだけど…やっぱ、歴史が違うから。》

維月は、蒼にも分かったんだ、と頷いた。

《そうなの。だから、後悔してる。逆に私がそれを悟って、維心様にご負担がないように振る舞えるようになったのに、これまでの私が変えてしまった空気を吸った女神達が、模範的な妃から離れて行って不幸になってしまうなんて…。ここからは、変わってしまった空気を元へ戻して、少しでも皆様を本来の姿に戻して差し上げなければと思ってる。維心様にもそう申し上げたら、主がそう申すなら、と言って、宴に行くのを許してくれたわ。》

蒼は、息をついた。

《…そうか。数百年かけてこうなったから、また時間かかるだろうけど。龍王妃だからね。やろうと思ってできないことはないんじゃない?》

維月は、頷いたようだった。

《そうね。ありがとう。維心様もそうおっしゃってらした。神世で一番の地位に居る、私が厳しくしたら、皆それに従わねばならない空気になるだろう、って。椿様のようにならないように、皆様をお助けしなければね。》

とはいえ、杏奈が一気に変わるだろうか。

蒼は、思った。

何やら最近、蒼に固執しているように見えて、蒼も辟易していたのだ。

蒼からしたら、程よい距離でお互いに穏やかに暮らせたらそれで良いと思っている。

辛い想いをさせたくはないが、愛しているのかと言われたら、同情から始まった関係で、華鈴を愛したほどには、杏奈を愛しているとは思えなかった。

…やっぱり、オレは華鈴に会いたいんだなあ。

蒼は、そう思いながら目を閉じた。

そうして、すぐに眠りに落ちて行ったのだった。

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