節分の記憶
時が来た。
山の端に日は沈み、全員の答案が回収されて、龍の宮から将維がそれを携えて、月の宮へと飛び立った。
維明と維斗もそれに遅れて飛び立ったが、それには理由があった。
維斗がひと月宮を空けると聞いて、妃の夕貴が拗ねたのだ。
…それを忘れていた。
維月は、夕貴が何やらごねている、と侍女から聞いて、慌てて維斗の対へ向かい、皇子の維知と共に夕貴を説得した。
その結果、維月に刃向かえない夕貴は、渋々維斗を送り出すことになった。
なので、出発口には夕貴は見送りに出ていなかったが、維斗は後をよろしくと言いおいて、待っていた維明と共に飛び立った。
…私が言って、納得してくれて良かった。
維月は、ホッとしていた。
もし、このまま夕貴がごねたら、維明が焦れて黙れとか言い出しただろうし、維心も自分の命で行かせるのに、それに歯向かうのかとか、言い出しそうだったからだ。
良くも悪くも、龍の宮の奥は、他の宮の奥より緩い。
なぜなら、維月が主として回しているので、維月が良いと言えば良いし、否と言えば否だ。
維月は妃を大切にしろというスタンスなので、維斗も余程のことが無い限り、夕貴を叱ったりしなかった。
そんなわけで、他の妃よりも、少しわがままになっているかもしれなかった。
…少し、引き締めた方が良さそう。
維月は、思った。
というのも、節分に椿が強制的に翠明の宮へと連れて帰られた時のことを、覚えていたからだ。
維月は、その時のことを、思い出していた。
龍の宮には、7列の到着レーンがあり、出発もここからする。
楽しかった蔵ツアーの記憶も新しいままに、全員が並べられた己の宮の輿へと向かう中で、椿も侍女達に囲まれて出て来て、箔炎とは別の、鷹の宮の輿へと乗り込んで言った。
声を掛けたほうが良かったか、と維月は一瞬思ったが、とてもそんな空気ではないのを気取って、すぐに黙って送り出す方を選ぶ。
不意に箔炎の軍神が、椿の輿の上に平たい厨子を置いて、その上に待機したのが見える。
すると、炎嘉の輿から浮き上がり、次に志心、そして箔炎と出発する中、本来なら己の序列が来るまで待っている翠明の輿が、箔炎の輿と同時に浮き上がった。
翠明と箔炎の行列が並んで上がって行く様は、どう見ても普通ではなかった。
が、誰もそれに言及することなく、そのまま順に空高く去って行き、輿は見えなくなった。
「…同じ方向ですから、途中までは並んで参られるのでしょうね。」
維月が空を見上げてそう言うと、維心は頷いた。
「その通りよ。翠明は龍王刀を椿の輿の上に置かせていた。滅多なことにはならぬだろう。」と、足を後ろへ向けた。「奥へ戻ろうぞ。」
維月は、頷いて歩き出した。
だが、脳裏には月からの映像を映して、箔炎と翠明の行列を追っていた。
椿は、何故か父親の行列と並んで飛んでいるのを不思議に思っていたが、自分の輿を守るように上に居る軍神は鷹なので、同じ方向だからなのだと思いながら輿に揺られていた。
が、しばらく行くと、不意にその気配が翠明の宮の軍神に代わり、何だろうと輿の外を、布を上げて見た。
すると、鷹の濃い茶色の甲冑の行列は向こうへと反れて離れて行き、自分は翠明の宮の軍神達に運ばれ、その行列の中で西の島南西の宮の方向へ飛んでいるのが分かった。
「え…!」椿は、輿を飛び出そうとした。「そんな!我はあちらに!」
里へ帰されるの…!?
飛んででもあちらの宮に帰る!
椿は思ったが、輿にはガッツリと翠明の結界がいつの間にか張ってあり、それに弾かれて輿の中へと転がった。
それを気取った、軍神達が言った。
「なりませぬ!王のご命令、輿の中に居てくださいませ!」
椿は、起き上がりながら必死に叫んだ。
「我は!我は鷹の王の妃です!鷹の宮へ帰らねばなりませぬ!」
軍神は、しかし非情に言った。
「箔炎様と我が王のお取り決めでございます!おとなしくなさってくださいませ!」
話し合いもなく…!
椿は、必死に翠明の結界を破ろうと暴れた。
「我にはそんな話はありませんでした!輿をあちらへ!できぬなら結界を破ってでも参ります!」
椿が暴れるので、輿はミシミシと音を立てて揺れる。
運んでいる軍神達も、それに振り回されて空中であちこち揺れた。
それでも、翠明の結界に守られているので、中からは出られない。
椿は、輿を破壊しようと気を放った。
「…こんなもの!」と、その気は椿を中心に輿を襲った。「壊れてしまえば良い!」
「…くそ!」
軍神達が空中で振り回されるのを、翠明は振り返って見て慌てて行列を止めて輿から出て来た。
「何をしておる!椿!」
翠明が、気を放とうと手を差し出すと、それより先に、天井の厨子が光ったかと思うと、今にも爆発しそうだった椿の気が、一瞬にしてピタと止まった。
輿の揺れは止まり、空中でシンと静まり返る。
「…今のはなんぞ?」
翠明は、言いながら椿の輿の近くへと飛んだ。
椿の輿の天井を守っていた、軍神が答えた、
「分かりませぬ。この、何があっても落とすなとお命じになられた厨子が光り輝いたかと思うと、全てが一気に静かに。」
翠明は、顔をしかめて輿の中を覗いた。
椿は、仰向けにひっくり返って、気を失っていた。
…龍王刀の力か。
翠明は思うと、踵を返した。
「…今のうちに帰るぞ!着いたら、その厨子からは絶対に椿を離してはならぬ!椿と共に部屋に運び、部屋の天井に設置せよ!」
軍神達は、頭を下げた。
「は!」
そうして、翠明の行列は、そこからものすごい速度で宮へと帰って行ったのだった。
南西の宮へと着いた軍神達は、翠明に言われた通りに輿のまま椿をかつての椿の使っていた部屋へと運び、そして言われた通りに厨子をその天井へと設置した。
軍神筆頭の、勝己が言った。
「王。ご命令の通り、椿様をお部屋へと運び、天井裏にあの厨子を設置致しました。」
翠明は、綾に手伝われて着替えながら、頷いた。
「ご苦労だった。これよりは、しばらく椿が落ち着くまで、部屋の前に見張りをつけよ。また暴れるやも知れぬ…まあ、あれがある限り大丈夫だろうがの。」
勝己は、言った。
「王。あれはいったい何でございましょうか。龍王の気配がして、運ぶ軍神が触れるのも総毛立つ心地だと申しておりました。」
翠明は、頷いた。
「あれは、歴代龍王が選んで来た龍王刀の五本のうちの一本。初代と二代が使っていた物らしい。かなりの力があるゆえ、この宮の守りにと、貸してくださったのだ。また美穂のような事があってはと案じてくれての。」
「え、龍王刀?!」
勝己は、身を震わせた。
龍王達は、その刀の力も借りて、世を治めて平定して行ったのだと聞く。
そんな大層な物を、天井裏に?!
「て、天井裏などに置いてよろしいのですか?!」
勝己が言うのに、翠明は息をついた。
「維心殿がそうせよと申す。あれは特殊であるから、強い力があれ自身にもあるそうな。維心殿が直接、この宮を守るように命じてくださったので、あれはそれに忠実に務めておるだけよ。」
勝己は、それでも落ち着かない様子で言った。
「…ならば、せめて何か、綿入りの傷のつかない敷物でも準備させ、その上に置くように致します。知らぬので、そのまま置いて参ってしまいました。」
翠明は、頷いた。
「それで気が済むのならそうせよ。が、絶対に手に取るでないぞ。過ぎた物を手に取ると、狂うのだと我らにでも触れるなと維心殿は言うた。分かったの。」
勝己は、頭を下げた。
「は!」
そうして、勝己は下がって言った。
綾は、不安そうに言った。
「…今は気を失っておるゆえ静かですが、あの子が目覚めたらと思うと落ち着きませぬ。話を聞いてくれたなら良かったのですが…何を言うても全く聞く耳を持たずに。こんな風に連れて戻るのは、本意ではありませぬのに。」
翠明は、ため息をついた。
「仕方がないわ。とりあえず、主とて当分は近付くでないぞ。」と、綾の手を取った。「…そういえば、主も何かもらって参っておったの?それを見せてくれぬか。そちらの話をしよう。」
翠明が、気を逸らそうとしてくれている。
綾は、なので努めて明るく振る舞い、その懐剣との出会いの事から翠明に話して聞かせたのだった。




