水面下のいろいろ
維月は、菓子に夢中になっているふりをしながら、自分は口を開かずに、妃達の会話を聞いていた。
紅蘭と恵鈴は婚姻をして新しいので、宮の事など里の宮と何が違うのかなど、聞かれるままに話している。
紅蘭は己で解決していたり、駿に聞いてみたりと頑張っているらしい。
駿は、紅蘭がやりやすいようにやれば良いと丸投げしてくれているらしく、変えたいところは変えているので、それほど難儀していないようだった。
が、高彰は宮のやり方を変えたくはないらしく、思うようにして欲しいので、七槻をつけて教えさせているようだった。
慣れた妃ならば、あちこちの宮を見ているので、臨機応変にすぐに覚えて、問題ない所は王に提案して改善し、自分が良いようにやるのだが、恵鈴はまだ百年少し、そこまでできるほど、宮の動きを熟知してはいなかった。
高彰からしたら、育っていないなら育てたらいい、ぐらいに思っているようだったが、恵鈴からしたら今まで里で教えてもらっていたことと、全く違うことをやらねばならないことが、やはりストレスであるようだった。
とはいえ、しっかりと恵麻に躾けられているので、恵鈴は表立ってそんなことは言わないが、言葉の端々に疲れているような雰囲気が出ていて、百戦錬磨の妃達には、不満は一目瞭然だった。
が、そんな恵鈴も、七槻の話になると、穏やかな顔をした。
やはり、恵鈴は七槻を信頼し、それがどうやら恋慕になって来ているようだった。
他の妃達の手前、本神がそれに気付いていないのもあって、まだ慕わしいという風には誰も思ってはいない。
むしろ、不満がありそうだが七槻が上手くそれを緩和してくれていると、歓迎ムードだった。
が、維月には見えているので、そうは思わない。
維月は、密かに月から維心に念を送った。
《…維心様。お話ししてもよろしいですか?》
維心の声が、維月だけに伝わって来た。
《良い。どうした?》
維月は、続けた。
《はい。どうにも気になることがございます。皆の前では口に出来ぬので、ここで聞いてくださいませ。あの…恵鈴様のことですわ。》
維心は、答えた。
《高彰とはまだ閨を共にしておらぬと聞いた。それに不満とかか?》
え、まだなの?
維月は、それには驚いたが、言った。
《いえ、それは知りませんでした。そのことに関しては、何も聞いておりませぬ。それより、七槻という神を教育に付けておるのはご存知ですか?》
維心は、答えた。
《知っておる。それが何か?》
維月は、妃達にさりげない視線を向けて、会話を聞いているふりをしながら答えた。
《はい。誰も気付いてはおりませぬが、恵鈴様はどうやら、その七槻に懸想なさろうとしておるようで…いえ、もう懸想なさっておいでですが、ご本神が気付いていらっしゃらないような状態で。妃の皆様は、幸い気付いておられませぬ。》
維心は、厳しい空気の念を返して来た。
《…それは面倒だな。》
維月は、頷きそうになるのを抑えて、言った。
《はい。七槻の心地は分かりませぬ。お役目を果たしておるだけである可能性の方が高いでしょうが、ここは早急に芽を摘んだ方がとご連絡致しましたの。ご自覚なされてお気持ちが大きくなれば、もう面倒しかないように思いますので…。》
維心は、しばらくあってから、答えた。
《…分かった。とりあえず、炎嘉にでも相談して、分からぬように七槻を離せるように取り計らう。主は案じるな。》
維月は、ホッとした。
《はい。よろしくお願い致します。》
維月はホッとして、妃達との会話に戻って行ったのだった。
王達は、この際だから楽でもやるかと畳に上がっていた。
炎嘉は、席を立たずに言った。
「まずは公青の琴が聴きたいゆえ、ここは我は残って聴くに徹するわ。」
維心は、腰を浮かせていたのを、同じように座った。
「ならば我も。たまには主らで合奏するのを聴くのも良いな。」
焔が、むっつりと言った。
「何ぞ、上からであるな。まあ良い、聴いておれ。」
そうして、何を弾くかと話し合いを始める。
それを眺めながら、炎嘉が念で言った。
《して。維月は何を申して来たのよ。》
維心は、答えた。
《…恵鈴よ。どうやら教育の七槻に懸想しているようなのだそうだ。とはいえ、維月だから気付いたが、本神すら気付いてはおらぬほどの仄かなもの。今のうちにどうにかした方が良いと思うておる。》
炎嘉は、息をついた。
《誠か。まあ、初めて宮を出て男と接したわけであるし、そもそもがまだ婚姻は成っておらぬと高彰も言うておったしな。恵鈴は大人びてはおるが、まだ子供。高彰は常識的な対応をしておるのに、それでは塔矢も面倒になろう。》
維心は、頷いた。
《我もそのように。》
炎嘉は、密かに息をついた。
《…どうしたものかの。ここは高彰にさりげなく申して、七槻を離す方向にするか。他の、女神を教育に付けさせるように。》
維心は、答えた。
《確かにそれが良いだろうが、どう話を持って参るかだ。先に知っておれば、さっき話題に上がった時に提案できたが、何もなく突然言い出したら不審に思うだろう。》
炎嘉は、言った。
《任せておくが良い。我とて孫のことであるし、この正月のうちに上手いことやる。》
維心は、炎嘉に任せておけば問題ないだろうと頷いた。
《…ならば主に任せるぞ。もう面倒は懲り懲りよ。》
炎嘉は、目の前で楽器を構える皆を見つめながら、答えた。
《我とて面倒などもう懲り懲りよ。》
そうして、畳の上の皆が曲を奏で始めるのに、耳を傾けた。
もう本当に、婚姻で面倒が起こるのは勘弁して欲しかった。
その頃、義心達軍神は訓練場で汗を流していた。
休めと言われて月の宮まで連れて来られたが、義心は様々な神ととっかえひっかえ立ち合いをこなし、役目についている時より体を動かしていた。
とはいえ、あちこちに目を配って気を付けていなくても良いし、義心からしたら心の休養にはなっていた。
張り詰めていた糸が、ふと緩む心地がするのだ。
弦との立ち合いを終えて、義心は地に降り立った。
「…前より腕を上げておるようよ。宮でよう鍛錬しておるのだな、弦。」
義心は、ため息をついた。
「それでも主には敵わぬか。まあ、分かっておったがな。更に精進する目標ができて良かったと思うことにする。」
義心は、苦笑した。
「そうだの、主は脇に力が入っておる。恐らく大振りになるのを意識しておるのだろうが、かえって良くないのではないか。これまで通りでも良いといっそ開き直った方が、良うなるようにも思うかの。」
弦は、額に手をやった。
「また初心者のような忠告だな。確かに大振りになるので脇を気にしておるゆえ。」
嘉韻が、言った。
「主は大柄であるし、義心が言うように開き直った方が良いかもな。ちまちま見えて、自信がないのかと思うてしもうたわ。」
義心は、脇で筆頭ばかりが集まっているので控えめにしている義将に目をやった。
「それで。義将は嘉韻に相手をしてもらったのか?」
義将は、頷いた。
「はい。叔父上が他の方々と立ち合っておられる間、嘉韻殿を始め、夕凪殿、嘉張殿、圭司殿、勝己殿と立ち合っていただきました。」
圭司は駿の、勝己は翠明の筆頭軍神だ。
義心は、頷いた。
「良かったことよ。何か学べたか。」
夕凪が、言った。
「学ぶと言うて、こやつはかなりやりおるわ。ゆえに油断出来ぬで圭司も勝己も何度も一本取られて焦っておった。さすがに主の血筋であるな。」
…ということは、かなり腕を上げている。
義心は、それを聞いて思った。
なので、義将に向き合った。
「ならば義将、我と。見てやろうぞ。」
義将は、パァッと明るい顔になったが、慌てて顔を引き締めて、頭を下げた。
「は!よろしくお願い致します。」
嬉しくて仕方がないのだろう。
顔に出るところがまだ若い、と、義心は微笑ましく思いながら刀を抜いたのだった。




