最終話(完)
――――それを……教えてくれるのか?
「あ、ああ」
俺は美月の前で背筋を伸ばして座りなおした。
「先生は、私が何も言わなくても知ってたのね。私がずっと苦しんでいたのを」
「苦しんでいた?」
「誰の気持ちもわからなくて、誰も私のことを理解できないと思ってたから」
ああ、それは俺も感じていたことだ。彼女の周りにあった厚い壁は……彼女が作ったものでなく、俺たちが勝手に作っていたものだと……。彼女はその作られた壁に閉ざされ、息を殺していたように感じた。
「でも違った……。先生はそれを教えてくれたのに……馬鹿な私は気が付かなかった」
美月は辛そうに唇を歪める。眉を顰める姿は、美しいけれど俺の胸を突いた。
「美月……」
「あの事件からずっと先生のこと考えてる。こうして時間ができて、本当に感謝してる」
「あ……そう……」
そんな話はあまり……聞きたくない。
「風間さん? 聞いてる?」
「聞いてるよ。うん」
俺の憮然とした表情に気付いたのか、俺はまた顔を作りなおす。
「でも……気づけたのは、風間さんのおかげだからね……」
「え?」
なに、それはどういう……。
「それと……私が楽しみにしてるのは、事件じゃないから。それは、わかってて」
「ええっ!?」
いや、そんな畳みかけられてもっ!
「あ、じゃあ、時間だ。また来月ね」
美月は俺の方を見ずに立ち上がる。ちょっと待って、脳内で整理がつかないんだけど。
――――馬鹿じゃないの。
俺は前回のやり取りを思い出す。
――――楽しい事件、待ってるから。
怒ったように言い捨て、面会室から出て行った。イラついていたのは間違いがない。俺はだから、困惑していたんだ。もし俺が怪我してなかったら、美月のお母さんがやってきて俺に彼女が心配していると告げなければ、今日のこの訪問は気まずいものになっていただろう。
――――私が楽しみにしてるのは、事件じゃないから。
これは、あの時の答えなんだろうか。
「美月、俺も、事件なんてどうでもいいんだ。そんなものなくても、来るからな」
美月が立ち止まり、俺の方を振り向いた。頬が赤くなってるのは気のせいじゃないだろう。隣で教務官が憮然とした表情を俺に向けている。だが、そんなこと気にしてられるか。
「また手紙書くよ」
美月がこくんと頷いた。俺は馬鹿みたいに破顔して手を振る。いつも短い逢瀬の終わりは寂しくて辛いけど、今の俺は違う。まるで謎が解けた時のように、厚い壁が崩れ落ちていくようだ。
――――そうか。この壁は、君の周りにあったものか。
美月がさっき意を決して話してくれたのは、こういうことだったんだ。
――――君の心のなかに、あの教師がいるんだな。
俺はそれを仕方なく受け入れることにするよ。彼がいなければ、美月はずっと孤独のままだった。俺も彼女に会うことすらなかったんだ。
――――でも、俺がいなければ……俺みたいな不祥事刑事がいなければ、美月はただの犯罪者でしかなかった。そうだよな?
それを誇りに思うとかじゃないけれど、君を好きになってよかった。俺は今、心からそう思う。美月を一人にせずに良かったと。
施設の外に出ると、秋の空はいつも以上に澄み切って高く感じる。俺はぐんと背伸びをした。明るい未来が俺と美月の前に広がっている。たとえそれが幻であっても、俺にははっきりとそこへ続く道が見えた。
完結
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