最終話(2)
「風間さん? どうかした?」
「あ、ごめん。いや、髪も背も伸びたなって思って」
「成長期だから。ふふっ」
何かを含んだように笑顔を見せる。なんだか調子が狂ってしまうな。こんな美月を見たのは初めてだ。いつも彼女を覆っている針のような緊張感がない。柔らかな生身の彼女が見え隠れしている。
「俺は最近、抜け毛が気になってるよ」
それでも、この大切な時間を驚きだけで終わりたくない。言いたいこと、聞きたいことはたくさんあるけれど、ただこの空間にいるだけでも十分だ。そう考えてもいいだろう?
これから先、まだまだ彼女とはこんなふうに時を過ごすしか俺にはないんだから。
「ええっ、そんな若禿の不祥事刑事なんて、絵になり過ぎだわ」
おかしな空気は彼女も感じていたのだろうが、珍しく軽口を叩く。にしても不祥事刑事と美月の口から語られるのに俺は違和感を覚えた。
「知ってたんだ。俺の二つ名。へへ、ま、似合い過ぎだよな」
「あ……ごめんなさい。その」
「なんで謝るの? いや、俺も君が知ってるとは意外だった。でもそうか。そういう噂はいくらでも耳に入るよな」
教務官も時たま訪れる警察官も、善意溢れる者ばかりじゃないだろう。当時は注目された事件だから、マスコミの取材もあったかな。未成年だし、そんなのを受けたとも思えないけれど。
「気にしてないって言ったらウソになるけど、俺は自分のしたことを理解してる。本来なら解雇されても文句は言えないのに、君のお陰で首が繋がったんだ。だから今は事件解決に頑張ってるよ」
「私のお陰じゃなくて、私のせいでそんなことになったんじゃない」
「え? びっくりするな、今日は。俺が勝手に君のことを好きになって、勝手に連れ出そうとしたんだ。君のせいじゃないよ」
「それは……そうかもしれないけど」
「それに、今はだいぶ汚名返上出来てると思うよ。ここのところ、事件を解決に導けてる。あ、それは君のお陰か」
そこまで言って、俺は気付いた。とんだ勘違いかもしれないが、一つの可能性を。
「まさか、美月。俺のために知恵を貸してくれたのか? 俺に手柄を上げさせようと」
「それこそまさかだわ。私はそれほど思い上がってないよ……。風間さんが私の思い付きをヒントにして自分で解決したんだよ。事件の全貌が見えてたわけじゃない」
雲行きが怪しくなってきた。せっかくいい雰囲気になっていたのに、美月はいつもの彼女に戻ってしまってる。長い睫毛で綺麗な瞳を隠し、俯き加減で唇を噛んでいる。
「ごめん。俺こそ思い上がってたや。でもさ、また事件で行き詰ったら、君に聞いてもらいたいな。その、なんて言うか、美月と話してると難解な沼がすっと溶けて透明になる瞬間があるんだ」
これは俺の正直な感想だ。ぶち当たった壁が薄くゆっくりと堕ちていくような。ぼやけた景色がはっきりと見えてくる感じだ。
「そういうのは私にもある。なんだろ、考えてるとスッキリするんだ。謎って言ったら大げさだけど、見えてない部分を見つけるのが気持ちいいって言うか」
「そうか。うん、そんな感じだよな。S市は犯罪率の高い地域じゃないけど、細々とした事件は起きてるみたいだ。リモートしてる間も苦労してる事件があってさ。俺はまだ詳細を知らないけどまた頼ることになるかもしれない」
現在、都並班を悩ませているのは、市内の大学で起こった窃盗事件だ。これが国の行っている研究に関わっていて事態を複雑にしているらしい。何を盗まれたのか教えてくれないので捜査のしようがないと都並さんが愚痴っていた。なんだか美月が興味を持ちそうな事件な気がする。
「うん、それは少し、楽しみだな」
「ああ」
「それと……あの……」
「どうした?」
今日は次々と美月の見たことのない表情が現れる。これがもし、俺が怪我したことが原因なら、もう一回くらいしてもいいな、などと危険なことを思う。
「風間さんが母さんに聞いたこと、教えてあげようと思って……」
え……。俺は声に出す代わりに息を呑んでしまった。入院していたとき、思いがけず見舞いに来てくれた美月の母親。俺は、あんな場で尋ねていた。
『美月は森崎とどういう関係だったのか』
つまり、俺が知りたかったのは、どうして美月は森崎を殺したのか、だ。




