第9話(8)
「なぜ、森崎を刺したんだ」
海の見える駐車場に車を停め、冬特有の波荒く暴れる様を見ている。俺は先を急ぎたかったが、美月がそれを拒んだ。彼女に逃げる意志がないことはわかっていた。
「さあ……」
「さあって。君、森崎に何かされたんじゃないのか? 言いたくないかもしれないけど、警察は、少なくとも俺は君を守るよ。調べてみれば、正当防衛だって証明できる」
被害者の傷から正当防衛は難しいと言われている。だが、そんなことわかるものか。絶対はないんだ。
「馬鹿なことを。先生はそんな人じゃないわ。だけど……」
「だけど、なに? 俺にはホントのことを言って欲しい。君に都合の悪いことも全部。それがどんなことでも、俺には受け入れる覚悟はある」
「どうして……そこまで。刑事としてどうなの、それ」
至極真っ当なことを言われてしまった。まだ告白を聞いたわけじゃないけど、彼女の様子から犯人であることは間違いないらしい。それなのにこんな言われ方はないだろう。
「なんだよ。俺はもう、刑事でもなんでもないよ。辞表はとっくに書いてあるし手帳も置いてきた」
「なんて浅はかなことを……。さっぱりわからない」
「わからない? 君は俺の気持ちがわからないのか? 俺は……君が好きなんだよ。好きな人が苦しい目にあって欲しくないのは当然だろ?」
「好き……」
「そうだよ。何度も言わすな」
美月は持ってきた水筒からコップに飲み物を注いだ。車内に香しい珈琲の香りが溢れる。
「なぜ……あなたは私のことを何も知らないじゃない」
コップを俺に差し出しながら美月は言った。およそ感情がこもってるとは思えない。淡々とした言い方だ。
「幼馴染じゃなきゃ好きになったらいけないのか? 俺は君と出会って、何度か話をした。それじゃ足りないか?」
彼女が入れてくれた珈琲を飲む。鼻腔に香しい香りが抜ける。インスタントじゃない本格的な珈琲だ。
「そうは言わないけど。みんな、簡単に言うから」
「みんな? もしかして、君、森崎にも言われたのか?」
美月も別のコップに珈琲を注いで口に含む。俺の言葉を反芻するようにゆっくりと流し込んだ。
「先生は、愛してるって言ってた」
「お、俺だって愛してるよ。なんだよ、エロ教師め」
「なに争ってるの? 呆れるわね」
「呆れるって……美月、どうしてそんなに落ち着いてられるんだよ。君ほどの人が、次に起こることが想像できないとも思えない」
俺は落ち着き払う彼女に苛立っていた。一人で焦って一人でテンパってる。美月を想う気持ちが散々空ぶっているのがわかり過ぎた。
「そうね。体験したことはないから、想像でしかないけど。不思議と大丈夫」
「大丈夫じゃないよ……」
なまじ警察官だからこそ、この先のことはわかってる。大人の犯罪者とはいくらか違うけれど、生易しいものじゃあないんだ。美月のような美しい人が行く場所じゃない。
「じゃあ……ここで、一緒に死ぬ?」
「え……」
俺は不意を突かれたように驚いて振り返る。美月は寂しそうな表情で俺を見ている。本気なのか? そんなことは、考えてもみなかった。
「馬鹿な。冗談じゃない。俺は君に生きてて欲しい。だからこそ、こうして……」
「死んでほしいって頼んだら?」
畳みかけるように迫る彼女。俺は思わず彼女の両肩を掴んだ。
「君の頼みなら聞いてやるよ。その代わり、俺の願いを聞いてくれればだけど」
「それ、どうせ君は生きろって言うんでしょ。つまんないわ、そんなオチ」
「む……」
図星だった。それに美月の言葉が本心とは思えない。なにか、俺を試しているような口ぶりだ。
「腕、痛いんだけど」
「混ぜっ返すなよ。本気で言ってないだろう? 美月ほどの才能のある人が……」
「私は世の中のために生きてるわけじゃない。それに、ただの人殺しだわ。約束された未来はもう閉ざされてる」




