第9話(4)
「おい、風間。ちょっと気になる噂を耳にしたんだが……」
事件そっちのけで美月に入れ込み始めていた。それに気付いたのかは知らないが、署に戻った俺に藤井班長が声を顰めて話し出した。この時点では悪いことをしていたわけでもないのに、無駄にびくついてしまう。
「なんでしょうか」
「おまえ、中学校で女子生徒の一人とよく話してるっていうんだが、何か考えあってのかことなのか? 屋敷さんに聞いても要領得ないんだが」
「は……い。あの」
なんでこんなに早く噂になってるんだっ。一体どこのどいつだよ。屋敷さんも俺にまかせっきりなんだから、適当に言っておいてくれればいいのに。
「一人に限ったわけでなく。ふらふらしてる生徒に声をかけてます。特に問題がないので報告してませんでした」
「なにほざいてやがる。どんな小さいことでもいいから報告しろ。それに……」
藤井さんはさらに声を小さくした。
「犯人は生徒かもしれん。そう思い始めてる」
「え? また何を根拠に」
県警一課でエースと呼ばれる藤井刑事の言葉であってもにわかには信じられない。勘の捜査を何より嫌うタイプの論理派だし、聞き捨てならないことだ。
「勘だよ」
自分のこめかみあたりを指さし目くばせする。予想もしなかった答えの俺は唖然とした。
「呆けてんじゃねえ。どんな可能性も無視できないんだ。容疑者が浮かんでこない現状をどう考えてる。真面目にやれっ!」
こめかみを指していた指で俺の頭を突いた。確かにそうだ。藤井さんも俺を遊ばせに学校に行かせてるわけじゃないだろう。
「了解です。肝に銘じます」
「そうしてくれ」
疑ってかかれ。そういうことだ。だけど中学生相手に滅多なことは出来ないよ。それがトラウマにでもなったりしたら……。
『感情をどこかに置いてきた』
誰かが美月のことをそう称していたのを思い出した。
『頭良すぎて、感情なんて無駄だと思ってんじゃないの? 笑ってるところとか見たことない』
『笑うツボも私達と違うんだよ。きっと学校来ても退屈だと思うよ』
『なら来なきゃいいじゃん』
美月と同じクラスの女生徒たちだ。何故彼女はいつも一人なのか聞いてみた答えだった。悪気も何もない。敵うわけがない相手だけど、仲良くするのも気が引けるし、自分たちも惨めになるから関わらない。そんな感じだった。
『友達ですか? いませんよ。同年代じゃあ物足りないでしょうし。教師だってあんまり近寄りたくないですよ。授業中、何か指摘されるんじゃないかってドキドキしてますから』
そんな無礼な真似を美月はしたことがなかった。被害妄想で不勉強な教師の勝手な妄想だ。同級生の言葉も教師の言い草にも、胸が悪くなる。当の美月はどう思っていたのか。多分、全て受け入れていたんだろうな。気にしてない素振りをしても、耳に入ってくる雑音は防げなかったはずだ。
「先輩、もしかして、動機はそれなんじゃないですか?」
テーブルの上には、もう食べるものはほとんど無くなっていた。それでも冷酒を手酌して俺と三条は飲む手を止めなかった。そろそろお茶漬けでも食べたい気分だ。つまり、終演ということ。
「あ? どういうこと?」
「つまり被害者の教師が、彼女に教育心を燃やしておせっかいを焼いた。それが彼女の逆鱗に触れてしまったってことですよ。人間には触れられたくないこと、言われたくないことってありますからねえ」
「わかったようなこと言うじゃねえか」
俺はフンと鼻を鳴らした。だが、三条の言うことも的外れではない。人には思わぬスイッチがあって、大体が他人から見ればくだらないコンプレックスなんだが、そこに触れられると烈火のごとく怒りまくり切れてしまう。
研修期間中にあった事件だが、同僚に奥さんの料理が下手だと謙遜したつもりで言ったら大変な夫婦げんかになったというのがあった。
旦那の方は全く気にしてなかったが、奥さんは自分の料理が義母よりも下手だと思い込み気にしていたのだ。仲裁に入った俺の先輩は奥さんが振り回していた包丁で手を切られてしまった。全く何が殺意に結びつくかわかったもんじゃない。
――――美月は特別扱いされるのを嫌がる。森崎は彼女をどう扱っていたんだろう。
「それで、どうして、その美少女中学生が容疑者として浮上したんですか? ずっとノーマークだったんでしょ?」
お茶漬けを頼みたいのに、なかなか話が終わらない。もう強引に幕引きしちゃうかな。
「おい、お茶漬け頼もうぜ。おまえ何がいい?」
「ええっ、もう!? 僕、まだ飲みたいですよ」
「嫌だよ。もう眠い。帰って寝る」
「そんなあ。今夜は返しませんよ」
「あほかっ、気持ち悪いわ!」
俺の腕を取って上目遣いをする三条。背中に悪寒を感じた俺は、お品書きで奴の頭をはたいた。




