第8話(2)
「これで……事件終わっちゃったんだね」
「えっと、あの、事件があろうとなかろうと、俺は……ここに来るけど」
この答えが正解なのかわからない。たとえ美月が俺に会いたいと思っていたとしても、それはただ、社会へ通じる一つの窓と思っているに過ぎないからだろう。それに、彼女自身、謎解きをするのは楽しいのかもしれない。
「それに、事件なんてまたすぐ起こるよ」
「よかった……」
「だから……え? あ、ああ……いや、そうだよね」
そうか。そうだよね。
「何か君が興味を抱くような面白い事件が起こってくれるといいんだけど……」
俺は自虐的な笑みを作って彼女の方を見る。
「あ……え?」
何故か唇をへの字に曲げ、不機嫌な表情だ。
「馬鹿じゃないの……」
「な、なんだよ」
美月は怒ったのか、突然立ち上がり椅子を乱暴に机に押し込んだ。こんな素振り、絶対しない子なのに。
「おい、どうしたんだよ?」
慌てて立ち上がろうとすると、椅子が床を擦って耳障りな音を立てた。
「もう時間。またね。楽しい事件、待ってるから」
俺に背中を向け、振り向きもせずに言った。向こうに教務官がいるのが見えた。確かに時間が来たようだが……。
「ああ……うん。また来るよ」
あんなふうに感情的な美月を見たのは、初めてかもしれない。出頭を決めた時ですら、彼女はすさんだ態度を取ったり、声を荒げたりはしなかった。
『ありがとう……私、ようやくわかった気がする』
俺は彼女と逃げようとしたんだ。だから、何がどう分かったのかわからなかった。
『なにを言ってるんだ。俺と逃げよう。これでも刑事だ。君一人を逃がすくらいなんでもない』
『違うの。私のするべきことがわかった。先生が考えていたことも……』
『やめてくれ。君が出頭するなんて、俺は絶対に嫌だっ』
自分が正気じゃないのは俺だってわかってたよ。だけど、美月が逮捕され、取り調べを受けたり施設に送られたりなんて我慢できなかったんだ。俺は何があっても彼女を守りたかった。だけど、彼女は俺を黙らせた。一筋の涙。それだけで。
『ありがとう。風間さん。でも、これでいいんだよ』
俺は美月に言われるまま、彼女と連れ立って自分の職場、県警に入った。上司だった藤井班長は、俺を憎々し気に睨んでたなあ。取り調べ室に連れて行かれた美月は開口一番、こう言った。
『お騒がせしました。私は森崎先生を愛していました』
少し髪が伸びただろうか。後ろ髪が肩の線にかかっている。また伸ばし始めたのかな。風呂も毎日入れないようだから、ここにいる少女たちの髪はほとんどが短いのだけれど。
美月がここを出るのはまだ先の話だ。告げられた刑期の半分も経っていない。美月は裁判でも動機をはっきりと言わなかった。いや、本人は説明したつもりだったかもしれないが、到底理解できるものではなかった。
俺もそうだけれど、裁判官たちはもっとわかりやすい動機を期待してたんだ。教師の森崎が美月に関係を迫ったとか、逆に冷たくあしらったとか、そういう……。だけど美月はそれを毅然と否定した。
『森崎先生に落ち度はありません』
結局愛憎の縺れみたいな下衆な動機に仕立て上げられ、美月は刑に服した。彼女はその誤解だろう判決にも、何も意義を唱えなかった。
『理解できなくてもいいから。先生が悪者にならなければそれで』
美月は俺にそう言った。満足そうな笑みを湛えて。俺はたまらなかった。たとえ彼女が罪を償うのが当然のことだとしても、我慢ならなかった。
『俺、毎月君に会いに行くから。絶対、会いに行くから』
判決が下りて美月が施設に送られる時、俺は駐車場で待ち伏せしてそう声をかけた。渋い顔をした婦人警官に囲まれた君は、俺を見て頷いてくれたんだ。桃色の唇は『待ってる』と動いた。俺は今でもそう信じている。




