第4話(5)
高見さんが遺留品保管室へやってきた翌日、俺は美月を訪ねて収容施設に出掛けた。車で高速に乗れば、1時間ぐらいで着く。
今日はいったい何を話そう。もし会話が途切れたら(絶対途切れるけど)、この事件を推理小説みたいに仕立てて話してみよう。そんな安易な気持ちで、俺は昨日見せてもらった殺害現場の写真を絵にして持参した。
「元気そうで良かった」
面会室にやってきた美月は、いつもと同じジャージ姿だ。長かった髪をバッサリと切り、ボブヘアとでもいうのか。それでも彼女の美しさは微塵も崩れていなかった。
「元気……でもないけど」
「そうなのか? いじめられてるのか? そういうこともあるんじゃないかと心配してたんだ」
これだけの美人、やっかみもあるだろうし。その辺りのことは、施設の教務官にお願いはしているが、特別扱いはしてもらえないだろう。
「そんなこと、あるわけない。本気で言ってる? 小学生じゃあるまいし」
けんもほろろに言われてしまった。でも、ここには体は大人でも脳内小学生レベルも大勢いるはずだ。ただ、彼女はずっと孤高の人だったから、小学生相手に振り回されることはないか。
「じゃあ、どこか具合が悪いのか?」
「退屈……。図書室にある本は面白くないし、もっと購入して欲しいとお願いしてるんだけど。ネットが使えたらな……」
美月は年齢で言えば高校生だ。だが、厳密に言うと違う。16歳になってすぐ、彼女は高校卒業程度認定試験(通称高認、前身は大検)を受検し既に合格している。大学入試は18歳にならないと受けられず、宙ぶらりんな格好だ。
「お願いしてみるよ。君は特別だし……」
そこまで言うと、美月は睨むような目つきで俺を見た。『特別』。そう言われるのが嫌なんだ。どう見ても、特別なんだけどね。
「ごめん……。そうだ。ね、これ見てくれないか」
面会時間はまだある。このままでは、席を立っていってしまいそうだ。俺はこの短い時間しか彼女と会えない。それをさっさと終了させられたくない。
ポケットに準備していた紙切れを彼女の前で広げた。殺害現場の絵と容疑者の情報も書き添えてあった。
「これ、事件?」
「あ、いや。え……と、推理小説でさ」
誤魔化しても、多分彼女にはわかったろう。それでも、嘘をそのまま受け入れてくれた。
「この、ダイイングメッセージなんだけど」
「ええ?」
彼女はふっと鼻で笑った。
「そうか。推理小説だものね」
と、後を続けた。
細い指で紙切れのしわを伸ばしている。サラサラの髪がふわり前に落ちる。風呂は毎日入れないはずだが、手入れが行き届いているように思える。やはり特別なんだろうか。ただ、手は少し荒れたように感じた。あの頃は赤ん坊のように綺麗だった。ここでは作業で水や土をいじることもあるだろう。
「一気に書いたのかな」
長くてくるりと上を向く睫毛の下に、切れ長で形のいい双眸。俺の拙い絵に大きな瞳を数秒投げ呟いた。
「ああ……どうだろう。苦し紛れに書いたと思うから……」
おにぎりのような丸のような三角は、まず真っすぐに潔い線が引かれ、そこから三角を描くために指を必死で上へとあげたように見えた。婉曲の二辺は指が震えているのが見て取れた。
「推理小説なら……」
「うん」
「ダイイングメッセージを書いたのは犯人ってことになる」
「え……」
桃色の唇の角を少し上げ、美月は微笑んだ。出会ったばかり、中学生だった彼女はリップを塗っていたのか健康的な艶を俺に見せていた。今は少し色が悪いように思えたが、十分に魅力的だ。
すぐ近くで面接してる子が、面会者に毒ついて教務官に連れて行かれた。倒された椅子が不協和音として部屋に響く。自分の置かれた現実に俺は引き戻された。
「いや、でも……」
「現実なら、ダイイングメッセージに暗号書くなんて考えてないよね。どこかに閉じ込められて、ゆっくりと死んでいくんじゃなければ、そんな凝ったことできない」
それはそうだ。俺もそうだが、高見さんたちだって考えなかったわけじゃない。
「じゃあ、これは犯人が書いたってわけか」
だけど、わざわざ残していくことなんてあるんだろうか。アリバイから考えると、あの3人のなかに犯人はいるのだろうし、高見さんの言う通り自分を加えるなんて考えにくい。
「犯人にはそうしなくてはいけない事情があったのかも……別の、メッセージが現場にはあったから」
「あっ!」
閃光が俺の脳内を突き刺した。まあ、そんなことあったら大変だけど、突き刺したくらいな強い衝撃があった。
「なんか……わかった気がする」
「そう? 良かった」
「あのさ。タロットカードはわかる? 調べたんだけど、例えば丸山は税理士だからジャッジを示すカード、三田は女帝と言われてたから女帝のカード。じゃあ引田はなんだろう。弁当屋はないだろう?」
「マジシャン。手品できなくても。天功と呼ばれていたのなら」
もう一度俺の頭に雷が落ちた。これは閃きというより、自分の愚かさへの衝撃だ。諌めとも言えるか。
「ありがとう……」
「なぜ? 推理小説なのに?」
悪戯っぽい笑みを浮かべて俺を見る美月。彼女はそれが嘘だと知ってるのだ。それなのに俺は、その仕草に思わず見惚れてしまう。
「先生は……どうしてメッセージを残さなかったのかな。時間はあったはずなのに」
浮ついていた俺の心は一瞬で凍り付いた。先生……。それは紛れもなく、彼女に刺殺された教師のことだ。彼の死因は失血死。即死ではなかった。だが、時間があればメッセージじゃなく救急車を呼んだだろう。すぐそばにスマホもあったんだ。
「息はあっても意識なかったんじゃないかな」
俺はこのことから逃げていた。掘り下げると嫌なことがわかってしまう。恋に溺れる馬鹿な男の本能がそう言っていた。
「そうね……」
「まだ……思い出すのか? 眠れなかったりする?」
「毎日よく眠れるわ。それに、彼のことを考えるためにここに来たのよ?」
うっ……。そりゃ、罪を償うってのはそういうことなんだろうけど、彼女の口からは聞きたくなかった。俺はここに刑事として来てるわけじゃないんだ。
――――やっぱり、今でも彼女はあのイケメン教師を好きなのか……?
自ら警察署に出頭してきたとき、美月は言った。
『先生を愛していました』
「風間さん。もうお時間です」
面会室に詰めていた女性教務官に声を掛けられた。十五分なんてあっという間だ。
「じゃあ、俺行くね。また来るから。今日はありがとう。助かったよ」
名残惜しいし、最後にこんなこと聞かされて行きたくなかったけど、そうもいかない。ここにいる教務官や警察官は俺が刑事であることは周知の事実だ。
「お役に立てたら何より。風間さんもお元気で」
椅子の音を立て、彼女が立ち上がる。少し痩せたか。美月が髪を手でかき上げて部屋を出ていく。俺はその後ろ姿を見えなくなるまで眺めていた。




